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その時歴史が動いたの日本海軍対バルチック艦隊の特集を見て思ったことです。
番組では日本海軍は画期的なT字戦法を駆使して勝利したと言っていたんですが、
それ以前の海戦はどのように戦っていたんでしょう?
また、バルチック艦隊は縦一列になって砲撃していたんですが、
後ろの艦の砲撃が前の艦にあたるようなことは無かったのでしょうか?
よろしくお願いします。

A 回答 (7件)

> 画期的なT字戦法



T字じゃなくて丁字ですね

> それ以前の海戦はどのように

以前も以後も通常は並走またはすれ違いながらの砲雷撃戦が一般的な艦隊戦だったと思います
丁字戦法は回頭のタイミングが早過ぎても遅過ぎても、敵の頭を抑えることが出来ませんので、運任せの要素が大きいです
またレーダーが発達した今日では、まず不可能な戦法です

> バルチック艦隊は縦一列になって砲撃して
> いたんですが、後ろの艦の砲撃が前の艦に
> あたるようなことは無かったのでしょうか

敵の後続艦に有効な砲撃をさせずに、自らは敵の先頭艦に砲火を集中するのが丁字戦法の眼目です
敵の後続艦からの砲撃は必ずしも不可能ではありませんが、間接砲撃となりやすく、また味方艦と敵先頭艦との距離に比べると長距離で不利になります
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>>T字じゃなくて丁字ですね
ご指摘ありがとうございます!

運が相当からんでるとは知りませんでした。
でもそれを差し引いても有効な作戦ですね。

お礼日時:2002/08/21 23:02

戦艦三笠は、横須賀に現存しております。



被弾の印や戦死者の記録があちらこちらに残されているのでいろいろ考えさせられます。

用語なのですが…、
同じ方向に併走しながら戦うのを、同航戦。
すれ違いながら戦うのを、反航戦。

太平洋戦争でも、水上艦同士の戦いの基本はこれでした。特に夜戦ではこのような戦いが基本です。

これはレーダーが発達したあとでも変わりません。
前の回答者の方も書いていますが、すべて、旗艦の砲撃に応じた射撃をするからです。
※現代の戦い方は違います。

この同航戦、反航戦は、帆船に大砲が載せられた頃からの戦い方です。太平洋戦争当時の艦と同様に、敵に対して横腹を向けたほうが同時に射撃できる砲の数が最大化します。そのために考えられた戦法です。

歴史的な話をしますと、帆船主体になる以前の水上戦(レパントの海戦あたりまで)では、左右に開いた隊形の部隊同士が真正面からぶつかりあい、かいとかいを組み合わせてお互いの船を固定して、戦士が飛び移って戦っていました。

このあたりは、塩野七生さんの「レパントの海戦」に詳しいので、ぜひ読んでみてください。

では。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>>同じ方向に併走しながら戦うのを、同航戦。
>>すれ違いながら戦うのを、反航戦。
勉強になりました。

昔の船の戦い方もよくわかりました。

お礼日時:2002/08/23 19:35

こんばんは。

捕捉の捕捉みたいな回答です。m(__)m

>自分たちも陣形を変えようとは~

バルチック艦隊の指揮官は逆にチャンス到来と思ったようです。
連合艦隊の一番艦三笠は、バルチック艦隊の斜め前に出て停船することになり、バルチック艦隊の先頭の数隻から集中砲火を浴びせられる形になったわけですから。
実際、三笠は47発だったかな?の被弾をしています。
指揮官の旗も降り注ぐ砲弾でひきちぎられて予備の旗を掲げて・・・なんて話も残ってますし。
もしその中の1発でも弾薬庫に当たってればこうはならなかったでしょう。
これはまさに偶然のなせるわざでしょうね。
その猛砲撃に耐えぬいて後続の艦隊が相手の一番艦にほぼ等距離に一直線に並べた所で立場は逆転したわけです。
今度は各艦からの距離が等しい分、連合艦隊からの射撃の方が、使える砲の数・砲撃精度が勝り、バルチック艦隊の一番艦を集中砲撃できたわけです。

当時の艦隊は、指令官が乗っている旗艦が先頭になって後続の艦隊を信号で指揮するのが普通でした。
ですから一番艦をやっつけてしまえば、相手の指揮官をやっつけて、後続の艦隊は指揮官を失ってどう動いていいか判らず、大混乱になってしまいます。

またバルチック艦隊は連合艦隊の防御線を突破してその向こうにあるウラジオストクだったかな?を目指していたので、一番艦がやられても後続艦は直進し、防御線を突破しようとしました。
その為に三笠以下の砲撃を続けていた各艦は射撃を続けるだけで、そこに次から次へと軍艦がとびこんで来る形になったようです。
主力の数隻を失ってから直進をあきらめたようですが、連合艦隊の後続部隊がそれに対して回り込むという形で戦闘が続いたようです。
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この回答へのお礼

詳しい説明ありがとうございます。
敵の指揮官がチャンスだと思ったののも納得です。
あと、47発くらっても当たり所がよければ沈まないのですか、驚きです。

お礼日時:2002/08/23 19:32

補足です。


Singolloさんもおっしゃっているように、必ずしも通用する戦法ではありませんでした。
日本海軍は、その戦果により「戦艦至上主義」みたいなものに固執してしまい、機動部隊(空母)による「航空戦力」への柔軟な移行ができなかったということを耳にしたことがあります。ですから超怒級戦艦大和を建造したのかも知れません。
艦船が雷撃に対して無防備であることを証明したのが、真珠湾攻撃でした。(太平洋艦隊は気づいた)

この回答への補足

補足なんですが、
バルチック艦隊は日本海軍が特殊な陣形をとったのに対し、
このままでは不利になると感じ自分たちも陣形を変えようとは思わなかったのでしょうか?
こちらもよろしくお願いします。

補足日時:2002/08/21 23:08
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この回答へのお礼

2度目の回答ありがとうございます。
大和が造られた経緯などは知らなかったので勉強になります。
真珠湾攻撃が敵にアイデアを与えしまったのは皮肉に感じます。

お礼日時:2002/08/21 23:08

詳しいことはすっかり忘れてしまいましたが(^^;ゞ、司馬遼太郎の「坂の上の雲」という歴史小説で、日本海海戦のことをすごく詳しく書いてたので(その前の日清戦争のときの海戦や、海軍の創設も含めて)、お読みになってみてはいかがでしょう。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
父が全巻持っているようなので読んでみようと思います。

お礼日時:2002/08/21 23:03

こんにちは。


余り詳細には分かりませんが、概ねこんな感じです。

対艦艦砲射撃は、各々が任意で並行(並走)して行われるのが常だったものを、例えば相手が縦列隊形に対して、並列隊形を取ることにより、相手が1に対して複数で狙い撃ちを行ったというところが画期的といわれる所以と思われます。海上における「鶴翼の陣」といえるでしょう。
ただし、操艦技術と相手に勝る哨戒能力があってなせる技です。

後ろの砲撃・・・については、相手が射程に入らない限り撃てませんので、味方に当たることはありません。
ここからも、火力において一方的な展開となることが分かります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
相手に撃たせない事も作戦の効果のうちなのですね。
よくわかりました。

お礼日時:2002/08/21 22:55

うろ覚えですが、もともとはバルチック艦隊の縦一列になって攻撃するのが普通でした。


お互いに一列になってすれ違うときに打ち合うものだと思いましたが・・・

互いに一列になって近づく
○○○○○→
           ←○○○○○

向かい合ったら打ち合う
   ○○○○○→
     ××××
     ←○○○○○

こんな感じだと思いましたよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
図解にしていただきとてもよくわかりました。

お礼日時:2002/08/21 22:52

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