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公理を疑うことは非科学的なことなのでしょうか。
公理を信じなければ科学は始まらないにしても、
公理を疑う態度は科学的な姿勢のようにも思えます。

A 回答 (6件)

こんにちは。



公理に基づいて理論を展開したり実験したりするのも科学、
公理を疑って新たな概念を探求するのも科学です。

ところで、
「不完全性定理」ってご存知ですか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%AE%8C% …
特に、「第2不完全性定理」っていうのが強烈です。


以上、ご参考になりましたら。
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ユークリッド幾何学の「公理」とリーマン幾何学の「公理」は異なります。


新たな「体系」を生み出せば、新たな「公理」が生じます。
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公理を疑う姿勢は大事かもしれませんが、公理を疑う価値があるとは思えません。


(まぁ価値がないからしないというのは、科学的に正しい姿勢ではないですが…)

果たして科学的に疑える余地はあるのでしょうか?
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クーンのパラダイムに関係したことと思いました。

通常科学というのは既存の公理を前提に行われますが、その公理ではやっていけない時期が来ると公理が研究の対象となるのではないでしょうか。私が自分なりに納得している例は(それを公理といえるかどうかは別にして)プロペラ(レシプロ)飛行機の速度がプロペラの力学から限界に来た時ジェットエンジンが発明されたことです。おそらく精巧を極めたレシルロエンジンの技術者は初期のジェットエンジンをバカにしていたと思います。コペルニクスとプトレマイオス、アインシュタインとローレンツズの場合これるにクスやアインシュタインの方が非(通常)科学的だったと思います。科学的というのは多くの人が認める前提からきちんと導き出気出すことで、前提そのものを別のものに置き換える行為は異端(非科学)的と区別されない(特に初期には)ものなのではないでしょうか。
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>公理を疑うことは非科学的なことなのでしょうか。



誰がそんなことを言ったのでしょう?
どの様なものでも一度の実験に成功しただけで認められる事は有りません。
何度も何度も追試が行われています。
ただ、何度やっても結果が同じで公理に綻びが無いのであれば疑うと言う行為は非科学と言うよりは無意味な行為となってしまいます。
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>公理を疑うことは非科学的なことなのでしょうか。


あなたが「科学」と書いたものの研究対象領域によります。補足にどうぞ。
また、あなたが「公理」と書いているものの内容も併せて補足に。
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