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私の人生は、少なくとも現時点では「谷あり、谷あり」でした。人生は山あり谷ありだとはよく言ったものですが、本当なんでしょうか?最近では、ただの慰めにしかとれません。

なんで、私ばかりがこんなにつらい目に遭わなくてはいけないのか。もう、嫌です。

A 回答 (9件)

こんにちは


それはあなたの覚悟の問題ではありませんか? 勿論、恵まれた環境で育った人もいるでしょうし、恵まれた生活をしている人もいるでしょう! でも自分の人生は、自分が切り開く、【重荷を背負って山を登るが如く】かもしれませんよ。 きっと年齢がお若いのでしょ! 
僕も同じ様にくじけた事、有りました。【Peak:山:頂点】 【Pit:谷:底】と意味ではないでしょ! 平坦が一番楽でしょ!、現状を認識しないのは、山や谷を体験する事は、苦悩にぶつかる事は、自らを進める事になると思いますよ。 辛いでしょうが、頑張ってくださいね。(^^)!
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この回答へのお礼

これまで御回答くださった すべての方に感謝します

お礼日時:2009/06/21 01:14

谷は山がないと出来ません。


谷があるということは少なからず、山があるということ。小さな幸せでもいいから日常の中で探してみてはいかがですか?
一緒にいてくれる人がいること、衣食住があること…それだけで少なからず、いえ、とても大きな山だと思います。

最後に、山は自分で登らないと頂上まで登れないと思います。
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よく「人生8勝7敗でいい」なんていいますが、しかし私も人生にさまよっていた頃は「人生8敗した人はどうすりゃいいんだよ」と思っていました。


しかし、最近「人生1勝14敗でも悪いもんじゃない、千秋楽に勝てれば」と思うようになりました。

小さな山でも最後に山が来れば谷が多くてもまあ気分的になんとかなります。だから、山が来るまで気長に待つのも悪くないと思います。
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見えてるつもりの山が身分不相応の幻だから


自分が居るはずだった谷底もじつは幻だった。
なんてこと、よくあります。

自分が登れる能力と成長を信じ、残り時間を正確にみきわめ、
現実的に登れる山を絞って、そこへ至る確かな道を探すようにすれば
谷底にいるはずが、意外とすでに他の山の結構いいところに居たりするものです。

人生の山も谷も相対的なものですし、先を見通せば戦略をたてられます。
進退窮まったと思ったら360度見渡してみてください。
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>人生は本当に山あり谷ありですか?


ビミョーに違います。
わたしの場合は亜炭鉱跡の陥没現場です。
つまりまっ平らの地面がある日突然陥没を起こしてそこにまっ逆さまに転落した感じです。
巨大な落とし穴です。

人生のブービートラップですね。
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人生谷あり、谷ありだったとしたら、その谷と谷の間には何があったんでしょうか。

エベレスト級の山ではないかもしれませんが、小学生がハイキングに行く程度の山ではあったかもしれません。

その山に自分が気がつくかどうかです。

せっかく山に上ったのに、足元だけしか見てなければ、そこが山だと気付きません。遠くの景色まで見渡すからこそ「結構高いところまで来たな」と思うわけです。

ま、同時によその山の高さも実感したりするんですけどね。

でも高尾山にすら登れない人が、いきなりエベレストには登れないのですよ。ですのでエベレストを見て「高いな~、いいな~」と言っても登れません。
装備も訓練もなしでいきなり高い山に登った人がどうなるかはお分かりの通りですよ。
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知人に水商売してる女性がいて


「店持つ気がないのであれば早々に考えたほうが良いよ」って言っても
「昼の仕事では収入が限られてくる、生活のレベルは落とせない」

彼女にとっては『今が山』
その後に必ずやってくる『谷』は
尋常でないくらいに深いものになるでしょうね。
彼女がそれに耐えられるのかは、分かりません。

谷ばかりの人生だから山を経験したいんですよね。
この落差は軽く死にたくなりますよ。
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不幸自慢をしていては山に登ることはできないと思います。


なんで私ばかりこんなつらい目に、それをなぜ糧にしようとしないのでしょうか?
山がないと嘆く前に、どうしたら山を見つけられるか質問をしたほうが良かったかも知れませんね。

No.1の方の処世術を私なりに言わせて頂けば、見方を変えるから山になるのではありません。
逆境を乗り越える覚悟と根性が出来てはじめて山を見つけられ、そこに登ることができます。

これでも私の不幸はそんな生易しいものじゃないと言いたいのであれば、堂々と不幸の内容を書いてみてはいかがですか?
おそらくその不幸の何倍も苦労している方、腐るほどいますよ。
私は不幸だと思ったことはありませんが苦労自慢なら負ける気がしませんね!
同情されたこともありますが、不幸なのではなくむしろ幸せですよ。
泥水すすった分だけ、ぬくぬく育った人にない強みがあります。これから何があっても、それこそ死ぬような目にあってさえめげない自信があります。
当時は辛くても今となれば誇りです。
質問者さんがいつか同じように自分の逆境を懐かしめるようになることを祈っています。
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山あり谷あり・・・その通りだ。



自分で”山”だと思えば、それが山だ。
他人にどうこう評価されることではなく、自分で”感じる”ことだぜ。
他人がどう思おうと自分が”山”だと思えば山になるし、”谷”だと
思えば谷になる。

すべて本人の心の問題。谷だと思っても、これを前向きにとらえると
『プラス思考』となる・・・。

「私ばかりこんな目に・・・」という意識では、たとえ大きな山が来てもそれを見過ごしてしまうぜ。
明確な相手がいるわけじゃないが、自分で「今度はこう来たかぁ~」ってな感覚にするんだ。無理やりに…。

自分の気持ちをコントロールするのは自分自身しかいないぜ。
まぁ、これが一番難しいんだけど。

谷があるんだから、山は必ずある!
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この回答へのお礼

お言葉ですが、、、

>自分で”山”だと思えば、それが山だ。

そうでしょうか? そりゃ、そういう風に解釈の問題でどうとでもなることもありますよ、、でも、そんなことばかりではないと思うし、自分で言うのもなんですが、私の陥っている不幸は見方さえ変えれば山だと思えるようなものではありません。


>すべて本人の心の問題。谷だと思っても、これを前向きにとらえると
『プラス思考』となる・・・。

確かに、ある程度は心の問題でしょうね。でも、すべてではありません。


>「私ばかりこんな目に・・・」という意識では、たとえ大きな山が来てもそれを見過ごしてしまうぜ。

おっしゃるとおりですね、これは。


>谷があるんだから、山は必ずある!

結論はこうなんですね。わかりました
ありがとうございます

お礼日時:2009/01/27 22:37

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