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先日友達から思想と言うものを教わりました。
中国古典と言う本らしいです。
性善説か性悪説のどちらかを取らないといけないと
いわれました。

皆様は性善説、性悪説どちらを取っていますか?
またなぜその様に考えるのでしょうか?
教えてください。
(どんな思想本を読んでいるのかも教えてください)

私は人間は非情で利己的であると思っています
私はどちらの説になるのでしょうか?

A 回答 (14件中11~14件)

性悪説です。



本は読んでいませんが、
私は人間には“あえて”悪に向かおうとする性質があると、
考えています。

先ほど、他利用者の身長に関するアンケートを見かけたので、
それを材料に例を挙げます。

「背が低い男性は損か」という質問はよく見かけます。
確かに損だと思います。

顔や身長は子供に遺伝するので、
(注意:身長は以下で述べるように環境の影響も多い)、
意識的にも無意識的にも、女性がルックスにこだわるのは、
ある程度仕方ないと思います。

先天的に背が低い体質なら、それは私は仕方ないと思います。
生まれつき背が低いのもその人だと私は思います。
(自分が当事者でないのでエラそうな事は言えないが。)

しかし、私がどうしても納得いかないと思ってやまない、
女性の性質がありますので、以下でそれを述べます。

顔はほぼ遺伝でも、身長は育った環境の影響も大きく受けます。
つまり、
【A】先天的要素(体質)
【B】後天的要素(成人前に過ごした環境)
この両方で決まります。

で、子供に引き継がれるのはAの部分だけです。
つまり、子供時代の環境が悪いと一生損をすることになります。
しかも、Bの後天的要素には「時限性」があります。
10代までにほぼ決まってしまい、その後は変えられません。

例えば、同じ175センチの男性でも、
(X君)先天的に背があまり伸びない体質で、
   恵まれた環境で育って175センチの人。
(Y君)先天的に背が伸びやすい体質で、
   180以上になってもおかしくないが、
   栄養不良や育った環境が悪くて、
   環境のせいで175センチになってしまった人。
この両方がいます。(もちろん後者は少数派だが。)

子供に引き継がれるのは先天的要素(体質)だけなので、
同じ175センチでもY君と結婚して子供を産んだ方が、
子供が背が高くなる確立が大きいはず。

Y君は、女性が望むような遺伝子(背が高くなる種)を
持っているのにも関わらず、女性に認められない事もあります。
つまり一言で言えば、Y君は「損をしている」わけです。

しかし、そうとはわかっていても、
世の女性の中には、わざわざY君のような男性を見下し、
X君の方がかえってモテたりするような気がします。
(私が「性悪説」を肯定する根拠となっています。)

いや、もちろんそうでない女性もいます。
確かに性善女と性悪女の両方がいます。
しかし全体の平均を取ると、
性善女と性悪女では、性悪女のが美人が多い。

これが意味するものは、
『人間には、あえて悪の方向に向かおうとする性質がある』
ということです。

それは男もそうなのかもしれませんが、
男性の私から見た、
異性(=女)の『性悪説』を述べてみました。

これが学歴でも言える事だと思います。
詳しくは、私の以下の質問への回答に対する補足をご覧ください。
http://okwave.jp/qa3952501.html?check_ok=1
ここの補足に関連事項をかなり詳しく書きました。

生物として優れている事と、人間として優れている事は違い、
(女は特に両者を区別する)
努力ではどうにも出来ない事もあると実感させられました。
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回答にならないかもしれませんが、思想などというものは時代によって変わるものだし個人的な考えですから、その考え自体を他人に押し付ける行為そのものが無意味なことだと思います。


どこそこの本に書いてあったから、これが正しい考え方などというのは欺瞞にすぎません。
戦争行為にしても公害問題にしても、そのときの常識は後世において非常識と判断されています。
その上で、あえてお答えするなら性悪説でしょうかね。
性善説というのは自分に都合の良い考えで、今までは極端な災害もなかったのだから、これからも無いだろうという楽観的な考え方でしょうか。
これは阪神大震災などのように、今までの経験以上の災害が起こると通用しませんでしたね。
でも、必要以上に警戒しすぎるのも不経済と言われる・・・
難しいですね。
人間関係においても、性善説、性悪説という単純な割り切り方はできません。
性善説か性悪説のどちらかを取らないといけないと言うような思想本は現在の通念から考えて稚拙な考えというか、極端な考え方でしょう。
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 まず、ご質問者さんの問いかけについて、私の意見を述べようと思います。



>私は人間は非情で利己的であると思っています
>私はどちらの説になるのでしょうか?

 間違いなく、性悪説だと思います。「人間は元々悪いものだ」というのが性悪説ですから、「非情」で「利己的」という悪い面が人間の本質だとするのは、性悪説そのものだと思います。

 それから、「性善説と性悪説のどちらを取るか」についてですが、これは質問のされ方に対して想定外の回答になりますが、私の考えは、「どちらも正しい」、すなわち、「性善説も性悪説も、どちらも人間の本質を正しくとらえたものだ」というものです。

 何だか禅問答のような回答で混乱させてしまうかもしれませんが、こう考えるようになったのは、何年か前に売れた、養老孟司(ようろうたけし)さんの「バカの壁」、「死の壁」を読んでからです。いろいろ参考になることが書いてあったのですが、その中に、「一元論」「多元論」について書かれてあったのです。そして、それに自分の考えを加えて、「この世は多元論で成り立っているのではないか」と考えるようになりました。
 「性善説が正しい」、「性悪説が正しい」と、一つの真理だけが絶対的に正しいとするのは、一元論です。宗教で言うと、唯一絶対神や排他的なユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教などが、いずれもそのような考え方と言えると思います。それに対して、日本のような多神教は、一つだけのものが絶対的に正しい、というのではなく、あれも正しい、これも正しい、と、いろいろな真理を認めるものです。その反面、矛盾も生じたりするのですが、それはそのままにしておくのです。上の養老さんの著書にそこまで書かれていたわけではありませんが、この世の中の現象やこれまでの人類の歴史などを振り返ってみても、どうも一元論というのは、危険でもあり、視野が狭いというか、物事の本質をとらえるには不十分なのではないか、と思うようになったのです。例えば、物理学でも、光は粒子性と波動性の二面性を持つ、といった、理屈では矛盾するけれども、実験事実ではそう認めざるを得ないことがあったりして、物事をとことんつきつめると、一元論では行きづまってしまうのではないかと思うのです。
 話を戻して、性善説と性悪説についてですが、これらも、それぞれ思想家が経験に基づいて打ち立てた論理であり、それぞれにそれなりの合理性があるものだと思います。そのどちらが正しいか、と考えを突き詰めれば、私は、「どちらも正しい」ということになるのではないかと思います。
 禅問答のようでもあり、また一番ずるい答えかもしれませんが、私はこれまでの経験から、そう考えております。
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性善説、性悪説、私はどちらも採りません。

理由は、単純にこの概念がどうもあまり好きになれないだけです。

岩波ジュニア新書の「ヨーロッパ思想入門」は名著です。読んで損はありません。平明に書いてあるのでスラスラ読めます。

あとはPHP新書の、佐伯啓思の「現代文明論」の上下巻((上)「人間は進歩してきたのか」(下)「20世紀とは何だったのか」)が面白かったですよ。氏が京都大で行った教養科目での講義を元にした本です。思想というよりは文明史観の本ですが、この本も読んで損はないと思います。

参考にならなくてすみません。
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