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 私は某国立大(旧帝国大学)、理系の院生で今年就活です。題名にもありますとおり、総合商社を目指しているのですが、少し気になることがあり質問させていただきます。
 まず商社を目指すきっかけとなったことからお話させてください。ずばり言いますと、英語圏内への1年海外留学です。留学先ではさまざまなことを経験させていただき、またたくさんのよい出会いがありました。そこでのある出会いがきっかけで、商社というものに興味が沸くようになりました。今の私の強みとしまして、海外留学・英語TOEIC840点・体力(中学校から柔道を始め、大学4年次では柔道部役員も務めました。)。人とのつながりも大事にします。私の中では十分やっていける強みだと思っています。しかし周りからはやはり、「商社は厳しいぞ」、という声が聞こえてくるのも現実です。実際私は一年浪人していますし、留学も合わせると2年のハンディがあるとも考えられなくはないです。
 そこで、もしそのへんの事情に詳しい方、知らなくとも何かアドバイスしていただける方、おられましたらぜひご助言していただきたく思います。

A 回答 (1件)

外資系通信事業者に勤める者です。



私は文系修士で企業就職するという道を歩んだ最初の世代にあたります。かつては、文系の場合、そのまま研究者になるのが普通だったのですが、修士の枠は増えるのに教員の枠は増えないという状況下、修士で企業就職という道を選ぶ人が出てくるようになりはじめた時期にあたります。しかも当時はまさに、就職超氷河期だったのです。

私も実は商社志望でした。商社の場合、古い営業の夜討ち朝駆け的なスタイルが残っていたり、露骨にOBのコネで決まりそうな財閥系とかもあります。私が目をつけたのは、当時のニチメンという会社で、中堅どころだが経営は堅実、今はつぶれかけ商社を救済合併する形で押付けられ、双日と呼ばれています。この会社は、予想通り、非常に理知的な人が多く、文系修士で哲学専攻などという色物の新人種を、迷うことなく次々を上の面接へ上げていきました。最初の面接では、なぜ商社を選んだのか聞かれ、「外国では普通、新事業の立ち上げはベンチャーや金融業がからんで行うが、日本では商社がからむことが多いから。商社にいれば、事業の立ち上げという楽しい体験が出来ると思って選んだ。最近、日本国内で英語のラジオ放送局が始まったが、あれも商社がらみだと聞いている」と言ったところ、「そのとおり!そして、その分野こそが、ニチメンが業界トップに劣っているところなんだ」と言われ、クリア。次の面接では、たぶん係長か課長くらいの人物に、「流通の中で興味があるのはどこだ?」と聞かれ、「食品。上流から下流まで、全てを見てみたいから」と応えました。面接官は「お前、英語だけじゃなく、ドイツ語も出来るのか。これは鬼に金棒だ」と言われ、クリア。その他多数の面接を問題なく通過し、自分は当然受かるものだと思っていたし、人事部も、採用する気でいたのは間違いありません。「harepanda君は確か、●●大学だったね。あ、失礼。▲▲か。●●は弟さんか」と言われた時は、自分を身辺調査しているのかと思い、ぞっとしましたが、逆に、これはもう、最終段階まできている証拠だと考えました。ところが、最後の役員面接でひっくり返されてしまうのです。役員は、いかにも日経の最後のページに「私の履歴書」とかを書いていそうでイヤミそうな顔がずらっと並び、単なる圧迫面接ではない、異物への拒否反応を強く感じました。「哲学修士か。そんなヘナチョコがビジネスの役に立つのか」と言われたときは、「一般論ですが、大学の時の勉強と企業での実務能力に直接的な関係はないと言われております。哲学修士としてではなく、普通の▲▲大学の生徒だと思ってみていただければと幸いでございます」と返答。「松下のPHPは哲学だと思うかね?」といかにもいやらしい質問が来た時は、想定していた質問ですから待ってましたとばかり、「哲学と言ってよろしいかと思います。哲学とは本来はギリシャ語で、考えることが好き、という程度の意味しか持たない言葉です。誰がどのようなことを考えても、それを否定することは出来ません」と、ニコニコ切り替えし。役員が渋面をしている間、人事部長はうん、うん、いい回答だ、という感じでうなづいてました。

結果は不合格。役員で全てが決まったのでしょう。それ以外に考えられません。

ただ、最初の面接で語った、新しい事業の立ち上げに参画したいという夢は、別の形で実現することが出来ました。どこに行っても異分子扱いされる私を評価してくれたのは、今は既に存在しない生まれたての通信事業者で、その会社に当時のKDD(今のKDDI)から出向で来ていた人事部長が、私を評価してくれたのです。その会社は、1年もたずに経営がゆきづまりリストラされるのですが、外資系同業他社の日本法人立ち上げに参加することで、夢を実現させたわけです。後になって気がついたのが、実は通信業界はKDD出身の年配者がキーとなっていること。昔のKDDは、本当のエリートしか入れない、超名門であったということが、よく分かります(ご存知とは思いますが、昔は日本に電話会社は、国内電話の電電公社、国際電話のKDDしかありませんでした)。そして、当時の人事部長を初め、不思議な縁でKDD人脈は広がってゆき、私にとって大切な財産となっています。

ちなみに、新卒で入って1年もたずにつぶれた会社の採用方針は、「SPIで安定志向の者を全員落としてから、面接を始める」だったそうです。いかにも、私にあいそうな採用方針です。

それにしてもニチメンはもったいないことをしたねえ。面接の時点では自分でも想定したなかったのですが、数ヵ月後に修士総代になった人物を採用から落としてしまうなんて。
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