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クマソタケルを征伐する場面から言われたのだと思うのですが、
ヤマトタケルは男色だったのですか?

A 回答 (3件)

??? は?


質問文自体が意味不明だけど
ヤマトタケルの伝承のなかに
男色の行為を示すような部分はないです。
女装しただけ。
奥さんつれて軍船に乗って
嵐にあって奥さんが入水した話もある。
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>ヤマトタケル クマソタケルを征伐する場面から言われたのだと思うのですが



記憶があいまいですが、クマソタケルを征伐するための人数が少なく、クマソタケルに近づくために、女装したように思います。クマソタケルのうち、オトタケル(弟健)を刺したときに、大和の勇者との意味で「ヤマトタケル」をオトタケル(弟健)に献じられたように思います。ヤマトタケルの物語を読むと、女装したり、刀を隠し持ったり、だまし討ちが多く、現代から見ると卑怯な感じがしますが、当時としては天皇の命令を守り、知略を用いたということなのでしょう。古事記には他にも力のあるものに名を献じた例があったように思います。相手に本当の名(忌名-いみな)を名乗ることは、相手を上位者・支配者と見ることですから、名を献じることには類似行為のように思います。
ですから、女装や名前を献じることが男色の証明にはならないと思います。

雑駁な話で申し訳ありません。参考までに。
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クマソタケルを征伐する場面とは、


おそらく古事記の
「その背皮を取りて 剣を尻より刺し通したまひき」
を指していると思われます。

HNから女性の方だと思われ、
「クマソタケルを討伐する場面」とだけ書かれ、
表記を憚られたのではないかと推測します。

剣は男根の象徴とされます。
それを尻から刺したのだから性交だ。
ヤマトタケルは男色だ。
と、考えられたのではないでしょうか。

しかし、
古事記の記述をもう少し前から見てみると、
クマソタケルは二人いて、
兄は
「衣の衿を取りて 剣もちてその胸より刺し通したまひし」
とあります。

つまり
兄⇔弟
衣の衿⇔背皮
胸⇔尻
と、対句表現になっていることに気がつきます。

ですから、
「兄は前から、
 弟は後ろから(古事記には「逃げた」からとも書かれています)
 討ち果たした」
の解釈で良いのではないでしょうか。

何より、あくまで、尻であり尻の穴ではないのですから(苦笑)
尻とは最後の意、後ろの意味です。

もちろん、
戦国武将の織田信長に代表されるように、
英雄に男色はツキモノとされ、100%否定はできませんが、
ヤマトタケル男色説は、
尻と剣を拡大解釈した(し過ぎた?)ユニークな説
(悪く言えばトンデモ説)ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

そうなんです!
おっしゃるとおりです。
友人から、ヤマトタケルは男色だったと聞かされ、驚き、疑問に思い、質問しました。
「ヤマトタケル」「クマソタケル」「男色」のキーワードでわかる方はわかる!と思い、大雑把な質問になりました。
前後をよく読めば、対になっているのですね。
なるほど!納得です。
ヤマトタケルも双子でしたよね。
そう考えると、古事記には対になる表現がたくさんありますね。
やっぱ、トンデモ系ぽいですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/04/04 17:05

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