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カントはなぜ仮言命法でなく定言命法を真の道徳法則を考えたのか教えてください。

A 回答 (2件)

人間の認識力には縛りがあると考えたからです。



カントの時代はもはや地動説が常識となっています。でもこれが哲学者たちを苦しめます。我々は肉眼でみた世界は真ではなく、望遠鏡を使ってみた世界のほうが真だった。我々の肉体には真を見抜く力が備わっていないのだ。これはキリスト教徒にとて、人間が神の恩寵を受けていないことと同義で恐ろしいことでした。

でもカントはこう考えます。確かに我々には真を見抜く力はない。時間や空間という世界をみる形式が先天的に与えられていて、これを超えることはできない。でも、だからこそ我々は、観た世界に縛られず、自由に善きことを考えて自律して行動することができるのだ。もし観た世界が真だったのならば、我々はその世界の法則に従って生きなければならない。「もし世界が~だったならば、~しなければならない」というように。でも観た世界が真ではないのならば、世界に縛られず、自律的に「よし~しよう」と考えて自由に生きられるではないか。この自由を我々人間に与えるために、神は我々に真を見抜く力を与えなかったのだ。決して神は我々を見放しているわけではない。

だから仮言命法でなく定言命法を重視したのです。
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道徳は数学や物理の証明論理じゃないからですね。


カント先生ほどの人物は弟子に仮定法など示さないということですね。
吉田松陰先生は「学ばずして死ぬことほど恥ずかしいことはない」とおっしゃっていました。この方も「学べ」でしょうね。学べば何とかいいことがあるというような仮定法は子供だましということですね。知者から知者への論法は定言命法しかないんですよ。仮定法は未熟なものへの教育方法ですね。
物理でも科学技術でも条件が決まればその条件しか使わないですね。それと同じですね。 あれこれやってみるのは知らないからですね。参考まで
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