アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

特許庁から、公報の番号表示が「特開平01-xxxxx」と書かれた拒絶理由通知が来たのですが、実際の公報を見ると「特開昭64-xxxxx」となっています。
これは審査官のミスなのでしょうか?それとも置き換えて通知しても良いとどこかで定められているのでしょうか?根拠となる情報をご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。

A 回答 (2件)

昭和天皇が昭和64年1月6日に崩御し、翌日平成に変わりましたので、本来であれば1月7日以後は特開平01-XXXとなります。

しかし1月7日発行の公報は数ヶ月前に印刷準備しているため間に合わず、特開昭64-XXXとなってしまいました。その日以後の公報で「特開昭64-XXXとなっているものは、特開平01-XXXと読み替える」旨の通達が出されたと記憶しています。
    • good
    • 0

ご存知のように、特開平の“平”は平成、特開昭の“昭”は昭和を表します。

昭和は64年1月7日で終わり、翌日から平成元年になりました。発行年を元号(昭和、平成)によって明確にすることを意図した表示方法であることは明白です。(なお、昭和天皇の崩御は1月6日ではなくて1月7日午前6時33分だそうです。)

従って、1989年1月8日以降に発行された公開公報は平成になってからの発行なので、本来は特開平と表記すべきでしょう。しかし、公開公報の印刷はそれ以前に発注しているので、「特開平」の表記への変更が間に合わなかった。このケースはこういうことに過ぎません。実際、私もそういうものを見掛けたことがあります。

逆に、1989年1月8日以降に発行された公開公報を公報の表記のまま特開昭64-xxxxxxとして引用文献とした拒絶理由通知を見掛けたこともあります。

なお、特許電子図書館で特開昭64-xxxxxx及び特開平01-xxxxxxを検索すると同じ文献がヒットします。例えば、特開昭64-234567及び特開平01-234567を検索すると共に特開平01-234567と表記された公開公報(平成元年9月19日発行)がヒットするし、特開昭64-023456及び特開平01-023456を検索すると共に特開昭64-023456と表記された公開公報(平成元年1月26日発行)がヒットするし、そして、特開昭64-002456及び特開平01-002456を検索すると共に特開昭64-002456と表記された公開公報(昭和64年1月6日発行)がヒットします。従って、特許電子図書館ではどちらの表現でもヒットするようになっているということですね。

日本の特許庁から拒絶理由通知を受け取るのは、殆どの場合は日本人又は日本在住の特許管理人でしょうから、特開平01-xxxxxと特開昭64-xxxxxとが同一の公開公報を指していることもわかるはずです。従って、どちらを採用するかは、審査官の好み次第なのかも知れません。審査官のミスと騒ぎ立てるほどの話でもないし、「へぇ~、そういうものなんだ?」と思えばいい程度のことなのではないかと思いました。

余談ですが、Z0311さんはおそらく最近になって特許事務所に勤め始めた方なのだろうと推測されますので出願番号についての小ネタを提供させていただきますと、特願2000-xxxxxxの出願番号がついたPCT出願の件数はやけに多い(61~2万番台まである)のに対して、特願2005-xxxxxxの出願番号がついたPCT出願の件数は極端に少ないようです。PCT出願の出願番号付与方法のルールに変更があったのでしょうね。もしも興味がおありでしたら、特許庁に電話して聞いてみて下さい。

また、2ちゃんねるには特許庁の現役審査官だと思われる人たちが書込みをしているスレッドもありますので、そちらで聞いてみてもいいかもしれませんね。

http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumu/1216 …
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!