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すごく将来が不安です。
誰しもそうだと思います。
この感情とどう向き合えばいいのか。

今を精一杯生きる、という言葉がありますが、
これなのかなと思います。

もしも、働いても貧乏で、借金がいつもあって、
自分の家もなくて、恋人もいなくて、友達がいなくて、
趣味もなくて、そのほかにいろんなものを持っていなくても、

ただそのときを生きることに頑張っていたら、

満たされると思いますか?

今日で命が終わるものとして生きる。
それで満たされますか?
未来を心配しないですむので、それは楽ですが、
そのぶん明日も、明後日も、無策のせいで苦労します。

いうなれば、物質的な幸福と、精神的な幸福は反比例なのではないかなぁと・・

どう思いますか?

A 回答 (9件)

ANo.6です


おはようございます。

>壊れないかどうか、
>壊れたらどうしようか、
>新たな目標を作っても、
>それの繰り返し、

まずは壊れない小さなものでいいのではないでしょうか?
日本酒のお猪口でも良いではありませんか

それは、ガラスが薄いものに勢いよく水を入れれば割れます
冷やしたガラスに熱湯を注げば割れます
そのコップにあった注ぎ方があります。
壊れやすければ慎重に注いでいくことです。
それには人一倍の注意と時間が必要になります。

割れたらどうしようという悩みよりも
どうしたら割れないようにできるかに悩むことです。

一日一善ということばの実行などいかがでしょうか?
いちにちにひとつだけいい事をする
善いことって何だろうと悩みますよね?
簡単なことでいいんです
挨拶を先にする。落ちているゴミを拾う。
募金をする。貯金箱にお金を入れる。
本を読む、勉強する。
疑問をぶつける、他人の意見を聞く。
さらに疑問を投げかける。
自分を表現すること。

自ら表したことを褒めることです。
一歩一歩歩んでいることを自覚すること
昨日と同じ日を送っていると考えているかと思います
過去と同じことが繰り返されることは
絶対にありません。
似たようなことはあるでしょう
ならば、自分が動いて少し変化をつけてみることです。
失敗はします。
それは過去の出来事です悔んでも取り戻しは利きません
失敗は学ぶことです。
同じ失敗を繰り返す心配をするならば
なぜ失敗したのかを振り返ることです。

目標が脆いものであれば満たされれば
すごい達成感があると思いますよ
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こういった繊細な質問に答えるのは非常に難しいですね。


なぜかというと、たとえば、「頑張る」とか「幸福」とかいう語義に対する解釈が双方で一致しているとは限らないからです。
しかし、それを言ってしまっては身も蓋もありません。
あくまで私的な、つまりあなたの基準ではなく、個人的な私の基準での解釈に基づいて述べてみたいと思います。

>ただそのときを生きることに頑張っていたら、
満たされると思いますか?
:これは誰にも保証できないと思います。
ただ、満たされる確率をあげようとするのであれば、可能な限り、衣食住の将来的保証ということを常に念頭において行動するしかありません。
たとえば、何らかの夢に向けて勉強をすることひとつにしても、これが念頭にあるのと無いのとでは大分違ってきます。

自由や正義というものが大手を振ってあるけるほど、世間は寛容にはできていません。
なせならば、人それぞれに、それぞれの自由があり、正義と信じるものがあるからです。

自由や正義、あるいは潔癖性は非常に尊いものですし、求めるに値するものです。
しかし、それを求めるためには、
身をかがめたり、喉まで出かかった言葉を飲み込んだり、他者にとっての自由や正義というものについて思いを致したりする、いわゆる忍耐が必要になります。

自由であるためには、自由であるための条件を確保するための不自由さが必要になる、ということでもあるでしょう。
ほんの一握りの人はそういったことを無視しても得られるかもしれませんが、それは、ある意味で本当の自由とは言えません。
なぜなら、(精神的な)不自由を体験し、且つそれを乗り越えてこそ本当に安定した自由を手に入れることができるからです。

今eienn君は旅立ちのために羽ばたこうとしていて、足が地面から離れようとしているわけで、どうしても不安定になると思う。
でも、性格上、やるだけやってみないと気が済まないでしょう?
刹那的でも何でもいいんです。
若いうちは誰もがみなそうです。
「>そのぶん明日も、明後日も、無策のせいで苦労します。」
というのは健全な考え方ですよ。
これが根っこにあれば大丈夫。
必要があれば自動的にストッパーがかかると思います。
やるだけやってみればいいんです。

>いうなれば、物質的な幸福と、精神的な幸福は反比例なのではないかなぁと・・
:人間は生ものなので、寒かったり、ひもじかったり、眠たかったりすることを防ぐ手立てが最低限必要になります。
これらを無視して精神的な幸福は得られません。
物質的に満たされたからといって精神的に満たされる、とは限りませんが、物質的に(ある程度)満たされなければ精神的に満たされることができないのは事実なのです。
修業者でない限り、ですが。

あの植村直己でさえ、冒険への費用を捻出するためには(おそらく本人にとっては)屈辱的なご機嫌取りを企業に対してせざるを得なかったのではないか、と斟酌します。

下は、今のところ私の好きな本のベスト10内に入っている本です。
気が向いたら読んでみて下さい。
タイトル通りですが、人生の崖っぷちで、決して格好よくはないが、真摯に、耐えることにすら喜びを見出しつつ、しかし、決して卑屈にならず生きる人の姿が描かれています。
人の可能性は無限ですね。
淡々とした、現代の方丈記とでもいったような印象の作品ですが、何となく勇気の出てくる本です。
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31007450
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はじめまして、


貴方そんなに難しい事考えて、シンドクナイデスカ?、体の変調はアリマセンか、寝られないとか、食欲が無い、ETCなどなど、無ければ、大丈夫です、精神科のDrにカウンセリングを受けるほど出ないですね、ただ人恋しいだけです、難しく考えずに、四国八十八箇所、歩き遍路を遣って見ましょう、自分の足でヒタスラ歩くと、そん事など、何だったんだ、思いますよ。
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不安というのは起きないことに対して沸き起こる感情です。


漠然としたときに起きますよね不安

漠然としなければいいということです。
明確な目標を作ることで
その日その日にやるべきことができます。
それをこなしていくことで将来の自分に繋がる道が
アスファルトで舗装されていくがごとく
一歩一歩が楽になっていきます。

満たされるとは容器(目標)があってこそ味わえるものです
蛇口から水が流れている状態で満たされますか?
と聞かれても
いや、何に?
という答えですよね
小さくても容器(目標)がなければ満たされるということはありません
容器がコップなのか浴槽なのかは人それぞれ
浴槽に満たすためにコップを満たしてそれを注いでいく人もいるでしょう

未来は心配するものではありません
未来は築いていくものと考えてください。

幸福とは?
価値観で変わるものです。
苦労していたその時は不幸だと思っても
のちにその時の苦労が報われたのであれば
その苦労のおかげであったと思うでしょう。

幸福とは他人に決められるものではありません
どう思うかといわれても・・・
自分は比例反比例のような計算できるものではないと思いますとだけ
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この回答へのお礼

目標を作っても、
それは脆く、
まるで水を注げば砕け散るような、
そんな無色透明の硝子で。

壊れないかどうか、
壊れたらどうしようか、
新たな目標を作っても、
それの繰り返し、

そんな気がしています。

お礼日時:2008/03/17 09:17

 「今日で命が終わるという気持ちで生きる」と言うのは偉いとは思います。


ですが、ずっと、そうゆう気持ちではシンドイでしょうね。
 私は「いつ死んでも悔いの無いように生きる」ってのが信条です。
でも、それは、いつでもシャカリキになって生きることではありません。
極端な話、自分がそうしたければ1日中寝っころがってても良いと思います。
(実際、壁の端から端へ日光を追っかけて1日寝てた日もありました。
あんときは幸せだったなぁw)
また、若い時、漫画家志望で徹夜で漫画描いてた時も幸せでした。
要は「自分の心の声」を良く聴くことですよ。
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この回答へのお礼

私はいつ死んでも後悔しません。
惰性で生きているだけだから。

心の声。
静寂はありえない?

お礼日時:2008/03/17 09:11

今日を生きることって明日を夢見ることだと思うんですよね。


明日があると決めつけて私たちは今を生きてますが、
実際『“絶対”明日が来る』って保証はないんですよね。
だから一日一日を大切に、しっかり生きていく必要があるんだと思います。

自分の人生、自分が満足だと思ったらどんなに辛いことがあったとしても、幸福なんだと思うけどな・・・
幸せを測るものさしは人によって違いますからね。

とにかく、楽な人生ってないと思いますよ。
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今日で命が終わると思いながら生活をすることについて、おそらく勘違いをしているのではないでしょうか?



質問者の文章のニュアンスからは、どうせ今日で死ぬんだから好きなことだけすればいいや、と言うような捕らえ方が主かと思います。
明日は生きていないのかもしれないのだから、今まで受けていた善意のお返しをしなければいけない・常に感謝の気持ちを忘れてはいけない、このように思うのが一般的なのではないかと思います。
いつも電話で話している相手にも、改めて口で言うのには気恥ずかしいことを手紙にして送ってみたりなど、そのような行動で満たされるのではないかと思います。

>もしも、働いても貧乏で、借金がいつもあって、
自分の家もなくて、恋人もいなくて、友達がいなくて、
趣味もなくて、そのほかにいろんなものを持っていなくても

このような状況を想定するならこのような人は、精一杯努力する方向を単純に間違えているだけなのではないかと思われます。
努力をしていればまずこのような状況になりえませんし、仮に借金が支払えない程度あればそのような人なら破産宣告で綺麗にすることも色々と方法は考えられます。
恋人・友人・趣味・その他につきましては、その人の人生の軌跡の結果であり、作る必要がなかったか作る努力もしなかったかかと思います。

決して『今日で命が終わるものとして生きる』と言うことは、明日明後日のことを考えず無作為に生きること事ではないと思っています。
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幸福というのは自分がどう思うかで決まるのだと思います。


不幸と思えばどんなにお金持ちでも友人がいても不幸ですし、自分が人から見たらどれだけ不幸でも自分が幸福だと思えば幸福です。

自分が認知する世界がすべて

ということを何かの本で読みました。
私もお金が無いときは「宝くじに当たって3億円あるけど、今は別にほしいもの無いからかまわないかぁ」とか思って気を楽に生きてます。

あまり悩まず、毎日を楽に生きてみてはいかがでしょうか?
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この回答へのお礼

アウトローな人生で、
悩まずにいられません。

考察癖もあり、
破滅的ともいえる刹那主義でしか、
自分は救われないのではないか。

お礼日時:2008/03/16 12:32

 一生のうちで1日というのは、非常に短いと感じるかもしれません。

しかし、生きるために生まれてきたということ、何かの役割を担ってこの世に生をもらったことを感謝するべきです。人間関係が悪化しても3年間以上はその状態が継続しないと思います。その間に、自分のスキルを磨く、気持ちの整理することで、心を磨くことが大切であると思います。
 とにかく、人間は、役割を持っているはずですから、趣味を持ち、人間関係を維持しつつ、生きることが必要です。借金、その他の障害があったとしても、努力するべきです。
 悲観的な考えは、自分から逃げているだけですので、解決方法は見つからないと思います。したがって、もっと前向きに、こうしようとか、こうしてみたらという試行錯誤の中で、自分を見出してほしいと思います。
 今、努力されていることはありますでしょうか?人間は貧富の差があるようにできている社会です。あって当然ですし、だからこそ、人間が向上しよう、生活を改善、向上しようと努力するものであると考えます。
 貧富の差はやむないことですし、確かに指摘のとおりお金持ちでも精神的なプアーな方もいるでしょう。でも、お金持ちにはお金持ちの苦労があるように、生活レベルによって悩みはあるものです。
 意識を変える努力をされることを勧めます。
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この回答へのお礼

???
なんか、回答の的が外れているような気が・・・

お礼日時:2008/03/16 12:25

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