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哲学ではないかもしれませんが、楽しいってなんですか。いまいち実感が湧かないのです。楽しいと思っても、その後自分が楽しかった時のことを考えてみると、何が楽しかったのかわからないのです。むしろだんだん、つまんなかったかのようにさえ思ってくるのです。「楽しい」から学ぶ物がないのです。すると、時間の無駄からか激しい不快に襲われるのです。
皆様はどうお考えでしょうか。

A 回答 (10件)

あなたは真理をつかんでいます。


釈迦が悟りを開いたというのは世間で常識となっていますが、中身を知らない人がほとんどです。
実は彼はどんなことを悟ったかというと、早い話、「楽しいことなんかない!」だったんです。
2種類の状態がある。1つめは、楽しくない状態。2つめは、実は楽しくない状態、やっぱり楽しくない状態、あるいは、結局楽しくない状態。
これが実は悟りのおおよその内容です。この釈迦が悟ったものを理論立てて反論できた人は今までいません。
で、あなたはだから、釈迦が悟ったものをあなた自身別のところで悟ったわけです。それが真理です。
これを否定したい人ばかりでしょう。すべてにおいて楽しくないことしかないと言われれば元も子もない感じですから。
しかし、これを悲観せず、それを認めて開き直ることが本来の釈迦の教えでした。
(日本では大乗仏教というカルトから始まったものしかありませんのでそういうことが言われないのです)
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>楽しいってなんですか。


ある状況に対して、肯定的でその継続を望む感情です。

具体例
好きな相手と一緒にいると「楽しい」


>いまいち実感が湧かないのです。楽しいと思っても、その後自分が楽しかった
>時のことを考えてみると、何が楽しかったのかわからないのです。

だから、もう一度繰り返そうと普通は思うのです。
ハマるという感覚は、そういう繰り返しのなかから起こります。
人の記憶はそれほど確かなものではないからこそ、「あれって本当に楽しかった
のか?」そう思うと確かめたくなる。
しかし、女の子を誘っても、あれほど楽しそうにしていたのに「なんだか気乗りしない
口調の返事が返ってくる」ことがありますよね。
それは、まさに「あれって本当に楽しかったのかなぁ(酒酔ってたし 覚えてない)
みたいなケースは、やはり強烈な「楽しい思い出」にしてあげなくちゃいけないので
もう一度会う必要がありますね。

だいたい、人は記憶のほかに「好奇心」とか「助平心」があって、なにかいいこと
ないかなといつでも楽しいことにアンテナを向けている。

>むしろだんだん、つまんなかったかのようにさえ思ってくるのです。
そういうことは、元気がないとき、好奇心が衰退している状況のときにありがち。

>「楽しい」から学ぶ物がないのです。
それは、楽しいというのは、魂の慰撫とか癒しの領域だから学ぶ必要は
なにもない。愛は学ぶものでなく受け入れ味わうもの・・というのと似てます。

生命力を維持するうえで根源的なものだと思います。
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私も同じようなときがあります。


麻雀をやっていると凄く楽しいです。でも負けると悔しーーーーい。
本当につまらないです。時間の無駄ですよね。
パチンコにしておけば良かったって思うときもあります。

でも勝負ってのはこういう悔しさをバネにしています。
負けたときは20km歩いて帰ったこともあります。
しかも夕飯抜き。
自分自身に罰を与えるんですよ。本当に馬鹿ですね。
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改めて考えてみると繰り返しの中に毎回新しいものを見いだせる場合に楽しいのではないでしょうか。

ちょとと考えると繰り返しているうちに飽きたりいやになったりする方が自然のようですが実際は違うようです。確かプロの音楽家で才能の大半は飽きないという能力であるという意味のことを言っていた人がいたと思います。自分の経験でも楽しいというのは珍しいことにはないように思います。
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「楽しい」って言う字は楽しそうじゃないですか?


手をブンブン上下させてジャンプしてるみたいに見える。
もうそんなあほらしいから出来ないのでしょ?
それが出来れば楽(らく)です。
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質問の趣旨として、楽しい物事から、学ぶことが無いと取れます。


学ぶことは、たしかに苦しいとか辛い思いをして、訓練して、やっとたどり着いて、身につくことが多いですよね。
ここで、発想を変えて、自分が楽しむではなく、他人を楽しませるとしたらどうでしょう。人を楽しませる、不快な思いをさせない、そして笑顔にして楽しませるとなると、かなり苦労をして、努力し、訓練して学ぶことが多いことに気づきます。結局物事は、受動的なことには、余り学ぶことが無くて、能動的な事の方が学ぶことが多のです。
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それは単なる言葉です。


楽しい、という、
「それ」と、「それ」を参照する、もしくは記述する記号=言葉は
全くの別物です。

人が楽しいという事を示している「それ」は、あなたにとっては
全くの別物かもしれませんし、あなたには無いかもしれません。
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効率的にうまくいったことが楽しいことじゃないの?


で、要領が悪いので時間がかかりすぎて楽しさが吹っ飛んじゃうとか。
時間を無駄にしたことに怒りを覚えるんだから
よっぽどアナタはせっかちなんですね。

それか先天的マゾヒストで苦しさや不快感を求めて行動しているとか。
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楽しくなければ意味がないのに楽しいと思ったことさえ


つなんなかったように思うということですね。
そして、未来が過去になったときも楽しかったと
思える事柄が何もないと感じると言うことでしょうか。

単純な熱に浮かれたような楽しさであるなら、それが醒めればそんなものかもしれません。

でも喜びは、これとは異質で、十分に意義あるものだと思います。
それが本物なら、本人が認めなくとも周囲の誰もがその意義を認めるでしょう。
それでもなお、本人が自らを認められない場合がよくあって、結局それは悲劇なのです。
こういったケースは、本人より周囲の責任が大きいように思います。
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楽しさの定義は色々あると思います。


物事を学んで充実していることも楽しさの1つです。
世間一般的には脳からアドレナリンが出されて刺激を受けているときです。

あなたの場合はおそらく後者の一時の楽しさで
結局、人生における成長の糧にならない虚しさを感じたと受け取れます。

そういうことはままあるのですが、あなたの文面からは人間として孤立してしまう危険性を感じます。
そうなると次第に疎外感を感じ、行き着く先は自殺か自暴自棄による犯罪です。

あなたの文面だけでは、あなたがどの程度精神が高いのかも判断できません。
よろしければこの回答を参考に状況を具体的に補足して頂けると
あなたの立場に相応しい回答が得られると思います。
#1様の云っていることはやはり高度な立場の人用です。

私からのアドバイスは月並みではありますが、語り合える友を見つけることです。
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