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こんばんわ。

あの宮崎死刑囚に死刑が執行されました。
死刑判決から2年、事件から数えると20年ということですから、
「ようやくか。というか、まだ生きてたのか、こいつ」
というのが正直な感想です。

でも、世間では現鳩山大臣の下で死刑執行数が増えているということで
(といってもまだ102人も死刑未執行の人間がいるんだぜ)
またぞろ、死刑廃止論者達が騒いでいるようですね。

私は死刑制度存続論者です。理由は
(1)人の命を(理不尽に)奪ったものは、(原則として)
 自らの命で償うべきである。
(2)命を奪われた被害者、また被害者遺族の「仇討ち」を
 国家は代行すべき義務がある。

大きくこの二つです。私は宮崎被告のような人間に人権は認めません。
とても残念なことではありますが、世の中には人権を与える価値の無い
人間がわずかながら存在します。そういう人間は社会の安全を維持し、
公正さを保つためにも、国家が粛々と抹殺しなければならないし、
またそういう権限を国家に堂々と与えるべきです。

死刑廃止論者は事あるごとに、「死刑廃止は世界の圧倒的トレンドだ」
などと言いますが、一国の法律論や刑罰論というのは、その国の歴史、
民族性、精神性、宗教観に深く関わることであり、「他国がどうだ」
などということは全く関係ありません。(日本人の価値観が変わらない限り)、日本が世界でただ一つの「死刑制度存続国家」になったとしても、なんら恥じ入ることはありません。

また廃止論者は「終身刑制度」を導入し、凶悪犯罪者の贖罪意識を
なんとか起こさせることを言っています。
でも、例えば、この宮崎が、例えば終身刑で寿命まで生きて、
その間に悔い改めて、人間の心をとりもどす可能性が100%ありますか?

もう一度聞きますが、100%ありますか?

100%の可能性がないのなら、上述(2)の被害者、被害者遺族の「仇討ち代行」が優先されるべきです。宮崎はこの期に及んで、「自分は無罪」とほざいていたようです。また「絞首刑」による死をとても恐れていたらしい。20年という長い時間をかけても悔い改められなかったこんな人間は、(残念ですが)、その恐れていた絞首刑によって、少しでも
被害者、被害者遺族の苦しみを知るべきです。

長くなりましたが、私はどうしても、どう屁理屈をこねられても、
「死刑廃止論者」の考えがわかりません。
私が間違っているのでしょうか?

(補足)ただ、唯一、留保事項があるとすれば「冤罪」の可能性だけです。その意味では「冤罪は絶対に防ぐ」という前提が死刑判決には
求められるとは思います。しかし昨今の「死刑廃止論者」は明らかに
犯行が確定される容疑者(光市事件やこの宮崎事件)でも、死刑廃止
論をぶってきます。何故?意味が分かりません。

A 回答 (24件中1~10件)

今更ですが、日本は「死刑」が存在する国です。



貴殿が言われるように「冤罪がない」という前提(ここが難しいのかもしれないが)であれば、死刑にすればいいのです。

そもそも普通にまともに生きている人間が「死刑」なんぞになりますか?「死刑」に相当することをやったから「死刑」なんでしょう。それ以上の理屈はいらないと思います。

鳩山さんが批判される意味もわかりません。

冤罪の可能性がないのなら100人でも何人でもまとめてとっとと執行すればいいだけだと思います。

「死刑になりたくなければ死刑になるようなことはするな」
これ以上の理屈ありますかね(爆笑)。
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最終的には、価値観の問題だと思うのです。


どんなにもっともらしい理屈を論じてもね。国がその手続きを合法化していれば、残虐な刑罰にも相当しないでしょうし、技術が進めば闘病で苦しむのよりよっぽど苦痛なく安楽に死ねる手法になるかもしれないと考えれば、残虐な刑罰?ってなるのではないでしょうか。(だいたいが残虐というのも、価値観でしょ?数値化できないもの。ギロチンって言うのだって、あれは「いかに安楽に死ねるか?」を目的に設計されたかって言うのじゃなかったかと)

「いまさら加害者を殺しても、被害者が生き返るわけじゃないから、無駄な殺生はよしましょうよ。」という事…つまり、生きている加害者の人権は、死んでしまった被害者の人権に優先する…という事の是か非かという、価値観と言うか、感情論なんだと思います。

私も、死刑はあっても良いと思います。それは、残された被害者のため…と言う意味で。死刑じゃなくても良いかもしれないですが、被害者の遺族の心を救うような何かは、存在すべきだと思うのです。

お葬式というのは、当事者は誰でしょう?死んでしまった故人のために催されるのではなく、生きている遺族のために催されるわけですよね。死んでしまった故人には、人権はありませんしね。
生き残った加害者の人権を尊重するのと同じように、生き残っている遺族などの人権に対しての思いも、酌んでもらえるような刑罰はいったいなんだろう?という事には、想いが向かないのだろうなぁ…と思います。
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死刑廃止論者はきわめて常識あるかたが多いのでしょう。


ですが、犯罪者の中には倫理がまったく通じない人間がいるようです。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/AA7836E2A5E1E …

死刑は人道的すぎるかも知れません。
死刑以上の極刑があってもいいとさえ思います。

参考URL:http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/AA7836E2A5E1E …
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法律関係のことはあまり分からないので簡単に書かせて頂きますが、私も死刑制度はなくすべきではないと思います。


帝銀事件などの冤罪(と私は思っています)と違って、明らかに凶悪な殺人を犯した場合、
それが精神疾患であろうが、未成年であろうが死を以て裁かれるべきだと思います。

さらに死刑方法もハムラビ法典のように、その罪人が被害者にしたのと同じ方法によって死刑にされるべき!と昔から思っていました。

例えば以前、複数人の未成年男子によって拉致監禁された女の子が、鎖で繋がれ食事も与えられず、
毎日毎日顔が誰だか判らなくなるほど暴行され続け、
タバコの火を容赦なく押し付けられたりしたあげくに、
まるで「物」のようにコンクリート詰めにされて殺害された、
まるで人間の所業とは思えない凶悪極まりない事件がありましたが、
この犯人ような鬼畜どもは、彼女にしたのと全く同じように処刑されるべきだと思います。
絞首刑や薬品などで何の苦しみもなくあっさり処刑するのは
生やさし過ぎですし、償いにもなっていないと思います。
もし私が被害者の遺族だったら、苦しまずに一瞬で処刑される犯人を見ても、全く気持ちが晴れないと思いますね。

死刑反対論者のように綺麗事をほざいてる人に、この事件を例に喩えるのなら、
「もし自分の娘さんや奥様が同じ目に合わされても、死刑廃止などと同じ事が言えますか?」と聞いてみたいですね、ほんとに!
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死刑存続で、かつ絶対終身刑制定肯定論者です。



死刑 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E5%88%91?

死刑に対しては大きくは「目的刑論(予防論)」と「応報刑論(敵討ち)」があげられます。近代の死刑制度は、被害者のあだ討ちによる社会秩序の弊害を国家が代替することで無くす側面も存在します。

世界の死刑の9割は中国で行われていて
証拠調べを充分に行わずに死刑が宣告されています。
法整備が整わず、役人の意向によって決まるので
これは冤罪等、大問題だと思います。
ただこの世で悪いことしたから死んでからでも人様の役に立てと
死刑囚の臓器売買がされています。洗脳や強制労働もあります。
日本のように(被害者より)犯罪者の人権を守ろうと言う動きはありません。


さて日本では
加害者に懲役や極刑など刑事罰が下っても
民事はまったく別なものです。
加害者に財産でもあれば別ですが
実際は民事裁判でで損害賠償請求して、支払命令が出ても
加害者に支払い能力のないことも多いです。
また犯罪被害者給付金では被害者遺族には
320万円から最高1573万円しか払われませんから。
(2000年では平均407万円)
国家から被害者に対しては人の命の値段が1573万円。
他人を何人惨殺しても国家が加害者の生存権を保障してくれるというのも問題とは思います。
加害者の人権や死刑問題より
被害者・遺族への賠償がより高度に法制化されるほうが先と思います。

死刑存廃問題 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E5%88%91% …
死刑存続問題では
(1)法哲学(2)人権(3)誤判(冤罪)の可能性(4)死刑の代替(5)犯罪被害者
(6)犯罪抑止力(7)死刑制度の実効性(8)世界の趨勢(9)日本世論の動向(10)社会に対する影響
(11)憲法解釈(12)判例(13)死刑の適用目的(14)行刑設備の負担
と言う点で賛否が分かれるようです。
いろいろな観点がありますからそれを一律に
すべての死刑判例に当てはめて考えるのは無理があると思います。

死刑に犯罪抑止力がないというのなら、
死刑制度があろうとなかろうと一定の割合で凶悪犯罪は起こりえると思います。死刑から一人でもためらう人もいるのなら必要だと思います。
死刑が怖くて自首した例もあります。
予防論は現状では凶悪犯罪に対しての死刑執行数や永山基準もあり滅多なことで死刑にはなりませんから、うまく機能していないでしょう。
殺人を犯しても有期懲役で数年から数十年で出てこれると考える人も多いことです。
加害者に贖罪意識を持って欲しいというのは感情論ですからね。
私は加害者の感情論などどうでもいいことだとおもいます。
後になって悔い改めたら許されるのかと言う問題。
人の命を奪うことを何を持って償えるのかと言う問題。

加害者が適切な量刑が得られるように、弁護士が検察官と争うのはいいとしても、
死刑廃止運動を裁判で政治利用する弁護士も疑問を感じます。
光市母子殺害事件の安田弁護士のように
死刑を回避するためには手段を選ばないという点に至ると思います。
安田好弘 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E7%94%B0% …
主犯の1審死刑を無期に減刑にした
名古屋アベック殺人事件でも
当人及び親たちも、誰1人として遺族の元を訪れ謝罪した者はなく、
民事裁判で和解した賠償金も完全未払いとなっています。

刑事罰としては
凶悪犯罪の予防や犯罪者の更生は二の次として
社会規範に反する「罪」を犯したから法や規則の違犯に対する懲らしめである「罰」を与えるわけです。
罰を受けたから罪が償われたわけではありません。
また罰を軽重したからと言って罪がなくなるわけでもありません。
私は「応報論」を支持します。
死刑に限らず懲役だって応報論です。
もちろん場合によっては情状酌量は必要です。
その罰の是非や軽重、あり方について問われているわけですが
日本は無期懲役として相対的終身刑はありますから
社会との隔離として
絶対終身刑などの制定など代替案もないのに
人権的な理由から闇雲に死刑制度反対しても
多くの方の納得できるのものではないと思います。
日本の問題点である
死刑と無期懲役(相対的終身刑)との格差を埋めるためにも
絶対終身刑も必要かもしれません。
それでも、なお制度として死刑制度は必要だと思います。
死刑よりベターな法定刑が制定されたとしても
あえて選択肢を狭める必要はないと思います。

事件史探求
http://gonta13.at.infoseek.co.jp/index.htm​​
死刑確定&執行数
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/sikeis …​​
戦後も数々の事件が起こりましたが、快楽殺人、拷問殺人、大量殺人
、様々な重犯罪には
どのような、死刑に代わる処罰がのぞましいのでしょうか。

日本は法治国家ですからね。
法相は、法律にのっとって刑の執行を許可しているだけです。
死刑廃止論を唱えるのは個人の信条ですが
死刑廃止論者は法改正を唱えるのが筋でしょう。

日本における死刑 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC% …

殺人や強盗強姦致死だけが死刑判決があるわけでもないですから
外患誘致罪なんて法定刑は死刑のみです。
死刑廃止論者は殺人の前科があり、その後強姦した女性が告訴した事を逆恨みした結果殺人を犯したJT女性社員逆恨み殺人事件なんてどう考えるのでしょうか。私も疑問です。
再犯の可能性も高い、更生の可能性がないと
3審の裁判で判断されたから極刑もやむなしとされているのでしょう。
また刑が確定しても
精神の異常を疑われたまま死刑判決を受けた者や、冤罪が疑われながら死刑判決を受けた者については、更に執行が避けられる傾向にあるのですから。疑わしきは執行されていないのも現状です。
未執行確定囚は102人です。
日本では
殺人が毎年1200~1300件行われることに対して
多くは無期懲役か有期懲役でしょう。
死刑が乱雑に適用され、
半数近くが処刑されるなら冤罪も含まれていそうですが、
死刑確定数や執行数がごくわずかであることをみると
そんなに日本の死刑制度が問題であるとは思いません。
慎重に考慮して欲しいのは同じく冤罪の可能性だけです。
検察にも犯罪事実の立証責任がありますし、推定無罪の原則があります。
それでもなお誤認逮捕や冤罪を理由に死刑反対論を唱える人は理解できます。
が安っぽいヒューマニズムから
死刑制度を反対する人の意見を理解できても
賛同する気にはなれません。

そもそも死刑を実質廃止するなら簡単です。
誰も情状酌量の余地のない凶悪犯罪を犯さなければいいだけの話です。
ご参考までに。
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#14です。


まず真摯な書き込みに感謝します。

書き込みに対してですが、まず
>例えば、「死刑制度があるから、まだこの程度の凶悪犯罪しか
起こっていない」という可能性もあると思いませんか?
について
http://www.geocities.jp/aphros67/090620.htm
をご参考ください。
結論を出すには早いのでしょうが、世界的傾向として、死刑廃止が治安の悪化に影響しないという方向が示されています。

また
>重大犯罪を起こしたものは「厳罰で臨む」これが、
犯罪抑止力にならない、ということは無いと思います。
についてですが、確かに厳罰を伴えば抑止になるというのは一定の事実です。
たとえば近年の道路改正法、特に飲酒運転の厳罰化により、1992年をピークに2006年にはほぼ半分に減っています。(参考URL:http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/6815.html )
これはまさに抑止効果といえます。

しかしながら、死刑にはもう1つ別の問題があります。それは死刑が究極の体罰であるということです。
近代法と近代法治国家はそれまでの封建主義的な価値観から脱皮して、個人の権利を認めることで成り立っています。
個人の権利を侵すことを極力避ける為に、それまであった体罰はすべて廃止されています(イスラム教国は近代法治国家とは言いません)
つまり、万引き3回したら手首を切り落とすとか、飲酒運転したら1回目は鞭打ち50回、2回目は100回というような罰則はありえないということです。
質問者様はこのような法律があったほうが、厳罰化できて良いとおもいますか?もちろん鞭打ちによる後遺症などは補償されないでしょう(イスラム法ではそうです)。

そのため現在法律で定める罰則は、罰金(私有財産の没収)と、収監(身体の拘束と個人としての主権・公権の剥奪)に限られているのです。
ところが、死刑だけは究極の体罰として日本ではそのまま存置されています。
近代法の精神(つまり権力者からの開放、主権の保護)から言えば、何人たりとも国家権力によって抹殺されることはあってはならないはずなのです。

ちょっと難しいことを書きましたし、若干理論が先行してる懸念はぬぐえません。これが死刑論争の難しいところだと思います。

しかし最低限、死刑賛成派の方に考えて欲しいのは、日本のような法治国家で、国家権力が国民に帰する場合(つまり民主主義と言うこと)、国家権力により死刑を執行するということは国民全員が人殺しになるということです。

酒鬼薔薇事件をはじめ、池田小事件、池袋通り魔、そして今年に入ってからすでに3件の無差別殺人事件が起こっています。
少なくとも彼らにとって、死刑は抑止効果にならなかったことは事実です。
私が危惧しているのは、前にも書いたように、死刑存置派の「厳罰化すればよい」「人殺しは殺せばよい」という安易な考え方です。(それが効果を発揮するなら、法の精神はさておいて積極的にではないですが肯定する余地はあると思います。)
しかし残念ながら死刑存置派の意見をどれだけ探してみても、先に書いた「社会修復的機能」について言及している論を見ません。
ということはどんなに厳罰化しても、一般人の理解が及ばない殺人者は抑止できないということになると私はおもっているのです。

存置のお考えなら、それで言いと思いますが、ぜひ一歩その先、つまり同じような犯罪を起こさせない社会というものを考えてみてください。
そうすると、廃止論者の論の中身が有る程度、理解していただけると思います。
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死刑を法定刑として法の中に組み込むか否かは、立法論です。

そうである以上、「正しい」「間違っている」という結論は出ません。なぜなら、立法論は、一定の評価基準に基づく主義主張だからです。

そのため、「私が間違っているのでしょうか?」との疑問に対しては、「間違ってはいません、その代わり、正しいともいえません」という回答になってしまいます。評価基準が異なれば、「正しい」「間違い」の回答も異なるからです。


その上で、できるだけ私自身の立場を排除し中立を保つように配慮しつつ、若干の指摘をいたしますね。

まず、
> 一国の法律論や刑罰論というのは、その国の歴史、民族性、精神性、宗教観に深く関わることであり、「他国がどうだ」などということは全く関係ありません。
との点については、大きな見落としがあります。それは、グローバル化という視点です。

国家というのは、政治的枠組みであり、それに過ぎません。どんなに枠組みを作っても、それを乗り越えて、又はそれとは無関係に、様々なものが移動します。多くの場合、はじめはカネが移動し、やがて物が移動し始め、そのうちに人が移動するようになり、価値観が移動し混和していく、という歴史を辿るかと思います。現在の日本は、人の移動のレベルにあろうかと思います。そうすると、次に出てくるのは価値観の移動です。これが控えている以上、「『他国がどうだ』などということは全く関係ありません」という主張は、だんだんと成り立たなくなりつつあるんです。

死刑存続論においても、他国の動向に目を配りつつ「しかし日本では」とするほうが、主張の通りがいいように感じております。グローバル化という視点は、死刑存続論を展開するに当たっても、また死刑廃止論の肝を理解するためにも、必要な視点ではないかと思います。


それから、死刑廃止論において終身刑制度を主張する人の中には、確かに「凶悪犯罪者の贖罪意識をなんとか起こさせる」ことを主張する人もいらっしゃるようです。しかし、同じ終身刑制度を主張する人でも、「生命を奪うことこそがどんな場合でも許されないのであって、それが達成される限り、贖罪意識を起こさせる必要はない」とする人もいらっしゃるようです。後者であれば、宮崎死刑囚が「人間の心をとりもどす可能性が100%ある」とはいえなくても、何ら問題なく終身刑を課すべき、という結論になります。

かように死刑廃止論は複数の考え方がある点にも、ご注目なさってみてはいかがでしょうか。

なお、死刑存続論も決して一枚岩とはいえないことも、注目に値するかと思います。大きく分類しても、積極的に死刑存続を唱える向きと、他に適当な刑罰が無いなどの理由により消極的に死刑存続を唱える向きとに分かれるものと思います。

死刑廃止論にも死刑存続論にも複数の考え方があるという事実は、死刑について「正しい」「間違っている」という結論を出しようがない証拠だ、ともいえます。
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どっかの番組で放送してたけど、国民世論アンケートで死刑制度賛成派は90%以上でしたよ。



私は安心しました。
なんやかんや言っても、貴方の主張は間違っていないと思う。
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私自身は死刑賛成派ですが。



けれども、被害者の遺族の無念を晴らすのが、死刑執行の主な理由であってはならないと考えています。
殺人でわが子を失った両親と、交通事故などの過失致死でわが子を失った両親と、どちらの無念が大きいか小さいか、というようなことはいうのがむずかしいのではないでしょうか。
無念や悲しみや憎しみならば、運転手の注意の欠如でわが子を轢死させられた親だって、十二分にかんじているのではないでしょうか。
報復ということを考えるならば、過失致死を犯した人々に対しても実行すべきでしょう。
しかし、過失致死を犯した人を死刑にするのは、社会にとって悪影響が大きいのではないかとおもいます。

死刑はあくまでわれわれの社会全体のことを考えたときに、どうしてもそうしなければわれわれの社会が成り立たないという状況において…一種の緊急避難的な手段として用いるべきで、個人の感情でそれをすべきではない、というのが私の考えです。
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既に回答が出ていますので、私は幾つか私自身が気になった事について回答させて頂きます。


>(1)人の命を理不尽に奪ったものは原則として自らの命で償うべきである。
もし、死刑廃止論が感情論だと言うなら、死刑制度賛成論者やご質問者は何故この安易な結論に飛びつくのかを説明すべきです。
でなければ、死刑賛成論も野蛮な思想と一蹴されてもしかたありません。
恐らくこれは、「目には目を、歯には歯を」を自己流に解釈して、一つの思想としているようですが、この言葉の本当の意味は一般に考えられているように、〔目をやられたら、やった奴の目を、歯をやられたら、やった奴の歯をやりかえすべき〕という報復のススメではありません。
〔他人の目を損なった者は己の目を、他人の歯を損なった者は己の歯をもって購わなければならない〕という厳格且つ謙虚な犯罪抑制の思想です。
この違いが分かるでしょうか?
何処の国の死刑制度も仇討ちの代行をしているわけではありませんので、死刑制度無しで社会の秩序を維持出来るならば、それはそれで、その方法を編み出した国は素晴らしいブレインを持つと言えると思います。

>日本が世界でただ一つの「死刑制度存続国家」になったとしても、何ら恥じ入ることはありません。
そうでしょうか?
世界中が皆人権意識に目覚め、犯罪者を抹殺せずに社会の秩序を維持する道を見いだしても日本一国だけが、延々と死刑執行を続ける事を本当に恥じないでいられるでしょうか?
10人の中で9人が死刑反対、貴方一人が賛成と本当に堂々とその人達に持論を展開出来るでしょうか?圧倒的に死刑賛成派多数の日本で、貴方は〔虎の威を借る狐〕ではないと自信を持って言えますか?
それは、狭い日本から一歩も外に出ないからそんな野蛮な事を豪語していられるのではありませんか?
時代は刻々と変わって行きます。
ハラキリやギロチンが何の疑いも無く受け入れられていた時代もありましたが、死刑賛成派も今ではこれらの刑を許容するとは言わないでしょう。
フランス人はギロチンを国の最大の恥部として捉えているそうです。
同じように死刑制度も野蛮な制度となりつつあります。(これは、日本の死刑反対論者の見解ではなく現実です)
何時か何処かで生き方を誤った犯罪者に対して、〔抹殺では無く別の方法〕での刑罰を考案し、社会秩序を維持出来れば、それは本当の文明国としての証となるのではないでしょうか?

死刑廃止論者が冤罪の可能性だけで持論を主張しているというのはどういう根拠によるものでしょうか?
そう云う方もいるでしょうがその他の理由の方もいますので一概には言えません。
自己を主張するのは結構ですが、他の考え方を知らずに相手を揶揄したり否定するのは己の論の貧弱さを露呈する事になります。
<人類がこのまま進化し続けるならば死刑制度はなお廃止の方向に向かって行く>というのは理想ではなく現実です。
この事が、ご質問者が疑問を呈している、死刑廃止論者が事あるごとに言う〔死刑廃止は世界でトレンディー〕、という意味だと思います。
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この回答へのお礼

こんばんわ。ご回答ありがとうございます。

>何時か何処かで生き方を誤った犯罪者に対して、〔抹殺では無く別の方法〕での刑罰を考案し、社会秩序を維持出来れば、それは本当の文明国としての証となるのではないでしょうか

回答者様のおっしゃっるとおり、刑罰とはいえ、「人が人を殺す」
「死刑制度」がなければないにこしたことはありません。

究極の理想をいえば、今後、日本で1件も殺人事件が起こらなければ、「国家が人を殺める」死刑制度を維持する必要はありません。

ではどうすれば、今後1件も残酷な殺人事件が起こらないように
することが実現できますか?「死刑反対論者」の方、何か
有効で現実的な代替案はお持ちですか?

これは私の個人的な考えですが、どれだけ人間が進歩しても、どれだけ
学んでも、人間社会から「悪」が無くなることは無いと思います。

中途半端なヒューマニズムを机上の空論で述べられるのはご自由
ですが、現実に被害にあわれた方、またそのような犯罪に対して
不安を感じている多くの市民にとって必要なのは、「人間性悪説」
に基づいた、現実的対策です。(そのような考え方は、当然
悲しく、虚しいことであることは認識した上で)

どれだけ知恵を凝らしても、これからも形を変えて、凶悪な殺人事件は起こっていくでしょう。

何故なら人間は「悪」を抱えた存在だから。

そのような「悪」に対して、必要悪としての「死刑制度」は、
(完璧ではないにしても)一定の犯罪の抑止効果は果たしていると
考えます。

お礼日時:2008/06/19 20:01

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