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あくまでも、江戸時代での具体的な例で教えて下さい。乳母が城中で乳を上げるときに、自分の子供をどうしたのでしょうか。1.子供を連れて行った。2.自分の子供は他人に預けた。3.乳飲み子を抱える母親は乳母にならなかった。いずれにしても、具体的な例を知りたいのです。

A 回答 (4件)

乳母の子供は基本的に主人の子供とともに育てられます。

というのも相続権がなくかつ兄弟同然に育った乳母の子達は、乳兄弟と呼ばれもっとも信頼の置ける側近となれ、それゆえそう言った目的でともに教育されます。

乳兄弟として一番有名なのは木曾義仲の家臣今井兼平ですが、調べてみればたくさんいるでしょう。彼らは身分は低いので知名度は低いですが、側近として主君を影から支える存在となったはずです。
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子供を育てた経験があればすぐにわかるのですが、


乳母になるのは生まれたての乳児を抱えてる女性ではなくて、
1~2歳ぐらいの幼児をもつ母親なのです。
そういう人で乳の出がいい人が選ばれるのです。
よって乳兄弟は、主君の子供よりも年上です。
彼らはその後も学友として、あるは小姓としてこの子に仕えます。
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この回答へのお礼

大変有り難うございます。あくまでも、江戸時代に限定しての話ですが、乳母は自分の子供を連れて城中に入り、藩主の子供と一緒に育てたといえるのでしょうか。高い位の武士の妻はそうしたかも知れませんが、実際には町人の妻とか下級武士の妻が乳母となっている例も見られるのですが。

お礼日時:2008/06/16 20:36

 春日局(三代将軍「徳川家光」の乳母)の場合は、自分の子供である稲葉正勝を連れて行っていますね。


   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E8%91%89% …

 先に回答されている方も仰っているように、乳兄弟は、幼少の時は学友であり、成人した時には最も信頼できる家臣の1人になります。(稲葉正勝も老中・相模小田原藩8万5千石の大名になります。)

 春日局の父は、あの明智光秀の重臣だった斎藤利三(六条河原で斬首)ですから、身分云々以上の立場ですし…。
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この回答へのお礼

大変有り難うございます。参考になりました。できればもっと多くの例を教えて頂きたいのですが。

お礼日時:2008/06/17 05:38

>乳母は自分の子供をどうしたのでしょうか


>あくまでも、江戸時代での具体的な例で教えて下さい。乳母が城中で乳を上げるときに、自分の子供をどうしたのでしょうか。1.子供を連れて行った。2.自分の子供は他人に預けた。3.乳飲み子を抱える母親は乳母にならなかった。いずれにしても、具体的な例を知りたいのです。

具体的な例とのことですが、どの文章であるのか忘れてしまっているので、趣旨だけでご勘弁下さい。

まず、乳母に二種類あって、母親代わりで教育・養育担当と、乳を上げる担当とです。
乳を上げる担当は身分が低いものが多く(町人・農民でも良かったようです)、健康で乳の出が良いものが選ばれました。一人ではなく、何人かいて、交代で乳を上げたようです。赤ん坊に影響を持たないように頭巾のようなものを被り、授乳した記述を呼んだ記憶があります。全てではないでしょうが。乳の出がいいのですから、当然乳母にも赤ん坊がいます。自分の子供にも授乳しますので、時間性で授乳し、家にかえる場合と、長屋のようなものを与えられて、期間だけ住むような場合も有ったようです。
これに対して、母親代わりで教育・養育担当は城中に常駐です。別に乳が出なくても良いわけで、役目の性格上身分が高い者の妻女などが選ばれました。子供も常駐し、学友兼御付となることが多いようです。江戸初期に殉死が行われたときに、男色関係、特別の引きによる出世のほかに、乳母子との例も多く、主君と乳母、乳母子の関係が垣間見えます。また、他の方も指摘されているように春日局の例は有名ですが、彼女は母親代わりの方であり、逆賊の娘ということより、大名級の武士の妻だったり、公家社会とも関係があったことが採用された基準だったと思います。

以上、具体例も示さずに書きました。参考まで。
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この回答へのお礼

大変丁寧なお答えを有り難うございます。

お礼日時:2008/06/22 16:49

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