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今まで生きてきて、常に自問自答してる事の一つなんですが
国語の五段活用って何の為に覚えて結果実生活でどう役立つのですか?

常用漢字、筆記体、微分積分や加法定理、円錐の体積、地歴、公民、化学式、等々・・・
例えばこうゆうのは完全に忘れても、万に一つ千に一つ使うかもしれない。
その時にまた紐解けばいいんですが、五段活用って・・・。

A 回答 (11件中1~10件)

五段活用に限らず文法はその言語に対する概念の整理で、抽象的なものです。


実生活に役立つものではありませんし、その目的で文法があるわけでもないでしょう。

日本語がどういう言語で、他の言語と比較したり、また言語から思考の方法を考えるときの手がかりにすることも出来ます。

他の例えでいうなら、掛け算の九九は覚えなくても足し算からいくらでも計算は可能です。そんなとき九九は覚えなくていい、自分は足し算で出来る、と言ってなんの間違いもありませんが、九九も必要ですと先人が言うようなものです。
文法なんか知っても一般生活にはなんの役も立ちません。
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#9です。


いろいろ好奇心があるような方とお見受けしましたので、補足質問にお答えします。

例えば日本民俗学というのがあります。これは、現在残っている風習や方言に関する膨大な資料を集め、比較検討して、我々や、我々の親や、その親の親や、先祖達が、どういう生活をし、どういう物の見方をして来たのかを調べて行くことによって、現在の我々が生きている世の中や世界を我々がどうしてこのように見ているのかを探ろうという学問です。貴方は決して突然何もないところから生まれて来た訳ではなく、貴方の気がつかないところで、先人達の作り上げて来た膨大な文化の影響を受けているのです。例えば貴方は日本語で物を考えますが、きっとエチオピア語では考えないでしょう? ですから、自分の埋め込まれている文化がどういう歴史を通って来たかを理解していないと、貴方自身、自分が本当は何であるのか判っていないのです。

例えば、日本民俗学では方言等を
1)動詞の活用の変化の変遷(現代文の活用、古文の活用など)
2)地方による名詞の名付け方の違い(デンデンムシというか、マイマイといるかなど)と、その地理的分布
3)昔は名詞だったものが現在では動詞でだけ使われている言葉の分析(動詞:ならす=平らにする、名詞:奈良(なら)=平らなところにある城都=平城京。動詞:しなる、名詞:信濃の国、しな=坂)
等々、いろんな角度から調べるていますが、そのことが判ってくると、日本人て何なのだろう、とか、自分はどんな文化の影響の結果のもとに存在するのだろう、とか、私って何なのだろう、などと言う、誰でも一生に一度は真剣に考える問題に付いて、深みのある認識を手に入れることができるようになるのです。

その質問の答えを出すためには何も貴方が日本民俗学者にならなければいけないといっ言っている訳ではありませんが、例えばその学問の到達したものを啓蒙書等で読んでいるかいないかでは、自分に対する認識の深さに大変な違いが出て来ます。このようなとき、例えば五段活用という言葉で何を言っているのかを一度も教わったことのない人には、大変なハンデキャップがあるのです。貴方が成人して何時か機会があったら、柳田國男などの日本民俗学の本を読んでみて下さい。その時になって、私の言っていることが成る程と判るはずですから。

もちろん、日本民俗学はほんの一例です。あらゆる学問や芸術などの知的営みは、結局、自分て何なのだろうという真剣な問題に対する答え探す時の指針を与えてくれるのです。
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一つにはその後不明な語句に出くわしたときなどに


調べたり理解する下地となりますね

より正確な言葉を使おうとしたときにも
その語句を辞書で調べ→活用形を確認することで、使用したい活用を確実な形でできます。
小学生でも、といいますが普段使わない言葉を使う必要が出てきたらどうします?

もう一つは体系だてて累計されること
文法という
方法そのものを学ぶこと

その後言語系への進路という道を開くためのもの。
全員が進むわけじゃありませんが
基礎知識がなければその学問への興味も開かれませんし
それから学習していては時間が足りません。
他の教科にだってその要素はあります。
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今の世の中で大変間違っていることの一つに、役に立たないことは教える必要がないと言うことを、教育界の指導者まで含めて本気で思っていることだと思います。



並な人間なら、誰でも必要に迫られれば、その時になって何とか人に聞くか自分で調べるかして、それを勉強するものです。ですから、教育の大変重要な使命は、そんな自分で調べれば判るようなことを教えるのではなくて、一見役に立たないと見えることの中で、教育者がどういうものが人間の生活や心を豊かにしてくれるのかを見抜いて、それをまだ未熟な方に教えることなのです。さもないと、その方は一生それを知らずにいて、幸せになるチャンスを逃してしまうかもしれないからです。

例えば、普通の成人は日本語の語彙を多分5万から10万位は知っているはずです。ところが、その言葉の中でどの言葉もいつか本人に使われてみたいと待ちこがれているのに、結局一生その言葉を口に出して使ってもらえなかったという言葉の方が圧倒的に多いのです。しかし、その言葉を知らなければ本も小説も読めません。昔は男言葉と女言葉と大分はっきり分かれていましたが、女性は男言葉を使いませんでした。でも、女性は皆男言葉を知っていました。一生一度も使わないから、そんなもの教える必要も教わる必要もないと言うのは、あまりにも短絡な発想です。

他の例では、「各国の首都の名前を覚えて何の役に立つのか」という質問です。そのの答えは、将来万が一貴方が、例えばソフィアと言う名の町を訪れたとき、「ああここが昔教わったブルガリアの首都か」と思い出せる場合の印象は、それを教わったことのない場合の印象とは全く違うもので、その町を訪れたという喜びは何倍にも大きくしてくれる可能性があるからです。喜べるって良いことですよね。

五段活用にしても、#4さんの例のように、正しい日本語がしゃべれるようになるばかりでなく、例えば、将来貴方が「私って何だろう、どこから来たのだろう、生きているってどういうこの何だろう」等々の答えが知りたくなったとき、生まれ育った地方の歴史や方言に突然興味を持つようになり、その方言の変遷などを探って行くうちに、活用の変化がカギになって、突然自分が何であるかが判るようになることもあり得るのです。

学問を通して身につけることは、将来それを貴方が必ず必要とするからではなくて、貴方の生活を思いもかけない方面から豊かにしてくれる可能性を身につけることなのです。

もし貴方がまだ大変若い方だったら、「目から鱗が落ちる」という経験を余りしたことがないかも知れません。しかし、これから成長して長い大人の生活をするようになると、その経験を何度もするようになると思います。そのような経験をして行くうちに、自分には考えも付かなかったようなことやものが、自分をどんなに大きく成長させてくれるものであるか、だんだん判るようになって来ます。

豊かな人と貧しい人の最も大きい違いは、豊かな人が貧しい人よりも物をより多く持っていることではなく、豊かな人には貧しい人にはない可能性をより多く持っていることなのです。たとえ物質的には豊かでなくても、心の中により多くの可能性を持っている人は、将来、それを持っていなかった人ではなかなか味わえない幸せを感じることがで来る可能性を持っている、「豊かな」人なのです。
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この回答へのお礼

>生まれ育った地方の歴史や方言に突然興味を持つようになり、その方言の変遷などを探って行くうちに、活用の変化がカギになって、突然自分が何であるかが判るようになることもあり得るのです。
意味がいまいち判らないんですが、歴史や方言を調べるカギが何故五段活用で調べた結果にどうして自己陶酔出来るのですか?

お礼日時:2008/05/25 00:42

>でも五段活用知らない小学生でも


日常生活と口語学習で自然と間違えないのでは?。

⇒方言や、ローカルな用法、仲間うちだけの隠語的な用法に引っ張られてしまうおそれがあります。

活用はなにも五段活用だけではありません。いろいろな活用の区別があるんだということを知らなければなりませんし、活用だけでなくいろいろ文法全般を知らなければいけません。そんなの必要ないと一切うけいれなければ、将来、社会生活をしていく上で、困ることが多々出てきますよ。また、他人からバカ扱いされたりしますが、その種は自分自身がまいているのですから、文句もいえませんよ。そんなことになったら、あなたは平気ですか。わたしなら絶対にいやですね。

価値観の相違がありありですので、あなたを納得させようなどとは思いませんが、参考まで。
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 No.1です。


 追加説明になりますが……

 五段活用などを勉強しているはずのあなたが、

> でも五段活用知らない小学生でも
> 日常生活と口語学習で自然と間違えないのでは?。

 と、書かれました。
 ですがこの文章には、間違いがいくつか含まれていますね。
(また、こうした場では丁寧な言葉遣いをするのがネチケットですので、「でも」や「では?。」ではなく「ですが」「でしょうか?」といった表記を心掛けましょう。)

 あなたがこうして身をもって示してくださったように、日本語は難しいです。
 ですから、みんなが正しく使うための指標として、五段活用などを学ぶのです。
 五段活用やさ行変格活用といった「活用」は、簡単に言えば動詞の変化の仕方の「公式ルール」のようなものです。
 みんなが守らなければルールの意味がありませんから、(自然に覚えると間違ってしまう可能性があるため)学校で教えているのです。
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仕事で役立つというケースが一番頻度が大きいと思います。


私の仕事では五段活用は役に立ちませんが、化学式、数学等は、必要に迫られた時に役に立ちます。

でも、必要と分かってから、すぐに役に立つわけではありません。
「こういうのを習ったな」という記憶が手がかりになるのです。
ある問題に直面して、「そういえば、こんなこと習ったな」という記憶が思い出されたら、ネットなどで、必要な情報を入手して復習するのです。

>その時にまた紐解けばいいんですが
まさに、これです。
その時に紐解けるきっかけが必要だと思います。習っていなければ紐解くことができません。
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「おもねる」が五段活用であると知っていれば、「大衆におもねて」が間違いであることがわかります。


「ふせる」が五段活用であることを知っていれば、「床にふせって」が間違いでないことがわかります。
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万に一つ千に一つということなら、可能性はあります。



家庭教師、塾講師、国語の教員として、または自分の子供などに教える場合等です。
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この回答へのお礼

だから何に使うの?

お礼日時:2008/05/24 22:38

 


最近は「ら」行の五段活用ができない人がおおいな~.....


 
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