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 最近良く思うんです。この世界、世の中って何なのか、何のために存在するのか。こんなことを考えているとなんだか生きる気ややる気が失せてきて、最近良くだらけてしまいます。もしこの世界、世の中が夢幻だとしたら、頑張ることは無駄なことなんじゃないかと思ってしまうんです。一時期、「この世界は何のために存在するのか、自分は何のために生きるのか」それを見つけるために生きるのだ、と思っていましたが答えは見つかるのだろうか、もし見つからなかったとしても人生満足して終えられるかとても不安です。もしよろしければ助言お願いします。

A 回答 (12件中1~10件)

 以下、本で知り、私は納得できた内容です。


 まず、この世は【物質】に囲まれた世界であり、ちょうど缶詰の中にぬいぐるみを着た【心・魂】が生きているようなもののようです。つまり、人間とは心・魂であり、肉体はぬいぐるみ、この世とは缶詰の中ようなもののようです。
 次に、あの世は(缶詰やぬいぐるみを脱して気体が飛び出したような)心・魂だけの世界であり、心・魂とは、(意思・感情・思考等を持った)電波・気体のようなものですから、波長・比重によって人々の住む世界が分かれてしますようです。つまり、悪い心を持っていると比重が重いため沈殿するようですし、善人は善人で集まり、天使は天使で集まる、という感じになるようです。(上層から下層へ行くことは可能。また悪人でも心境が変化すれば心境に合った所へ移動することは可能。)
 このように、あの世では自分と価値観等が同様な人々と住むわけですから、居心地がいい反面、長く居ると停滞感も出てくるため、そうなるとこの世に生まれて来るわけです。
 この世は缶詰やぬいぐるみの中に気体を入れる形式をとるため、気体の比重が違う物同士でも交流することが可能ですので、違うレベル・価値観の人々と交流することで自分の器を広げ、人格を成長させることができますし、また様々な珍しい体験をすることができますので、こうしたことを通じて幸福感を味わうことができ、また自分も変化することで生まれる前に住んでいた所よりすばらしい所(あの世)へ行くことも可能になる、というわけです。
 つまり、この世界や自分は何のために存在するのか、というと、自分と違う人々との交流を通して人格をより成熟させて行き幸福感を増進させて行くため、また、そうした人々との様々な体験を通じ幸福感を味わうため、またそうした人々とすばらしい社会を創って行くことて幸福感を味わって行くため、ということのようです。
 なお、この世に生まれてくる際には、あの世で人生計画書を役所へ提出し、許可を受けることも多いそうです。
 例えば「医者になって難病の人を助けてあげたい」「障害を持っても幸福に生きられることを実証したい」「前世では○○が実現できなかったので今度は実現したい」等々、各人様々な希望・志を持って生まれてくることが多いようです。そうした計画は表面的な意識レベルでは忘却させられますが、深い決意・志として魂に刻んでいますので、その熱意がどの程度のものであったのか、死んで帰って来た際に当初計画と実際結果を見せれらるのでお楽しみ!ということのようです。
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>〈あなたの目の前にある現実以外の幻想を打ち消して下さい。

〉これについてなんですが、どういうことなんでしょうか?良ければおしえて下さい。

今これを読んでいるあなたの目の前に何があるかは想像するしかないですが、あなたが今このとき目にし、耳にし、肌に感じていることこそが「現実」であり、そのほかは全て「幻想」だと思って下さい。
そうです。あなたの頭の中で繰り広げられる「思考」によって得られるイメージは「現実」ではなく、「幻想」なのです。

人間は言語というものを手にすることによって「思考」という「幻想」を手に入れました。しかし人間はそれを「現実」と思ってしまう癖があります。
あまりに複雑で抽象的な思考は幻想と等価と思った方がいいでしょう。

ただ、「思考」という「幻想」は、私たち人間という生物にとってしばしば本当の「現実」に素直に反応して導かれるはずの「生の力」を減ずるいたずらをときどきします。

あなたが、「この世界、世の中って何なのか、何のために存在するのか。こんなことを考えているとなんだか生きる気ややる気が失せてきて・・・」と感ずるのはそのせいかもしれません。

人間が一個の生物として純粋に生きるためには、そういったあまりに抽象的な思考はむしろ邪魔なのでしょう。

人間が「どうしようか?」と迷ったときにはむしろ一切の抽象的な思考を止めた方がいいのかもしれません。
そうしたときに初めて一個の生物としての本能的な解決の方策が見つかるのだと思います。
言葉を持たない他の生物に学ぶべきです。
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「この世界は何のために存在するのか、自分は何のために生きるのか」の答えですが、


見つけようと思えば見つかるし、見つけようとしなければ見つからないものです。

結局は自分が納得できる、満足できることがその答えで「ヒトの数だけ答えがある」ものです。
この答えは人から教えてもらっても満足できないと思います。
人から教えてもらえるものは答えだけで過程は自分で考えることでしか見つかりませんし。


私も「自分も今はここに存在しているけど死んだら何にも無くなって、私を覚えていてくれる人もいつか死んでしまって私の存在は消えてしまうんだな~・・・」と思います。
それなら最初からいなくても、生きて死んでもあまり変わりないものだと思いました。

それでも私が死ななかったのは生きてるうちにできることをしたいからです。
この世界がたとえ夢でも、夢の中でしかできないこともあると思います。

生きることは無駄なのかもしれないけど、他のなにかのためにという使命感ではなく自分がやりたいことをすればいいんだと思います。
満足するっていうのは欲を満たすことなので自分を誤魔化して生きても満足はできないと思います。

答えを探したいならいろんなことを経験しながら生きていくしかないと思います。


駄文、失礼いたしました。(_ _)
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がんばっていい夢を見ればいい。

世の中が現実であっても、夢幻であっても、どちらにしてもがんばれば、よくなる。だから、努力は無駄ではありません。
答えを出すのに方法を考えました。
ひとつは答えを積極的に築いてしまうこと。
もうひとつあります。

知らずの内に努力していたということが多くあります。
迷ったり、苦悩したり、することはそういうようなことです。
それらは積み重ねられ、やがて疑問、悩みをその体積、質量によって、物理的な意味で超えてしまいます。そのとき、疑問や悩みは消えます。食い尽くされたといえるでしょう。答えも必要でなくなります。
また、無駄な悩みはありません。これから悩む量を減らすことはできますが、すでに悩んでいる量は無駄にはなりません。その人の栄養になり、排泄物もでます。何一つ無駄にはなりません。
また、悩む量を減らす方法は、疑問を軽視することです。
疑問を軽んじるには、より重いテーマを考えることが有効です。
一歩先を答えるのに、三も四も、欲張れば無限をも目指すのです。
いつの間にか、あわよくば一瞬、目の前の一を終えます。
>人生満足して終えられるかとても不安です。
人生を超えるものに、ふと目をやってください。それ自身がみえなくても、今まで歯が立たなかった悩みは、あなたの食卓に乗る大きさになります。
こういう問いは腐りません。時事社会問題、初恋や親子関係などは、時がたてば腐るので、早く食べなければなりませんが、世界って何?のようなものは、なかなかくさりません。まるで何万年も形を残す岩石のようです。
味もおいしくなさそう(笑。事実、おいしくないです。
おいしい苦悩とまずい苦悩があるなら、人生って何?とかいうようなものは、食いにくい苦悩かもしれません(笑。食指が動かないので、怠惰になるのではないでしょうか?
良薬は口に苦いというけれど、医食同源、日ごろからいい物を選んで食べておれば、病気にもかからないとも考えれます。
 
もっとおいしい迷いに目をやってみれば、そんな苦い薬のことは忘れていいかも知れません(笑。
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私は生物学者の卵ですが、生物ができたのも、それが人間のような複雑な生き物に進化できたのも偶然です。


10の何億何兆乗分の1の確率でたまたま起こるようなことがたまたま積み重なって人間というものが生まれたのです。
しかし、これは見方を変えれば必然と言うことになります。
確率がゼロでないものは、時間の粉を振り掛ければいずれ必ず起こることなのです。
そして、進化が性質上逆戻りできない現象であったこと(遺伝子は積み重なっていくがあんまり減らない)も人間の誕生を助けたでしょう。
進化の性質は偶然ではなく、自然の法則です。
つまり、宇宙ができたときから、自然の法則の中には人間がいずれできることがプログラムされていたと言えます。
そしてその先もきっとプログラムされています。
でも、この大きな流れとは別に個人の幸福というものはあると思います。
がんばるのは自分の幸せをつかむためです。
そして自分の幸せの中には他人の幸せも含まれてるはずです。
自分の本当の幸せとはなんだろうということも考えてみるといいかもしれません。
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私の他の回答は、ほとんど全てと言っても良いほど、このような内容の質問に


費やされております。もし良かったら他の私の回答をご覧下さいませ。

人間は、決っして偶然に生まれてきたのではありません!!
もし、偶然なら、これほどのシステムを持った機能的存在には
なりえなかったはずです。
ましてや、アメーバーが進化して人間になったのなら、
人間になるための素材が既にアメーバーに無ければなりません。
原因に無いものが結果として現象化するはずがないからです。
そういうことは偶然ではあり得ないのです。
DNAの螺旋構造も、偶然に出来る確率は0だと、或る科学者は言っています。
ニュートンもアインシュタインも皆神様を信じていました。
科学者であるばあるほど、偶然にこの宇宙が出来たとは信じられないのです。

あなたの「目」という機能一つとってみても、それがどれほどの驚くべき
機能の連結された組織から成り立っているか考えてみたことがありますか?

目がないアメーバーがいつどうして「目」の必要性を感じ得ましょうか?
又、必要性をもし感じたとしても、それが突然変異の偶然の連続で
たまたま、「目」の組織になり、あなたの頭蓋骨の左右にたまたま、穴ぼこ
が空いて、たまたま、そこに「目ん玉」が収まる確率を考えてみたことが
ありますか??!!

ですから、目的が先にあって、「目」が出来たのです。
「物を見る」という「目的」が先にあって、存在が出来上がったです。
目的が先で存在は後なのです。つまり、目的の背後に意思を認めざるを
得ないので、必然的に、人間という合目的的に完成された組織体も、
これまた、目的が先にあり、結果的に存在するようになったのです。

意思が先にあり、存在はあとから現象化したのです。
これが「宇宙」です。ですから、宇宙の創造目的があり、その結果、
宇宙が造られたので、人間は、結果的存在であり、自分の意思で生まれてきた
人は有史以来一人もいません。ですから、人間が存在するようになった目的は、
人間を必要とした方の動機の中にあります。
人間だけが、価値観を追求する欲望を持っています。
他の動物にはそれがありません。価値観は、知・情・意に対して追求され、
その内容は、真・美・善となります。このような価値観を追求するように
創造されているのは、人間を創造した神ご自身が、知・情・意を
もっていらしゃるので、「子女」たる人間も、親に似て創造されたのです。
神様は、ご自身では愛を感じることが出来ないので、愛する対象として
子たる人間を創造されました。

人間は、神様の愛する実体対象なので、人間は何人と謂えども、生きる権利が
あり、愛される権利があり、幸せになる権利があるのです。
アメリカの大統領がそれを願うからではなく、日本の総理大臣がそれを願うから
でもなく、人間を愛する対象として創造された神がそれを願うからなのです。
これが「人権」の真の意味です。

また、同時に、善を行う責任(=自由意思)が賦与されているのです。
動物は、人間の喜びの対象であり、万物であり、責任はありません。
万物を主管する責任は人間にあります。
ですから、花の香りも、果物も、皆、人間の味覚に合致するように
造られています。
あなたは、それが偶然だと思いますか?
偶然だと言える根拠を示せますか?
だから、神様を信じて生きたほうが、いずれにせよ「得」だと言うのですね。
信じるか信じないかではありません。存在するかしないかのどちらかなのです。
ですから、希望を持って、頑張りましょう!!
神様は、間違い無くいらっしゃいます!目に見えない心のような存在です。
しかし、もし、あなたが、肉体より心の方が大事だと考えるのなら、
目に見えない神様もきっと信じられるはずです。
あなたは、偶然に生まれたのでは有りません。
親である神様にとっては、「唯一無二」「絶対」の存在なのです・・・。
どうかそのことを信じてこれからも生きてくださいませ。
ではでは、今日はこの辺で失礼します。
乱筆・乱文お許し下さい。
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この世界やこの世って結局はこの地球という星の人類という存在ということですよね。


だったら、幾億、幾兆もの星が生まれた中でたまたま生まれた地球に偶然的に生物が生まれる条件が揃って人類というものが誕生しただけです。
根本的に何のためとかといった意味は存在しません。
しかも地球上でそんなことを考えて生きているのは人間しかいません。
人間以外の生物はそんなことを考える機能も存在していないのです。
人間は他の生物と決定的に違うのは脳の発達にあると思います。
あまりにも脳が発達してしまった為に「勘違い」のようなものを脳の中で起こすようになったと思います。
本当は人間には「心」もありません。「心」がどこにあるか説明できませんよね。よく胸を押さえる仕草をしますがそれは「心臓」です。
「心」だと思い込んでいるのは結局は自分の脳で作り上げた考えで、利便上「心」という表現を使っているように思います。
ちょっと脱線気味になってきたので軌道修正します。
つまり、その「脳の生み出す勘違い」で人間はあれこれ悩んだりしています。
fujiryoさんの考えるこの世存在意味や、その対局の回答とする「世の中が夢幻」というのも全て「脳の生み出す勘違い」なのです。
勘違いを起こす脳なんて、発達した割にはパーフェクトではないと思います。
だから人間はみんなどこかゆがんでいるのです。
わたしの考えはこんなところですが、私自身、この世に全く意味など存在しないとわかってはいても、全くつまらないと感じたことはありません。
「脳の生み出す勘違い」は「脳の生み出す遊び」だと思っています。
人間だけが持っているこの脳内の遊びを一生楽しみながら生きていくだけで充分楽しいじゃありませんか。
これはまさに生きている間に限定された遊びです。
fujiryoさんがこの世って何だろうと考えていること自体、高度な遊びのひとつだと思います。
先ばかり見て満足した人生を送れるかなんて小さいことを言わないでください。
人間はカラダひとつで生まれてきたのです。その命をまっとうするまで人間しかできない「脳の生み出す遊び」で楽しみましょう。
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中学時代、同じような疑問にぶつかりました。


ちょうどその頃、故・手塚治虫氏のある短編漫画にこのような内容に苦しむ少年の話がありました。

ライオンブックスだったかな?
どの本だったかはちょっと忘れてしまいましたが・・・。

漫画喫茶なんかにおいてあると思います。
一度読んで見て下さい。
少しだけスッキリします。
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んー、難しいこと考えてしまいましたね。

率直に言って、答えなんか無いのでわないのでしょうか。そんなこと分かれば、誰も苦労しないし、誰も自殺しないのではないのかなあ。と私的には思いますね。「何のための存在」というのであれば、きっと、存在の意味などないのでは?もっとスペクタクルなことをいえば、人間ごときが、どうのこうの言うことではないのではないのはないのでしょうか。世の中は、あなた(勿論、私も)の為に動いてたり、存在しているのではないのですから。これは単に、長~い時間の流れなのですから。その流れの中に、たまたま自分というのが乗っかってるだけのことで、我々の存在などは、その中の一瞬でいいのですよ。我々は、その長~い時間の流れの中その一瞬をセカセカ生きる微生物のようなもんなのではないのでしょうか。その微生物は、世界って一体なんなのだろうという、疑問すら、持たずに「あー、あたしゃ、人生まっとうしたよ。」と思って死んでゆくのなら、それはそれで、しあわせだったのではないのでしょうか。私なりの結論としては、そんなこと知らないから「しあわせ」と、言うことになるのでしょうな。
>何のために存在するのか。こんなことを考えているとなんだか生きる気ややる気が失せてきて…。
元気のないことを述べてるようですが、一体、あなた自身が、今までどれほどの人生を送ってきたか振り返ってみてください。多分、狭い世界で、大した事もしていないのに、すっかりセンチメンタルになってるのでは?大事にしたい人、まだまだやってない事、しなくてはならない事、なんかあるのでは?狭~いところで、ウジウジしててはだめですよ。世の中は、広いのですから。自分の知らないこと、考え方の違い、今まで見たこと、聞いたこと、したこといっぱいありますよ。イッチョ、思い切ってもっと自分の世界をひろげてみれば?がんばって!!
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「この世界は何のために存在するのか、自分は何のために生きるのか」それを考えるのも意味があるでしょうし、考えないのも意味があります。



考えても結論が出そうもなかったら、何も考えないでボーッとしてみて下さい。

でもそのうちに何故か、ある考えが浮かんでくるはずです。
それがあなたを不幸にするような考えだったら、考えるのをやめて下さい。
あなたの目の前にある現実以外の幻想を打ち消して下さい。

やる気が失せてきたら、頑張るのをやめてみて下さい。

でもそのうちに何故か頑張ってみたくなるものが現れるはずです。
それがあなたが本当に望んでいるものだったら、是非頑張って下さい。

あなたが何を考えても何を行っても、あなたの根本にあるものは自然に幸福を求めていきます。
それに逆らわないで生きるようになったとき、答えは見えてくるはずです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

〈あなたの目の前にある現実以外の幻想を打ち消して下さい。〉これについてなんですが、どういうことなんでしょうか?良ければおしえて下さい。

お礼日時:2003/03/13 16:20

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