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「数字の1とは何なのか?」を考えてます。

そもそも数字とは何なのか?
目の前の対象を数えるために順序づけられたものであった
り、対象となるグループについて調べるためのものであっ
たり、野球の背番号のように数字自体に特に意味はなかっ
たり。

「何もないこと(空集合)が存在することを数字の1とする」
といった事は聞いたことがあります。確かにこう定義すれば
集合の要素の数と数字の対応を取り続けることができるとい
うことは何となくイメージできます。
 ですが、例えば「まんじゅうの入っていない箱が在る」こ
とも数字の1とできないのでしょうか?
 
 日常において電子機器を扱うのに原子・電子そのものを深
く知らなくても困らないように、数学について考える際には
数字そのものの意味についてあれこれ考える必要性はないの
でしょうか?

A 回答 (5件)

 1とは何かですか。


 岡潔という数学者が昔いまして、晩年にエッセーを書いていたのですが、これが、まあ、何というか、いわゆる天才の文章でして、すごいのですが、1とは何かは、無生法忍(確かムショウホウニンと読みます。字が違ってたらスミマセン)という悟りの境地に達しないと分からないと、ある坊さんに言われたと書いてました。
 数学的にはstomachmanさんのおっしゃる通りなのですが、これまたstomachmanさんのおっしゃる通り、これは哲学系の話でしょうね。
 数学には無定義用語という言葉があります。幾何において、点とは何か、直線とは何か、平面とは何かを説明しようとしたら、どうなさいますか? ユークリッド原論には、点とは部分を持たないもの、線とは幅のない長さ、などの定義があるそうです。でも、部分って何? 幅って何? 長さって何? 等、いくらでも突っ込める。
 これに対して、ヒルベルトという人が「幾何学基礎論」という本で画期的な答えを出したそうです。その答えとは。
 点とは何か。直線とは何か。平面とは何か。こういう問いには、数学は答えないという答えなのです。さらに例えば点Aが直線mの上に乗っていて、直線mが平面αに乗ってれば、点Aは平面αに乗っている。ところが上に乗っているという言葉についても、数学は定義しない。数学が扱うのは、実体ではなく、関係なのだということでしょう。実際、関係だけを扱えば、幾何学はやっていけるということを、この本で示したらしいです。そうしたことから、点、直線、平面、上に乗っている等の言葉を無定義用語と呼ぶことになったのです。「幾何学基礎論」は今、ちくま文庫で出ているようですので、読もうと思えば、手軽に買えます。ただし、私は読んでませんので、読みやすいかどうかは分かりませんが。
 そんなわけで「1」もまた、無定義用語に近いという考え方が出来るでしょうね。何だか、ずるいという気もするでしょうが、実体についての定義がないので、約束さえ成り立てば、何にでも応用が利きます。
 でも、やっぱズルいかな?
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 どっちかつーと、哲学カテ向きの話のように思います。



 とりあえず「数字」と「数」をきちんと区別なさった方が良いと思う。数字は文字の一種です。「一」と「1」と「I」は全部違う数字である。しかしそれらが表す数は全部同じである。
 で、背番号は(数字が表す数ではなく)数字そのものを記号として使っている訳です。

>「何もないこと(空集合)が存在することを数字の1とする」

 「存在すること」と仰るのは「そこに在ること」「眼前に在ること」って意味で仰っているのでしょう。
 数字は「そこに在る」こともある。けれども、数は決して「そこ」にはない。数は、どこかの空間を占めるような存在の仕方をするものではない。(そういうものは他にも一杯あります。心だとか、動きだとか、事件だとか。たとえば、「心」という文字がそこに在っても、心がそこに在るわけじゃない。)なので、「そこに在ること」という意味での「存在すること」という文言は入れるべきじゃないでしょう。
 数学でいう「存在」は「そこに在ること」という意味ではなく、「コノヨのどこかに在る」という意味ですらない。本当のところ、現実とは関係ない全く抽象的な概念なんです。

 なお、標準的な数学では、空集合{}が数0を表し、空集合を要素として含む集合{{}}(つまり{0})が数1を表し、そして{0,1}(つまり{{},{{}}})が数2を表す、とします。集合の要素の個数と、その集合が表す数とが一致している訳です。このような、個数を表す数を「基数」と言う。一方、順番を表す数(1番目、2番目…。first, second,…)を「序数」と言う。数学で無限個の対象を扱う際には、両者を厳密に区別する必要があります。

> 「まんじゅうの入っていない箱が在る」ことも数字の1とできないのでしょうか?

 1という数を「まんじゅうの入っていない箱」のことだと考えるのは、一向に構いません。解釈については数学の与り知らぬところだからです。
 で、その解釈が、自己矛盾のない辻褄が合ったものになっているかどうか、さらに現実の現象と喰い違わないものであるかどうか。それは数学の問題ではなくて、数学を応用する分野(この場合は「まんじゅうの箱学」でしょうか)の問題です。

> 数学について考える際には数字そのものの意味についてあれこれ考える必要性はないのでしょうか?

 純粋に数学をやるとき、あるいは計算をやるときには、数そのものの意味を考える必要はありません。というのは、数学は徹底して意味を排除している。その結果、現実と関係がない。だからこそ、現実に縛られない抽象的な概念が扱え、そして現実のいろんな現象に応用できる。
 数学を応用する時には、応用する対象となる現象に合わせて数学の抽象概念の解釈(解釈とは、たとえば、「数1が現実の何を表しているものと考えるか」という決めごと)を決めます。その解釈が適切であれば(1+1を「まんじゅう1個とまんじゅう1個、あわせていくつ」と解釈しても、あるいは「1m進んでさらに1m進んだら何m進んだでしょー」と解釈しても)数学の答が現実の答と合うし、解釈が不適切なら(「おもち1個におもち1個をくっつけたら、合わせて何個?(答は1個)」)合わない。
 つまり、数学を現実の問題に応用しようとする場合には、その応用における数の意味をはっきり決めることが重要である。最低限、数(や足し算や、その他あらゆる数学の概念)がその応用においては何を表すか、という解釈が明確でしかも一貫していないと、(いわゆる「ポストモダン」と呼ばれる似非哲学者どもの著作のように)ハチャメチャになってしまう。(もちろん、単に一貫しているだけでは不足だということは、おもちの例でお分かりでしょう。)なので、数(やその他あらゆる数学の概念)の意味を、じっくり考えることが必須です。
 ですが、ひとたび応用の仕方(つまり解釈の仕方)が確立できてしまうと、もはや「あれこれ考える」までもない。単に計算をやるだけであって、計算とは規則に従って文字(数字や記号)を機械的に操作するだけのことです。
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0 なにもない状態


1 何かが一つある状態。

私宅には、uv_protect_50 と言う化粧品が1つあります。
こう言う表現ですね。 この考え方は、後年・プール代数で
発展していきましたが、

3と言う数値に困ってしまい、西洋では、60進法・12進法が
先に生まれました。時間は、1日→24時間→24×60分→
24×60×60秒  これですね。

また、お金の数え方では煩雑になるので、10進法と
3桁 表示が生まれました。 0123456789 繰り上がって 10.
1→1.000→1.000.000  日本では中国儒教の影響にて、
1.万・億・兆・京・ガイ  が平行しているので
数えにくいこと。

物理・電気  では、
1.k.M.G.T.S などと 三桁表示します。

★ 1とはそう言う、抽象的な概念 と覚えておいて
良いのではないかな。
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>そもそも数字とは何なのか?


物の個数を抽象化した概念だと理解しています。なので具体的な実体はありません。

「何もないこと(空集合)が存在すること」は集合論でよく見られる {φ} による自然数 1 の形式化ですが、それも「数字 1」の具体例のひとつです。

「まんじゅうの入っていない箱が在る」ことも
「まんじゅうそれ自体」も
「野球の背番号」も

『ひとかたまり』として把握できるものすべてを「数字 1」として抽象化したのです。

。。。何を言っとるのかワカランな。。。
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もともと数の表記が数える対象物と記号との一対一対応であったのです。



もちろん約束事ですからどう定義しても構わないのですが、長く定着してますから、新しい約束事は受け入れるのに時間と労力が要求されるため難しいと思います。
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