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なぜ「試す行動」を取るのか知りたいです。
それは相手との距離感を知りたいから?
相手を試し、自分への愛情を確認したいから?よくわかりません。
意図的に試すのか、無意識なのかもわかりません。
症状にかかってない人であれば普通「試す行動」は取らないものですよね。

詳しい方いましたら教えて下さい。


その経緯↓
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親しくしている女性の知り合いがいます。
その子はACです(カミングアウトしてくれました)
元々、父親の暴力等が酷く兄弟との関係がうまく行ってない環境下で育てられたことも
話しをしてくれていました。機能不全家庭で育ったというものでしょうか。
家出同然で家を飛び出しましたから。

AC特有の症例・行動パターン等調べていくウチにその子にも重なることがあったのですが、
境界例についても調べていくとむしろそっちの方ではないか?と考えることもあります。


実は先日その子と口論になりました。
私の言い分や事実を話ししながらも、それは全く受け入れてくれず、
自分の受けた感情が優先し、「貴方のやったことは異常だ」「低レベル」
「多重人格だ」と否定しています。
確かに私も口論時、相手に理解してもらうことに必至で引き留めたりはしましたが、
その時に受けた感情が全てのようです。。。。


その後、「貴方は私が落ち込んだり、死ねば良いと思っているんでしょ」と言われました。
当然私はそんなことを「これっぽっちも思ってない」と伝えても、
「そう?あなたのとった行動は異常なんだし、酷い感情しか私には残らない。
配慮ある人間のやることとは思えない」と返される始末。

根本から信用をしてくれてない、シャットアウトしているんだなと思います。
その子は自らの感情は「0か10しかない」と認識しており、両極端な面は
都度感じていました。ものすごく信頼してくれてた所から一転、今は憤りが強く、シャットアウト同然です。

そのため、その子はACというより境界例なのかなとも感じており、
一連の行動を見ていると「試されている」のか、全否定することで自分を安らげているのか、
正直何が何だかわかりません。

よろしくお願いします。

A 回答 (7件)

アスペルガー症候群、との診断を受けている患者です。

境界の診断を受けたことはありません。ですが、何となく自分に似ている部分がありわかるような気がしましたので…。

アスペルガーである私は、空気が読めません。相手が嫌がっているのにそのことがわからない、状況についていけないので、それに合わせた行動を取ることができないなどの特徴があります。

怒られている、注意されている雰囲気が読めないということは、受け入れられている、やさしくされている雰囲気も読めないということでもあります。

だから、やさしくされていても、愛されていても本人は苦しくて仕方がない、ということも起こります。だって、わからない方法で愛情を伝達されているんですから。

すると、愛した方は相手を恩知らずと思い、愛された方は相手を薄情者と思う結果になります。

そういう「周りに愛されているのに、頭がそれを認識しないため苦しまなければならない人」の苦しみはとても深く、同時に外からは自分勝手に見えるために問題が一層深刻になるのだと思います。

「愛されているのに延々と悲しみばかり感じなければならない」「そんな精神状態で、幸せそうな他人と付き合わなければならない」「初めはやさしくしてくれた人が誰もかれも離れていき、それを自分でどうすることもできない」「相談しようにも、『愛情をもらってもそれが見えないという苦しみ』というものはほぼ理解されず、『恩知らず』と言われることが相談前から見えている」

そんな絶望が日常であり、逃れるすべがない人がいる、ということなんだと思います。

彼女さんは、「普通でない脳を授かってしまったという地獄をわかってもらえたと思ったら裏切られた」と思っているのではないでしょうか。

自分もACではないかと疑い、直そうと工夫をしてきました。そこから考えると、「ある程度以上の症状のACは、機能不全家庭に育っておりなおかつ脳の器質的、機能的に損傷がある場合になる」もののように思えます。

自分も、その両方があって人生に問題が起きました。家庭の問題だけなら、ここまでひどくはなかったと思います。

ですから、理解にしても対応にしても「家庭がきちんとしていても普通にはならなかった人」という前提でないとだめなのではないでしょうか。
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彼女は自分が愛される価値のある人間だと感じていないので、


愛してくれるあなたのことを、おかしい、何か変だと感じるのを止められないのです。

自分でもわからなくてイライラするので、あなたに喧嘩をふっかけて話し合いぶつかりあって理解したくてもがくんです。

怒りをぶつけた後に、こんなことでは嫌われてしまうと後悔し、平常心を保つけど、でもまた不安になって怒りをぶつける、その繰り返しです。

正直わたしはこんな面倒な人間、病気だろうとなんだろうと相手にしたくありませんが、あなたがそれでも好きだというなら止めはしないです。
しかしまともな付き合いをしようと思っても、容易ではないと思います。
生い立ちはかわいそうですが、それとこれとは別ですから。
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境界性人格障害の現実というサイトがあるので参考にしてみてください。

原因、行動、症状、対応方法などが紹介されています。
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まず、気をつけてほしいことがあります。


相手の方の状態にもよりますが、もし、今後、その方が自分自身を傷つけるような言動があったときには、そのことが本気でなく「試す」行動であっても、結果的に取り返しのつかないことにもなりかねませんので、愛情ある毅然とした態度で接してください。
まずそのことをお伝えします。

そして、たとえ、攻撃的であったり、小さなことを大きく言ったり、関連のないことを関連付けて言ったりなどと、その方の受け入れがたい言動が見られたとしても、その方の状態は、一生変わらないわけではありません。その方自身の成長、また、病の癒しと回復があります。ただ、そのためには、周囲の人がその方にどれだけ思いをその方の近くにおいているかで変わっていくものです。
当事者が変わるだけでなく、周囲の人も変えられ、お互いに関係が修復し深まるからだと思います。
そういった信頼関係の深まりがあることを信じて接していくことが大切です。

しんどさを抱え、困り感のあるその方は、epictrance様の親しくされている方ということですね。家族ではないのである程度距離が取れのではないでしょうか。家族間の回復と成長を見守り、その方に対して心を近くに置きつつも、ほどよい距離で付き合われたらどうでしょうか。

ここに書くことは、家族として体験したことなので、専門的なことでもなく、epictranceさんのこととは当てはまらないことかもしれませんがご了承ください・・・
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境界性人格障もACも、それ自体は精神病を指す言葉ではありません。


生育歴に振り回されて、精神病的な傾向に陥りやすい人達を表した言葉です。
どちらも子供の内は、病的な生き辛さは自覚していないことが多いのではないかと思います。自分が住む世界が異常でも、幼い子供には日常ですから甘んじて受け入れなくてはならなかったのですから。

境界性人格障もACも、社会に対して責任を持たねばならない年齢に達する迄に、自分と周囲の人達との決定的な違いに気が付き苦しんだり、壁にぶち当たって文献を読んだり、精神科を訪れて名称が与えられた、自分が何者か気が付いたと言う人が殆どではないでしょうか。

ACというのは、機能不全の家庭に育った子供らしい子供時代を送ることが出来なかった人達のことです。これは病名ではありませんから、その人の生い立ちを表す言葉、またその生育歴を持つが故に、陥りやすい性格の傾向を表す“概念”と捉えた方が解釈しやすいと思います。
また、ACの誰もが病的になるわけではないけれど、生育歴の影響と元々の資質から境界性人格障害(境界例)や自己愛性人格障害、回避性人格障害のようなパーソナリティ障害を持つ下地を持ってしまい易いので、ACの中に境界性人格障害の人がいるのも不思議なことではありません。関連性も指摘されています。
ですので、質問者さんが親しくしている女性はACでありながら、境界性人格障害である可能性はあります。これは精神科や心療内科に行かなければ正確な診断名は付きません。


本題の“試し行為”についてですが、この行動をとるのは「愛情に飢えているから。」「人を素直に信じることが出来ないから」の二つの面が大きいと思います。
ACも境界性人格障害も人に怯えて、人からどう見られているのか、自分は人から必要とされるに足る存在なのか自身に問う傾向が強いのです。
病的な不信感を持ってしまった場合、精神が未熟だと自分に向けるのが苦痛になり、その結果、不信感を外に向けるようになります。自分を守るために、自分を正当化するために相手に激しい批判行為、激しい罰を与えることによって自分を保とうとするのです。

病的に愛情に飢えていると人を信じられず、愛を受け取った確かな記憶もないので人の愛し方が分からないのです。愛し方が分からないから人を試し、自分を決して裏切らない存在か執拗に確認する…。
その人を物のように扱う行為は相手の心を傷つけ、自分も人から信用を無くすにも拘わらず、視野の狭くなった心には人の痛みなど気付くことも出来ません。
気付いても、自分を変えることが出来ないのです。環境が変わるのが怖いのです。その行為は、それまでの自分の人生を否定すること、自分の存在否定になりかねないからです。狭い世界、狭い価値観で育った弱い心は自分が変わることよりも、人に変わることを要求してしまうのです。
自分で自分を否定するのが何よりも恐ろしいから、そんな気持ちに仕向けさせる、自分を否定する者を敵と見なしてしまうのです。
相手は助言として、愛情があるから向けた言葉も、毒や棘の悪意を持ったものと捉えてしまうのです。


彼女が行っている行為「試し」「全否定」で、彼女自身が芯から癒されることはありえないでしょう。それはそのまま彼女に返ってきてしまうからです。
ACという言葉に甘えているうちは、彼女は自分も周りも不幸にしてしまうと思います。余程の人格者か、精神科医のような知識を持った人でなければ、彼女を受け入れることは難しいと思います。

質問者さんは彼女の心の背景に理解を示しつつも、引きずられないよう強い意志を持って欲しいと思います。人の心は操れるものではないのだと、人は物ではないという態度を示していて下さい。人の心の境界線に土足で入り込むような行為を続けることは、どんな生い立ちを持っていても許される行為ではないのですから。
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アダルトチルドレンと境界性人格障害の特徴を大雑把に書くと、アダルトチルドレンは、「私が全部いけない」とかいい子ちゃんぶったり、共依存になると「私がいないとあの人がダメになってしまう。

」と過剰な自己犠牲をしたりします。境界性人格障害の特徴は、「見捨てられ恐怖」と「賞賛とこき下ろし」です。見捨てられ恐怖は、親しい人に見捨てられるのではないかと恐怖を抱き、そうならないように行動します。賞賛とこき下ろしは、その人を褒めていたかと思うと手のひらを変えた様にこき下ろします。

本題に入ってなぜ「試す」ということですが、境界性人格障害に当てはめて考えていきます。「試す」というのは本人は無意識に行っていると思います。境界性人格障害の人は、十分に受け入れられたという経験をなく成長したと思います。それで、いつも見捨てられてしまうのではないかと心に不安を抱いて生活していると思います。それで、少し受け入れられたら、「あの人はいい」となると思います。しかし、人を100%受け入れるということは難しいと思います。また、本人は「見捨てられるのではないか」という恐怖を持っているので、それが強迫神経症のように雪だるま式にどんどん膨らんでいくと思います。それが、頂点に達したときに、今までの行動の正反対のことをするのだと思います。

境界性人格障害の人とは、十分に受け入れつつもある程度の距離を保つことが必要だと思います。そうでないと共依存関係になって共倒れの危険性があります。受容しながらも距離を保つ、正反対のことを同時に行うので、言うが易行うは難しだと思いますが・・・。
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なぜ試し行為をするのか、ということに関しては人それぞれだと思いますが、まとめてしまえば「相手がどこまで自分を受け入れてくれるのか知りたい」という無意識の行動だと考えられます。


本当に愛してくれているのか、この人はありのままの私を受け入れてくれるのだろうか、信用していいのだろうか…という感情から試し行為をすることが多いようです。

経緯を読ませて頂きましたが、そもそもACというのは病名ではないので、ACであり境界例である場合も多々あります。
ACと境界例には共通する特性がありますので、どちらなのかという判断は難しいですが、ACは「自分で認識するもの」であり、境界例は医師が診断した結果の「病名」であることはお知り置きください。

また、試し行為をするのは境界例に限らずで、虐待を受けて育った子どもにも見受けられますし、ACでもそのような言動をすることもあります(しない人もいますが)。
何が原因でこうなってしまうのだろうかという不可解さはあるとは思いますが、「境界例だから」「ACだから」というレッテルを貼ったところで、お二人の関係がどうこう変わるものではないのかなと思います。
現在のお二人の関係で考えるべきは、今後共倒れにならないための付き合い方(スタンスやルール)なのではないでしょうか。
(境界例の方との付き合い方については、本やWEBで様々な参考資料が手に入りますので、ご参考になさってください。
 例え彼女が境界例でなくても、ヒントとなることは多々あると思います。)
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