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安政五年に江戸で疫病がはやりましたか?
木版で安政五年に江戸の奇病がはやったという記事がありました。

よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

>安政五年に江戸で疫病がはやりましたか?



 はじめ長崎にコレラ(当時暴瀉病という)が発生し、それが九州各地に蔓延してひろがり大阪、京都を経て七月に江戸で流行するにおよび、江戸では死者三万余人をかぞえ、人々は病魔退散を祈願して神輿を担いだり、天狗の神通力にすがろうと羽団扇になぞらえ八つ手の葉を軒先につるしたといいます。大阪では藁人形や張子人形を作り葬式をして病気を送り出すと良いという迷信が広がりました。

 幕府は対策として全国に予防法・治療法の冊子を頒布するとともに同年九月江戸で五十二万三千七十六人分の米二万三千九百十七石の代金を支出しました。また、町奉行は肴問屋・定場場・市場以外での魚荷物の売買を禁止しました。もちろんこの影響を受けて米価が急騰したため、世情不安がいっそう増しました。 

資料:『現代用語の基礎知識 80年版付録 読める年表』(監修:松尾章一 法政大教授)の「安政五年」の項。

 
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No.1です。


死者数は判りませんが(と云うより当時信用に足る統計があるのかな)長崎から始まって、全国に蔓延。江戸でも多数の死者が出ています。
江戸では7~9月に猖獗を窮めたようですので、これで間違いないと思うのですが。また、安政以前にコレラは上陸しているらしいですが、大流行をしたのはこのときでしょうから、知らなかった人から見れば奇病だったのではないでしょうか。
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安政コロリという俗に言うコレラの事でしょうかね?



参考URL:http://home.s06.itscom.net/tsuzuki/Shirayama/Shi …
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#1様のおっしゃる通りですね。


七月~八月から始まったそうです。
排泄物の処理方法が問題であったのではないでしょうか?

原因は開国による異国人からの伝染です。
出島での貿易の理由も、検疫の理由も大きかったそうです。

南米のインディオは、ヨーロッパの天然痘の免疫が全く無く、
次々感染して死亡して行きました。

ヨーロッパ人が何とも無いのはキリスト神に願っているからだ。
こう思い込み、次々と改宗し、
キリスト教に改宗したなら植民地にしても良いと言う条件をクリアさせてしまいます。

蘭学書に書かれた、海水を薄くして飲ませる。
で、死亡率を下げた記録も残っています。

嘔吐、下痢による極度の脱水症状が原因による致死が殆どですので、
未治療では8割が死にます。
治療用の飲料を与えれば劇的に死亡率は下げられます。
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普通に考えれば安政五年ならばコロリ(コレラ)だと思いますが。

前年にインフルエンザ。翌年には麻疹の流行ですかね。

この回答への補足

ありがとうございます。
八月から始って、10万人以上死者が出たというのですが、
本当でしょうか。

補足日時:2007/10/27 23:39
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