幼稚園時代「何組」でしたか?

何度もこのカテでされたような質問ですが、私なりに論点を改めて質問させて頂きます。

小さいな子どもに英語を習わせようとする親御さんも多いですよね。
しかし、小さな子どもには英語よりも日本語という意見も多く聞きます。

そこで、それぞれのメリットとデメリットについて深く切り込んで考えたいと思います。

先ず、小さい頃から英語を習えば 最大のメリットは英語の音に親しむことです。特に日本人には難しいRとLを聴き分けるには小さいうちから英語を習うのは有効だと思いますが、それ以外に大きなメリットはあるでしょうか? また、それでも学校の英語でつまづく生徒も少なくありませんが、何に問題があるんでしょうか?

次に、小さな子どもには英語よりも日本語が先という意見ですが、日本語は黙っていてもどっちみち誰でもマスターするし、これにメリットがあるのかも疑問です。それに、毎日 日本語に触れているのに、具体的に何をするのかも不明です。

そこで質問ですが、どっちの意見が正しいと思いますか? なるべく詳しく理由を教えてください。

A 回答 (21件中1~10件)

 最近、ある小学校の先生に聞いたんだけど、私の住んでいる地方には公立しかないのに、「名門小」→「名門中」→「名門高」という進学ルートが存在するらしい。

なんで、そうなるのかと言えば、ぶっちゃけ名門小の学区の親の学歴と収入が高いからだそうで、私からすれば「そこまで本音を言っていいのか?」と思った(先生は私の高校の同級生なので、気を許したのかも)。その名門小の子供の半数は中学に入る前に英検の何級かをとっているそうな。そういう意味では、早期の英語学習のメリットはあるのかも。

 うちの家は中1と小4がいて、英語はなんにもさせなかったけど、半年ほど前、CSe2スカパーのディズニーチャンネルを子供が見たいといい契約したら、しばらくして上の子が英語の歌を歌うようになった。下の子もまねして歌ってる。文法、単語など分かっているはずないのに完全耳コピーなの。ポップスの力ってすごいなあと思った。その歌なんだが、ネイティブのネイティブのための歌だけに「使える英語」の要素がびしっとつまってる。今後、子供に文法や発音のことを聞かれたら、その歌に同じのがあるじゃんと言えばすむくらいなんだよね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>その名門小の子供の半数は中学に入る前に英検の何級かをとっているそうな。そういう意味では、早期の英語学習のメリットはあるのかも。
そういう子供は英才教育を受けているんでしょう。英語だけでなく、国語も先取りして学習しいるんでしょう。英語だけ先取りしても、向こうの幼児レベルの会話が片言出来るようになるだけで、まとまった英文を読んでキチンと内容を理解するには日本語力が土台になるでしょうから。

お礼日時:2008/02/24 11:23

No.15,18です。



本では得られない体験が貴重であることには、まったくその通りだと思います。

ただ、英語の歌を歌ったりゲームをして遊ぶのが、そのような本では得難い体験とは、考えていないというだけです(笑)。

そして、本を読まなければ鍛えられない能力や、文字情報からでないと得にくい情報というものは、体験と同様に貴重なものです。体験だけで思考力や想像力をおざなりにしていれば、せっかく外国の街で臭いをかいでも、その背後にある人々の生活や社会状況を考えることができません。単に「くさいな」か「いいにおいですね」といった動物的な感想で終わってしまうでしょう。考える力があってこそ、体験が生きるわけです。

この回答への補足

再度回答ありがとうございます。

>ただ、英語の歌を歌ったりゲームをして遊ぶのが、そのような本では得難い体験とは、考えていないというだけです(笑)。
先ほどの回答で 本だけでは得られない知識があると言ったのは、一応、英語とは無関係だと前置きしたんですが、、、(笑)
でも、「歌を歌ったりゲームをして遊ぶ」という視点で考えてみようと思います。私はドイツ語も学習しようと思っています。今では少し変わりましたが、ドイツ語と言うと、英語以上に文法と訳読を重視し、読む題材も 哲学書とか医学書とか難解なものが多く、厳めしく古臭いイメージが強いかもしれません。しかし、ドイツ語の学習にも歌やゲームを取り入れれば ドイツ語のそういうイメージも払拭できるのではないかと思います。勿論、本格的にドイツ語を極めようと思ったら、しっかり勉強する必要がありますが、楽しみながら ドイツ語圏に旅行した時に片言喋ることを目標にするのなら、このようなアプローチは間違っていないと思います。

>体験だけで思考力や想像力をおざなりにしていれば、せっかく外国の街で臭いをかいでも、その背後にある人々の生活や社会状況を考えることができません。
本で読んだことはあくまで伝聞です。ですから、自分の体験として感じたことではありません。また、本で得た知識が逆に先入観になって素直に感じられないということもあるかもしれません。また、人間には動物と違って美的感覚があることです。これは予備知識とか要求されないはずです。例えば、都会に住んでいる子供がモンゴルに行くとします。モンゴルという国がどんな国か知らなくても、壮大な草原、綺麗な夜空、人々ののんびりした暮らしぶりには きっと感動すると思うんです。私の場合はオランダとオーストラリアにも行ったことがあるんですが、この二つの国は人口もほぼ同じくらいですが、面積は100倍以上の違いがあるんですよ。オランダは日本よりも人口密度が高いんですが、
牧場やお花畑が広がり、ゆったりした印象でしたね。首都のアムステルダムもそんなに大きな都市でもないんですよ。一方、オーストラリアはやはりとにかく広いです。しかし、シドニーなんかは大都市でアムステルダムよりも高層ビルが多く聳え、都会的な感じがしました。それでも、東京や大阪よりはゆったりしています。まあ、これは本を読んでも実感できません。しかし、これも予備知識があったからこそ、このような分析が出来たわけです。私は知識は体験によって一層活きて来ると思いました。 あと、これはgenmai59さんも見逃されていましたが、体験だけで物事を判断するのは危険だということです。体験と言っても、ごく一部の側面しか見ていない訳で、これで物事を判断すると とんでもない思い違いをすることもあります。

補足日時:2008/02/21 11:24
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#5です。


盛り上がっているようなので、もう少し回答させてください。

少し前に、フィリピン・インドはどうするの。ヨーロッパは数カ国語話せるという内容がありましたが、こと日本語という点で書きたいと思います。

まず、諸外国特に発展途上国の中で民族語+英語(またはその他ヨーロッパ語)を話すなり、学習するなりするのは、民族語では高等教育が受けられないからです。
大学や大学院それと先端技術などを表現できる言語は、英語を含むヨーロッパ語(但し、仏語と独語以外は、英・仏・独の援用が多い)それとロシア語(スラヴ語族はロシア語援用)、中国語・日本語です。韓国語を入れてもいいのですが、名詞などは日本語と中国語の援用が多いようです。
これ以外の民族語では、高等教育に適した用法や語法・語彙をもっていないため、発展途上国では英語などでの教育が必須になります。

またヨーロッパは数ヶ国語といっても、用法や単語が似ていますので日本語と英語のバイリンガルとは比較できません。一説によると、スペイン語とイタリア語の類似性は、関西弁と関東弁の類似性よりも高いそうです。
ヨーロッパ人の数ヶ国語と比較するのは適当ではないでしょう。

結局、日本人は日本語で全てが出来るゆえに、日本語を優先させるべきだと思います。
世界的に通用する能力を持っていて、日本語しかできないならば、専属の通訳を用いればいいだけです。(逆の例はありますね。トルシエ監督とダバディ氏とか)

日本の環境で育った世界に通用する人材と言う点から見れば、日本語をきちんと使えるようにして、教養も日本語で身につけるのがベストだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>大学や大学院それと先端技術などを表現できる言語は、英語を含むヨーロッパ語(但し、仏語と独語以外は、英・仏・独の援用が多い)それとロシア語(スラヴ語族はロシア語援用)、中国語・日本語です。韓国語を入れてもいいのですが、名詞などは日本語と中国語の援用が多いようです。
これはちょっと乱暴なかもしれません。ヨーロッパの言語は 英、独、仏以外でも イタリア語、スペイン語、ポルトガル語でも大学や大学院それと先端技術などを表現できます。援用というのなら、英語だって元々はフランス語からの援用で成り立っているし、日本語も中国語の援用で成り立ってります。韓国語も現在では大学や大学院それと先端技術などを表現できる言語になっています。あと、韓国では最近中国語の学習者が増加しているものの、中国語の浸透度は思ったよりも低く、英語、日本語の次です。スラブ諸国もロシア離れが進んでいるので ロシア語援用とは逆の動きが出ています。

>またヨーロッパは数ヶ国語といっても、用法や単語が似ていますので日本語と英語のバイリンガルとは比較できません。
これは外国語習得の難易度ではなく、日常生活レベルで外国語を使用する機会の頻度を問題にしていたんですが。日本は食料や燃料などは外国に依存しているものの、日本一国で独立し完成された社会を形成しています。ヨーロッパ諸国のように、国境の垣根が低く、互いに深く係わりながら共生している国々とは大きく違うと言いたかったのでした。

>一説によると、スペイン語とイタリア語の類似性は、関西弁と関東弁の類似性よりも高いそうです。
私はスペイン語もイタリア語も齧ったことがありますが、全然違う言語ですよ。そうですね、関西弁と関東弁の類似性は丁度アメリカ英語とイギリス英語の類似性に相当します。

お礼日時:2008/02/21 10:49

No.15です。



>というのは、本で得られた知識というのは 国家の政治とか経済とかマクロの視点でしか捉えない場合が多く、庶民の生活臭を感じることは難しいと思うんです。

これは、逆だと思いますよ(笑)。どういう本を読むかによりますが、一般に本の著者というのは、問題点をピックアップしたがるものですから、本の内容は、実社会よりもミクロな視点で描かれ、体制に対して批判がちになります。また、小説では、多くは庶民の暮らしぶりが細かく描かれます。いまのアメリカの児童小説には、ヒスパニックの子どもが転校してきていじめにあう様子などが、子どもの視点で物語の中に組み込まれています。

マクロな視点でものごとを捉えた本というのは、教科書くらいでしょう。読書習慣がない人は教科書しか読まないので、マクロで体制的な視点で世の中を見がちになると思います。
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この回答へのお礼

再度回答ありがとうございます。

>これは、逆だと思いますよ(笑)。
英語の問題とは逸れますが、本では得られない体験ってあると思うんです。私はロシアに旅行したことがあるんですが、町の匂いとかは言葉では形容しがたいですし、気候も単に温度や気圧で測れるものではありません。こうやって、肌で感じた体験というのは大事だと思うんです。そして何よりも人との触れ合いは自分が体験して初めて理解できるものです。余計なお節介だとは思いますが、genmai59さんも機会があったら、色んな国を旅行されるといいですよ。

お礼日時:2008/02/20 12:42

フィリピンについて誤解されているかもしれないので、書いておきます。


昭和50年代初めまでは、日本よりもフィリピンの大学進学率のほうが高かったのです。つまり、ほぼ4割が大学進学をしていました。その頃の日本の進学率が3割です。

結局、フィリピンはアメリカの植民地化してしまい、社会階層化がよりいっそう進み、戦後、どんどん、富を吸い上げられる構造が社会的に作り上げられてきたのです。これは、アフリカの多くの国と同じです。

これは、社会の支配層から見れば、たとえ社会の大部分を占める市民層が貧しくなっても、自分たちの特権が守られればいいと、考えた結果です。

今の日本も、急激にかってフィリピンがたどった道をたどっているように思えて、残念でたまりません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/02/20 11:24

セミリンガル(母語ももう一つの言葉も年齢相応に習得できていない)状態についてずっと研究しているものです。


■発音については、ほとんどの文献(実験)が幼いころの体験が重要であることを示唆しています。それ以外については13歳以降でも外国語習得は問題ないという国家的な規模の実験がいくつもあります。LRの区別が難しい中国語母語話者が英語で国際的に活躍していることを考えると致命的な問題ではないかと思います。(発音が上手だと格好いいというメリットはあります)年少時から始めても学校英語で躓く理由は人それぞれです。割愛しますが必要なら補足要求してくださいませ。
■母国語習得については、自然習得するのは生活用語のみで、学習用語については意図的な学習が必要です。
バイリンガルというとき、生活用語程度のバイリンガルであれば、大きな問題ではなく、学習用語レベル(大学受験がその言語でできるのか)を考えるべきだと思います。せめてどちらかの言語でそこまでの発達ができる環境を整えてあげたいと思います。「どっちみちマスターするし」と多くの親御さんが現地校にいれセミリンガル問題に発展してしまいました。
英語であれ、日本語であれ、子供にとっての母国語が確立しないと、思考言語が失われ、抽象概念を語ることができなくなります。そういう例をいくつも見てきているのですが、抽象概念を語れないのは辛いです。芸術方面に活路を見出すことが多いようです。
■英語を母語として教育すれば問題はないように思われるのですが、アイデンティティの問題がバイリンガルには不可欠です。9歳あたりで一度アイデンティティクライシスがくることが知られています。英語のみで教育している学校で、発音が急に「日本人英語化」するのもよくみられます。言語は自分の所属するコミュニティと関わりがあるからです。
とはいえ、家庭でのみ英語というなら、大きな影響はないと思います。子供は次第に自分の属する社会にシフトしていきます。小1から日本語の読み書きを始めても問題ないですし。多少漢字が駄目でも上手に誘導すれば追いつくでしょう(嫌いになっちゃう子は多いですが)。英語でたっぷり読み聞かせや愛情を注いであげてはいかがでしょうか。保護者の方の満足度が優先されやすいのでお子さんのご意見も尊重してあげることが必要かと思います。ご参考まで。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/02/20 11:23

問題は、言語能力と思考力が密接に結びついていることにあるのだと思います。



日本社会で暮らしている日本人であれば、少々英語をやったからといって、日常会話レベルの日本語がゆらぐことなど有り得ないでしょう。また、敬語くらいであれば、敬語を必要とする仕事について数年も鍛えれば身に付くと思います。でも、思考力を鍛えるための、日本語をベースにした訓練、例えば読書やディベートをやったほうが、英語遊びに時間を費やすよりも、国際人としての子どもを育てるには有効なのではないかと思います。

日常会話レベルで何カ国語話せたとしても、国際的な活躍などできません。経済学とかサイエンスとか、高度に抽象的な概念を具体的に理解し、論理的に分析する思考力が重要です。そして、そういう思考力を育てるのは言語能力です。言語能力以外には、数学や理科実験もあるかもしれませんが、英語遊びで思考力を鍛えるのは、難しいかと思います。

もちろん、英語をベースにそういった思考力を養うことも可能でしょう。ただ、日本語が母語の人間が日本社会で暮らしつつそのような思考力を英語で鍛えていくのは、ちょっと不利なような気がします。また、例えばアメリカ社会で暮らしつつ英語をベースに思考力を鍛えれば、その子どもは恐らく日本的な感覚よりもアメリカ的な感覚を身につけた人間になり、将来、日本社会で暮らすのが難しくなるでしょう。

国際感覚を身につけるにしても、英語でゲームをしたり、英語の歌を歌ったりするよりも、日本語で外国のことを書いた本を読み、話し合った方が、よほど国際情勢に詳しくなったり、多様な文化を理解する助けになると思います。そうやって外国に興味を持った子どもは、はっきりとした目的を持って英語を学習するでしょう。

読書は国語力だけではなく、考える力を鍛えます。最近では、それを重視して、多くの小学校で強制的に読書する時間を作って、成果をあげているそうです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

やや新鮮味に欠けますが、模範的な回答ですね。

>でも、思考力を鍛えるための、日本語をベースにした訓練、例えば読書やディベートをやったほうが、英語遊びに時間を費やすよりも、国際人としての子どもを育てるには有効なのではないかと思います。
これは私が#4さんのお礼で書いたスピードスケートの喩えを具体的に詳しく説明されていますね。

>日常会話レベルで何カ国語話せたとしても、国際的な活躍などできません。
これは日本の英語(外国語)事情を物語っていますね。日常生活ではあまり必要ではなく、英語(外国語)を仕事に活かそうと思えば、高度な英語力(外国語力)が要求され、「国際的な活躍」と敷居が非常に高くなりますね。
しかし、ヨーロッパでは日常会話レベルで何カ国語話せることは珍しくなく、日常生活のレベルで既に国際的になっているんですよね。
あまり関係ないんですが、私の住んでいる地域には韓国や中国からの観光客も多く、韓国語や中国を日常会話レベル話せる人が不足しています。

>国際感覚を身につけるにしても、英語でゲームをしたり、英語の歌を歌ったりするよりも、日本語で外国のことを書いた本を読み、話し合った方が、よほど国際情勢に詳しくなったり、多様な文化を理解する助けになると思います。そうやって外国に興味を持った子どもは、はっきりとした目的を持って英語を学習するでしょう。
いや、これはどうでしょう。確かに知識だけなら、日本語で外国のことを書いた本を読み、話し合った方が はるかに効率はいいです。しかし、英語でゲームをしたり、英語の歌を歌ったりするのも馬鹿には出来ないと思います。というのは、本で得られた知識というのは 国家の政治とか経済とかマクロの視点でしか捉えない場合が多く、庶民の生活臭を感じることは難しいと思うんです。でも、 英語でゲームをしたり、英語の歌を歌ったりすることは、外国人と草の根レベルで交流する為の下準備にもなると思うんです。

お礼日時:2008/02/20 11:20

正しいか正しくないかの問題ではないと思います。


言葉はコミュニケーションのツールであり、それ以外に仕草や表情等もあります。
色々な方法で自分の意思が伝えられ、そして相手の気持ちを受け止めれることが大切ではないでしょうか。

何を基準に正しい言葉であるかを判断することは難しいことだと思いますが、上手く言葉を使えることで意思疎通がし易いことは事実です。
*しかし言葉は、時代と共に変化していると感じています。
  例えば『全然』とは否定する時に使われていましたが、今は肯定の時にも使われます。
しかし上手い言い回しをする技術だけでは相手に気持ちが伝わらない部分もあり、そこには熱意等の気持ちを表現することも必要であると考えています。

子供が小さい頃から英語を学ぶことは、子供の意思や親の勧め等がきっかけとなります。
(学校での授業が初めてかもしれませんが・・・)
そして子供が英語に対してどう取り組むかは子供自身が決めることではないでしょうか。
楽しいと感じれば子供は色々と調べたりする等の興味を示しますが、やりたくないと感じれば義務的に行ったり辞めてしまうこともあります。
日本語も同じで、興味があれば辞書で調べたりしますから。
*スポーツや遊びも同じ様な感覚だと感じています。
子供にとって始めるきっかけは親の勧めによることが多いかもしれませんが、最後は子供の意思だと思います。
*最初は嫌っていても、ある時から熱心に取り組むこともあるかもしれません。
親からの目線だけでなく、子供の目線からも考えてはよいのではないでしょうか。

<追 記>
私の娘は小学校から某E○Cに通っています。
とても楽しい時間を新しい友達と過ごしているみたいです。
*最初は私の勧めで体験レッスンを受け、娘の意思(やってみたい)で通っています。
確かに1週間で1時間しか英語に触れる機会はありませんが、話し方はネイティブのように感じられています。
どのくらい話すことが出来るかどうかはわかりませんが、少しずつ耳で聞いて声に出すことが出来るようになっているみたいです。
今後学校での英語に対してメリットがあるか否かわかりませんが、娘にとって英語に限らず他の意味を含めて良い経験となると思います。
一方日本語は学校の授業以外に何もしておらず、挨拶、ありがとう、ごめんなさい等の礼儀に注意しているくらいです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>とても楽しい時間を新しい友達と過ごしているみたいです。
それは結構ですね。英語よりも大きな収穫かもしれませんね。

お礼日時:2008/02/19 23:34

お子様の言語を何語にするかはご両親の世界観によりご判断されるべきものと思います。

私は子供が何かを語るとき一億人に聞いていただくのではなく十憶、二十億の人に語りかけてほしいと願って英語で授業をする学校に入れました。今中学生になったばかりですが、パパには英語で話しますが、ママに日本語で話しています。
日本語を覚える前に英語で話しかけていましたが、その結果子供の知能や情緒に悪い影響があったような兆候はございません。多くの時間母親といたので、最初の言語の発生は日本語であったと思います。子供にとって英語を話せることが今のところメリットにはなっていませんが、子供が社会に出てメリットが出てくるのではないか考えています。今年夏休みに一人で国外旅行にでて、元気に帰ってきたということはメリットがあったということかもしれません。デメリットはやはり日本語能力が少し落ちるかなという感じがしております。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>私は子供が何かを語るとき一億人に聞いていただくのではなく十憶、二十億の人に語りかけてほしいと願って英語で授業をする学校に入れました。
でも、これだと大学入試とかに不利になりませんか?

お礼日時:2008/02/19 23:32

日本の英語教育が幼稚園からあるといいと願っている者です。


どんな科目でも本人の性格に合う合わないなど加齢と共に変わってきますので、各個人個人を見たら効果は小さいかもしれませんが、日本の国家の目線で見れば、その中からすばらしい人材が出てくるのは明らかです。例えば、NHKのクローズアップ現代の国谷キャスターや元国連難民高等弁務官=緒方貞子さんのような人材がこれからの日本に何人も必要だと思います。

例えば、日本は野球人口が多いから、松井、イチロー、松坂みたいな選手が出てくるのだと思います。

海外で活躍しているIT関連のインド人やニュー華僑と呼ばれる人たちも幼稚園から2カ国語で育てられている人たちではないのでしょうか。

ヨーロッパでも英語の話せるポーランド人はイギリスでたいへん活躍しています。

教育は底辺を広げることで優秀な人材が出てくると思うのです。

話はすこしそれますが、
昨日、友達のフィリピン人とドイツ人と話していて、ふとに『日本語の「らりるれろ」の行に「la, li, lu, le, lo」のカナがあればいいのに...。』と思いました。日本に暮らしているとRとLの違いはたいしたことがありませんが、海外に暮らすと面倒に思えることが多々あります。耳を楽器に例えてみると、日本の雅楽器や三味線で洋楽を演奏しなさいという感じでしょうか。

フィリピンでは幼稚園から英語教育があるとのことで、まずは英語圏の大学や職場の選択圏が広くなるメリットがあるそうです。勿論、言葉は道具と同じともいえるので、それを使う根本的な能力は欠かせませんが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>日本の英語教育が幼稚園からあるといいと願っている者です。
ええと、幼稚園は分類上は学校になりますが、小学校や中学校と違って入学は任意です。そして、カリキュラムは幼稚園の裁量に委ねられる部分が大きいです。ほとんどの幼稚園は小学校の勉強の下準備よりも、絵を描いたり、運動をしたり、歌を歌ったりが主体ですね。
現に、英語を取り入れている幼稚園もありますが、大して意味があるでしょうかね。

>例えば、日本は野球人口が多いから、松井、イチロー、松坂みたいな選手が出てくるのだと思います。
確かに。それと、野球の盛んな国というのも アメリカと日本と韓国、台湾くらいでしょ。しかし、アメリカでは野球と並んで盛んなスポーツであるアメリカンフットボールは日本では存在自体の認知度は高いものの、競技人口はゼロですね。

>海外で活躍しているIT関連のインド人やニュー華僑と呼ばれる人たちも幼稚園から2カ国語で育てられている人たちではないのでしょうか。
これは言葉の問題だけではありませんね。インド人は2ケタの掛け算が暗算出来るそうです。それでも、インドが近代化で大きく立ち遅れたのは長い植民地支配やカースト制度が障害になっていると思います。華僑は商才に長けているからです。

>フィリピンでは幼稚園から英語教育があるとのことで、まずは英語圏の大学や職場の選択圏が広くなるメリットがあるそうです。
フィリピンでは大学進学率が日本よりずっと低いし、海外の大学に入学するにも言葉の壁は低くても、経済的によほど恵まれていないと難しいのでは? しかし、職場にしても英語だけ話せても、何か特技がないと海外で働くには 賃金が安い重労働しかないのでは? 日本人はその点、国内でも大学の選択肢には困らないし、就職口もあるので恵まれているのでは? フィリピン人の中には日本に出稼ぎで来ている人も多いですが、その中で高収入の仕事と言えば、フィリピンパブのようなところでストリッパーやピンサロ嬢まがいなようなことをして、しかも、経営者から多くのマージンをピンはねされるのが現状ではないでしょうか。

お礼日時:2008/02/19 21:20

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