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ばかばかしいタイトルに眼を留めていただいてありがとうございます。
先日テレビ番組で「坂本龍馬暗殺は江戸時代ではない」と知り,仰天して調べました。
時系列では,「大政奉還・龍馬暗殺・王政復古の大号令・明治改元」となります。江戸時代は大政奉還まで,明治時代は明治改元からだそうです。
なら,大政奉還から明治改元までは何時代と呼べばいいのでしょうか。

質問は2つあります。
1.江戸時代と明治時代の間を示す特別な呼び方があるのか。
2.「江戸時代」「明治時代」それぞれの呼び方は異なる時代の表記だと思いますが,元号で表記すれば慶応-明治。それに対応する「江戸時代-××時代」という一般的な時代区分があるのか。

特に,2点目について,ご存知の方は教えてください。私は「大正時代・昭和時代」などという呼び方に疑問を持っています。昭和の間に「被占領日本」をはさみ,戦前戦後で国の主権者が変わっています。大正から昭和に変わるよりも大きな変化が昭和の間に2回おこっているにもかかわらず「昭和時代」と呼ぶことにどのような意味があるのでしょうか。

A 回答 (5件)

No.1の者です。


明治天皇の詔が生きているのではありません。
旧皇室典範に明記されており、終戦後、日本国憲法の制定により
一度は全てがリセットされた状態でした。
が今後どうするか?
というような議論の中で
元号が生活に密着されたものであることなどから
元号法が制定されたようです。
現在の一世一元の原則はこの元号法によります。

それから学問上
これを利用する価値があるのかないのか?については議論の余地がありそうですが、
時代区分自体が学問上有益なものかどうか怪しいものです。
ある程度の目安であり
そこを厳密に分ける必要性はないでしょうし
歴史学において時代区分を重視する研究者の方もおられないと思います。
歴史において重要なのは分け方よりも事象であり、事象の流れだと思います。
なので
明治以降を今更細かく細分する必要はないように感じます。
常識的な範囲で昭和に太平洋戦争があり
その戦争に負けたっていう事実くらいは
この国の国民なら周知の事実なので
現行の分け方に馴染みのあるこの国では
かえって混乱を招くだけでしょう。

1945年は確かにこの国では大きな転換期であったことに疑問の余地はありませんが、ここで区分するならば
ペリー来航も大きな転換期であったと思います。
分けることが可能な点は歴史上いくつもあります。
なのでやはり
ある程度の目安にしかならないという程度でいいと思います。
昭和であれば
戦前とか戦後と高度経済成長期とか
そういった呼称もあるわけですから
やはり現行のままのほうがよいのではないでしょうか?
というのが私の意見です。
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この回答へのお礼

どのような観点で時代を区分するのかによってさまざまな呼び方があるのは当然だろうと思います。
ただ、「今年は平成何年?」「昭和○年生まれは今年何歳?」など、たびたび周囲に聞いています。普通は「平成」を消して西暦を記入します。個人的には西暦一本にしてもらったほうが簡単でいいと思う毎日です。
ありがとうございました。元禄とかとか言われると、「あ、あの時代」とわかるように、「昭和」の呼び名にも価値があるかもしれませんね。

お礼日時:2007/11/15 19:45

すでに回答も出ていますが、「時代区分」とはあくまで「後世の人々が便宜上、区分したもの」に過ぎません。


大政奉還があったからといって「あぁ今日で江戸時代が終わった」と思った人がいたかどうか。
あくまで便宜上なので江戸時代の中にあっても「元禄時代」といった呼称もでてくるのです。
また「幕末時代」というのもありますが、これは「江戸幕府が終焉」が確定していないとつけられない呼称です。このことからも「便宜上の区分」であることがわかります。
質問文の「大政奉還から明治改元まで」ですが、この間はわずかに 3ヶ月弱なので「時代区分」をする必要はないというのが実態でしょう。

近代・現代という区分も回答されていますが、これは「時代区分」とはややことなります。この区分だと「原始・古代・中世・近世・近代・現代」で社会制度からの区分になるので、政治区分である室町時代・江戸時代とは別の時代区分になります。

近代以降に元号をもって時代区分するのは「現代に直接繋がる時代」であるため研究や学習も精緻になるので「その方が便利」ということだろうと思います。
日本史においては奈良時代以降は、「政治的中心地」を「時代区分名称」にしていますから将来的には明治時代以降は「東京時代」となることが予測できます。
あるいは戦前戦後で政体が異なるから憲法名称から「大日本帝国時代」「日本国時代」となるかもしれません。
あるいは「前東京時代」「後東京時代」という可能性も。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。少しこだわりすぎていたのかもしれませんね。
それは逆に元号法に代表されるように元号の使用にこだわっている風潮に対する反感や警戒心もあったと思うのですが。
政権の主体で考えるなら,確かに大政奉還以降は新政府に移行していたでしょう。「江戸時代」をどこで区切るか異論があっても,「大政奉還」のあった日は動かせません。

お礼日時:2007/11/16 10:11

>(元号を)歴史学の時代区分に使う価値があるのでしょうか?



 歴史学では、明治以降は近代、現代ではないですか?

 明治時代、大正時代、昭和時代と使っている方もいるかもしれませんが、テレビや新聞は歴史の時代区分と区分して?「明治の時代、大正の時代、昭和の時代」と「の」をつけているように思います。
 歴史的時代区分は、将来つけられていくと思います。
 第二次世界大戦を境に区分される可能性は大きいと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
学習指導要領を見ると「近世・開国・明治維新・近代」などの言葉がキーワードになっているようですね。
将来の歴史書に今の時代がどのように書かれるか見てみたいです。

お礼日時:2007/11/15 19:53

>江戸時代は大政奉還まで,明治時代は明治改元から・・・


というのは、どこから?

ちなみに『角川日本史辞典』によれば、江戸時代の定義は
「徳川家康が征夷大将軍になった時から徳川慶喜が大政奉還をした時まで」となっています。
イコール大政奉還の翌日から明治だという事だと思いますが・・・。

私、個人的には、江戸時代は
「大坂夏の陣の終結から、五箇条のご誓文の発表まで」
って思ってますが・・・・

ちなみに、こちらのサイトにも、その話題が載ってます↓
http://sans-culotte.seesaa.net/article/62081180. …

大正・昭和に関しては、明治に改元した時に「一世一元の制」を定めたからではないでしょうか?

ちなみに、輸出品などの「メイド・イン・ジャパン」の表記には、占領中が明記されているのを見た事があります。

答えになってなくてすみません。
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この回答へのお礼

「大政奉還」で明治時代ですか。決まっていることなら仕方が無いですね。それを覆すほどの根性はありません。ありがとうございます。「狭義では明治改元」という記述がwikiにありました。

この質問をしたとき"MADE IN OCCUPIED JAPAN"のことを少し考えていました。

「一世一元の詔」,先ほど読みました。明治天皇の詔がいまでも生きているのでしょうか?「皇室典範」も見ましたがよくわかりません。「元号法」は昭和54年公布ですね。歴史学の時代区分に使う価値があるのでしょうか?

面白いサイトを紹介していただきありがとうございます。

お礼日時:2007/11/15 15:03

>1 特別な呼び方があるのか?


 みたこともきいたこともありません。
>2  
 明治以前の時代の名称は年号に由来するものではない。それから明治以降は年号に由来する。この原則があります。明治以前は一人の天皇の間で何度も元号は変わっていました。ゆえに逐一、たとえば慶応時代などとしていたらキリはありません。それから明治以降は皇室典範により一代の天皇で元号は一つであると取り決められました。ので、そこに時代名称が由来しています。よって明治以降は主権がどうだとかは関係ありません。日本が敗戦したからといって天皇が変わったわけではありません。
 それから時代区分は一概に主権による分け方ではありません。たとえば奈良時代と平安時代の間はどうでしょうか?単に都が変わっただけで、とくに王朝がかわったわけではありませんよね。ということからしても、江戸と明治の境は、明治に元号が変わった段階でそれ以後が明治、それ以前は江戸という区分でいいのだと思います。それに違和感があるのなら、そこのところを幕末という表現をすればいいのだと思います。
 日本の歴史区分については曖昧なところも多々あります。たとえば、戦国時代は室町時代の一部であると表現したりもしますよね。また研究途上な部分もあり、時代の境目が変わることも多々あります。余り詳しくないのですが、たとえば有名な1192年の鎌倉幕府成立による鎌倉時代の開始は、どうもそれ以前でもいいのじゃないだろうか?ということが定説になるつつあるらしいです。よって、今後この幕末のあたりの定義も変わることもありえるかもしれません。
 ただ確かなのは時代区分は単に便宜上の分け方にすぎず、そこに厳密な定義を持ち込むことに無理があるのかもしれないとは、個人的に思います。とくに日本のように島国で、おおよそ単一の民族構成で、同一民族が主権を形成していった国においては困難は伴うと思われます。
 以上のことから、竜馬暗殺は慶応3年のことであり、単に大政奉還のみを時代区分にもってきてしまったTVの間違いであり、慶応3年は現在のところ江戸時代であると考えた方が賢明だと思われます。
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この回答へのお礼

>日本の歴史区分については曖昧なところも多々あります。
確かにそう思います。古墳時代と飛鳥時代を線を引くように区別することもできないでしょう。大学の一般教養で「現代史」の試験に,「いつから現代か」と問われたことがあります。何かの出来事を持って時代を区分する場合,江戸時代の終わりをどこに持ってくるのかという定説は何でしょう。

ありがとうございます。上野に彰義隊がこもったのはやはり江戸時代と考えたいような気がします。(でもwikipediaには彰義隊は明治初期になっていますね)

憲法による天皇の位置づけも変化していますが,同一人物が引き続き在位しているため,ますます違いが不明瞭になっている気もします。

お礼日時:2007/11/15 14:30

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