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大蔵省が財務省になったのはなぜですか?変わったのはいつですか?

A 回答 (4件)

予算の権限をにぎる大蔵省は役所の中の役所。


他の省庁は頭があがらない。
予算折衝のときには、頻繁(ひんぱん○ はんざつ×)に足をはこんで、
大蔵省の役人にぺこぺこしなければならない。
それが十年あまり前にいきなり、未曾有(みぞう○ みぞゆう×)の金融危機に見舞われ、
大きな銀行や証券会社がばたばた潰れた。
「社員は誰も悪くありません!」
泣きながらカメラの前で頭を下げる山一証券社長。
ご覧になったことがあるでしょう。株価も大暴落。
日本沈没かと思うほどのそれは危機的状況でした。
こうした事態の責任者は誰か?
「責任者、出て来い!」と言わずとも知れてます。
金融行政を一手に握っていた大蔵省です。
轟々たる批判の声が大蔵省に浴びせられた。
とにかく失態の責任を取らせろというわけで大蔵省を真っ二つに引き裂いた。
八つ裂きの刑みたいなもんですね。憎しみが激しかった。
そうしてできたのが財務省と金融庁。
歴史ある「大蔵省」という名前にあくまでこだわった大蔵省でしたが、
最後の抵抗も空しく「財務省」となったのでした。
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ここで裏事情の回答を1つ出させていただきます。



当時の大蔵省は東大法卒の国家公務員上級職試験合格者のトップ20を採用していました。
入省当初は、彼ら(キャリア職員)は「我々は日本の経済を全て動かしているのだ」と言う自負と誇り(おごり)をもって職務の遂行に当たっていたのです。
又当時、銀行等は護送船団方式と言って過保護なまでに国によって保護されており、大蔵省の言うことを聞いておれば、現在のように容易に倒産することはありませんでした。

新入省組のキャリア職員は、本省での入省研修を終えると、地方税務署へ若くして税務署長として赴任します。
そこで若殿研修(バカ殿接待)と言って地方銀行など金融関係業者から夜のエロ接待などを受け続け、初志が揺らいで庶民より金持ち寄りになびいて行ったのです。
本省に帰ってからも、ノンキャリアや一般職員がが昼飯を省内食堂や大衆食堂で食べていたのに、キャリア幹部は銀行関係者からの銀座の「高級弁当」が届けられていました。
そして週末は、銀行関係者(通称MOF担と呼ばれていた)が六本木の「ノーパン・シャブシャブ」等でエロ接待を受け、遅くなり終電車に間に合わなくなると、タクシー券を利用して「高級寿司」の土産まで貰って帰宅していたのです。

これ等が週刊誌に叩かれ、国民の批判も受けたので、中央省庁等改革時にあわせて、名称も「財務省」と変えて平成13年に再出発したのです。
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当時,財政と金融の分離という議論が盛んで,それに伴う組織改編があったのです。



旧大蔵省というのは,国の財政(予算,税制,通貨,国債)だけでなく金融行政に対する許認可権限を持っていました。詳細は別に調べてもらうとして,例えば銀行・証券会社などの業務に関しても主管官庁であり,かつ日銀も実質的に大蔵省の影響下にあるというのが実態でした。
つまり,日本の金の流通に関わる全ての権限を握っていたわけです。そのため,例えば大蔵省から銀行や証券会社への「天下り」が常態化していたりしました。

こうした事態に批判が高まり,
財政-予算,税制,通貨,国債
金融-銀行や証券業務に関する監督と許認可など
を分けようという議論が具体化しました。
その結果,財政を司る「財務省」と金融行政を司る内閣府の外局である「金融庁」が生まれた,というのがざっとした経緯です。
ですから,例えば消費税を上げる,というのは財務省関連の仕事になりますし,銀行業務に対する検査,新商品「○○保険」の許認可などは金融庁の仕事になります。
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憶測の域を出ませんが、かつては蔵相&財(務)相会議云々と言わざるを得なかった点の統一化、も関るかも知れませんね。


又、変更時期ですが、2001(H13)年に変わりました。http://www.mof.go.jp/mof/kaihena.htm
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