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 自分で自分の守護霊を見ることは誰にでもできますか。私は特に霊感が強いというわけではありませんが自分の守護霊を見たいと渇望しています。守護霊影響が自分にも強く影響していると、雑誌の「ジャンプ漫画単行本、「地獄先生ぬ~べ~(たしか9巻あたりに出ていたと思います)」で知って以来、守護霊の存在に興味を持つようになりました。

 自分の行いが良くなると自分自身についている守護霊の質も共に良くなり、また、その逆もありうると、その単行本に書かれていますが実際のところはどうなのでしょうか。良い守護霊がつくと運勢が良くなると聞きましたがどうすれば霊感が強くない人でも良い守護霊をつけることができますか。

A 回答 (11件中1~10件)

ちなみに主護霊、指導霊、支配霊については自分の類魂、つまり自分自身の別の側面の魂であり、個性が同じで経験が違うもの(ソウルメイト)だそうです。

要するにこれは自分の過去生なのではないかと考えられますが、ただ完全に自分自身の過去生とするのは微妙なようです。例えば江原先生の指導霊は昌清霊といって先生の類魂ですが、自分自身の過去生とは言わないようです。先生の前生は茶坊主だそうで。

ところが補助霊だけはそれらとは事情が異なる存在なのです。補助霊は現世でお世話になった他界した人や、肉体の血縁関係の先祖が付きます。あくまで言っておきたいのは、補助霊は霊的視点から見たら基本的に他人であるということです。肉体の血縁関係は現世で切磋琢磨し親和力を強めたというだけで、霊界で近しい存在という訳ではないのです。俗に守護霊とは肉体の血縁によるご先祖と考えられていますが、メインは類魂であり肉体の先祖ではないし、関わっていたとしても“補助”でしかないのです。ただ補助霊はまだ現世に近いところに居るのでメッセージの伝え易さが利点だと思われます。

bodhiさん。なるほど、スリムなツリーの人ですね。それなら自分の小我の醜さを見つめようとしない人物であるのは明白ですね。肉体は精妙であるのに、勿体ないことです。
今私の関心事は完全に、界を飛び越えることと霊界の類魂としての霊性を上げるのとは一緒にしない方がいいのではないかということに向いています。
瞑想は幽界でも出来る事です。小桜姫が幽界で精神統一の修行をしましたが、それは瞑想と同じことだろうと思うのです。小桜姫は人間を助ける神通力のためにそういう事をしながら、また霊界に帰れるようにもなったと思われます。
しかし現世で私たちがやるべきことは本来、生活行動の動機の多面性のうち小我をなるべく減らして、なるべく大我を意識の中心に持ってくることではないかと思うのです。それがどこまで異質の他者との間で、厳しい諸条件の中保っていられるか、それを磨きに来ている筈ではないかと思うのです。そうでなければ、現界に生まれる必要もないのではないかと。
私も、霊能開発なんかよりも上記のような事を心がけて生活する方が、よっぽど大事なことだと思われます。
要所要所で「こうやったけど、これで良かったんだろうか」と、自分を見つめています。

「物質的構造が違う」ですか・・・
それ以上の知識はまだ人間にもたらされていないのですね。
次はやはりカルデックを読むことにします。
そして、シュタイナーにも大変興味が湧いてきました。
bodhiさん、この度は貴重なお話まことにありがとうございました。
機会がありましたらまたお会いしましょう。
そろそろ失礼したいと思います。
bodhiさんもさらなるご活躍をお祈りします。
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ちょっと質問のテーマから外れかかって来たようなので、改めて守護霊について下記に説明させていただきます。

 
 ★主護霊--400年前から700年前に他界した先祖の霊魂。生まれる前から死後もずっと変わらずに付き添う。
 ★指導霊--職業・趣味などを指導している霊魂。その人の状態・波動次第で高級または低級な霊魂に入れ替わる。
 ★支配霊--人生のコーディネイト役。出会い、結婚、進むべき環境コーディネイトしている。我々の10年先も見通すことができる。
 ★補助霊--この三役の霊を手伝う霊魂。身内や近い先祖など古くない霊魂がこの補助霊となって守る。時には前世に関わる霊魂が関与することもある。

 母体内での受胎の瞬間から、あるいはそれ以前から、その人間の守護の任に当る霊が付きます。そして、その人間の死の瞬間まで、与えられた責任と義務の遂行に最善を尽くします。守護霊の存在を人間が自覚するとしないとでは大いに違ってきます。自覚してくれれば守護霊の方も仕事がやりやすくなります。守護霊は決まって一人だけですが、その援助に当る霊は何人かおります。守護霊にはその人間の辿るべき道があらかじめ分かっております。

 守護霊は見ることができない、と書きましたが、ひとつ例外を思い出しました。オーラの泉の中で、誰だったか忘れましたが、酷く堕落した生活を送っていたときに、魔界伝説に出てくるようなすごい形相をした人(霊)が何度も目の前に迫ってきたことがあった、と言ったら、江原さんが「それ、あなたの守護霊さんです。あなたに喝を入れるために現われたのです。」と言っていました。こういうケースもあるということです。

nande11jiさん。
「霊能力者イコール人格者ではない」と言った意味は、そんなに難しい意味ではありません。たまたま私の出会った霊能力者が、例えて言えば最近テレビに出なくなった「ズバリ言うわよ」とおっしゃっていた某占いオバサンとよく似ていたものでして・・・ これだけ言えばだいたい察しがつくでしょう。ようするに人が傷付くようなことをずけずけ言う人だったのです。
それまでは、人格を完成させ人間的に成長した結果として霊能力は身に付くもの、と思っていたものですから、その先入観が打ち砕かれてしまったわけです。
霊能力いわゆる霊媒体質とは、ようするに体質なのですね。人間の質とは全く関係ありません。
ですから、実際は悪い低級霊に憑依されているのに、自身は「神を見た!」とか言って新興宗教の教祖になったりすることがよくあります。これも霊能力者の一種です。
また、自己流に修業をやったせいで悪い自然霊に取り憑かれたケースもあります。そうなると人格破壊となります。まともな人間でなくなります。興味本位で霊能力を開発することは非常に危険なことだと思ってください。守護霊を見たいということも同様です。

他の惑星の知的生命について、物質レベルが違う、と書きましたが、正確には物質的構造が違う、ということです。それ以上のことは私にはわかりません。アラン・カーディックの本より知りました。物質は物質であるわけで、自然霊ではありません。しかし、霊界も霊的物質といいますし、むしろ地上界よりもしっかりしてリアリティがある、といいます。
霊界から見ればむしろこの地上界のほうが幻想的な世界、夢の世界だといいます。
本当に生きているのは霊界の住人であって、我々地上界の人間は真に生きていない、ボーッとして夢見状態で漂っている状態だとも言います。
ようするに我々には理解できない世界ですね。

ただ、今シュタイナーの「死者の書」という本を読んでいて、実際これはすごい本で、これまで読んだ霊的な本の中では最も深い内容を伝えているのですが、そこでも同じようなことを言っているのが、霊的知識の必要性です。
死んだ後の霊にとって、霊的知識の有無が、その後の霊界での生活に大きく影響してくると言っています。霊的知識を持たずに死んだ人、またはかたくなに死後の世界・霊の世界を否定してきた人は、死後、本当に苦労し、苦しむらしいです。
これはいろんな霊能力者が一様に言っていることですが、このシュタイナーも同じことを言っています。それだけによけい真実性が増してきます。否定論者の中傷や嘲笑などを相手にせず、これからもお互いに霊の世界を探求していきたいですね。
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bodhiさん、早速のご返答ありがとうございます。



今私は瞑想の効果について大変興味があります。
ま、「守護霊が見たい」という質問にも関係しているかも知れませんし。
私の現在の認識では瞑想は自分の心理状態を穏やかに保ち、乱れた波動を高く滑らかにする(やすりの手番の様に)ものと思われます。
また、瞑想により幽体離脱出来るというような話も聞いたことがり、高くなった波動でより高い世界、例えば幽界上層部のようなところへでも遊びに行けたりするような感じかと思います。
そこで、魂の故郷の感覚を思い出して心に刻むという良い効果があると思います。

しかし、ここでbodhiさんの言われる「霊能者イコール人格者ではない」という部分が非常に気になるのです。
霊界的な高級な感覚を経験するだけでいいのかという問題です。それを外に向かって発揮しなければ意味がないのではないかと。
霊界の類魂における本当の霊性進化と、現界、幽界、霊界を飛び越えられるということは分けて考えた方がいいのではないでしょうか。
界を飛び越えるのはいつかは誰もがやることです。本当の霊性進化は、人と関わったり日常生活で行動する中で、どれだけ動機の中から小我を減らして大我の比重を上げるか、そこにかかっていると思うのです。その為に現界があるのではないかと。だから霊能力がある者もない者も、常に自分の行動の動機を内省して、自分のどの部分が小我でどの部分が大我かを冷静に見分けている事が必要になってくるのではないかと。
だから、瞑想によって界を飛び越えただけで自分の霊性は上がったと思うのは勘違いだろうと思うのです。
bodhiさんはそのことを「霊能者イコール人格者ではない」とおっしゃたのではないかと思うのです。

それからもうひとつ。他の惑星の知的生命について「物質レベルが違う」という事にも大変興味があります。シルバーバーチでは霊こそ生命であると言われ、宇宙の知的生命とは知的な霊のことかと思われました。だから多分私は宇宙に存在しているのは知的な自然霊なのではないかと思っていました(もちろん俗にいう“宇宙人”のいる星もある事でしょうが、この場合はそういう事でなくて太陽系の中でも言えることとして)。
しかし今bodhiさんによると「物質レベルが違う」と言います。それは、「レベルが違ってもあくまで物質である」という解釈になろうかと思うのですが、どうなのでしょう?
肉体と幽体と霊では波動が違うのだと言われ、それが物質と非物質の違いだと思われるのですが、そうではなく、「物質としてレベルが違う」とは一体どういう事なのか・・・

スウェーデンボルグについての詳しいサジェスチョン、有難うございました。
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nande11jiさん、すみません。

ちょっと書き方を間違えました。
江原さんを知ったのはまだ3年前ですからタイムリーではありません。
順序としては、神智学->M.ドーリル-> だいぶブランクを経て ->江原さんです。

私もやはり「人生の意味・目的」を知りたいためにこういう世界に入っていきました。
子供の頃から何故か、宗教団体に入信している友人たちと縁があり、その友人の紹介でそれぞれの宗教団体を覗いたりしましたが、どこも正直ピンときませんでした。
頭ごなしの信仰の押し付け、教祖絶対主義、全体主義、そのウラにある醜い現世欲望、排他的権力抗争などを感じました。
私は西洋哲学から始めました。プラトン、トルストイ、カント、ショーペンハウエル、デカルト、サルトルetc
理論はなんとなく解るが、ではどうしたらいいのか、方法論、人生処世術が見えませんでした。

その後、横尾忠則から禅を、瞑想を知ります。桐山靖雄の密教瞑想、マハリシ・マヘッシ・ヨーギの超越瞑想(ビートルズが影響を受けている)、ラジニーシ(ぶっちゃけ、2年間ほど弟子になりました。ただ他の弟子達の軽薄な言動は嫌でした。このときの友人で後にオーム真理教に入った者もいます。教祖麻原は完全にこのラジニーシのパクリです。)
先の霊能力者と出会ったのも、このラジニーシ教団の中ででした。ここにはやたら霊視できる人が多かったです。
ただ、霊能力者イコール人格者ではない、ということも学びました。
ちなみに私には霊能力はありません。
瞑想はとてもいいものです。ただ、やはり霊魂の全体図が解らないと、目的意識がブレやすくなります。
何の為に・・? 結局はどうなるのか・・?
これがまだ見えませんでした。
それからしばらくこの世界から離れていましたが、
テレビのアンビリーバボーでの霊視(名前を忘れた少し小太りな女性霊能力者)や、陰陽師石田千尋の徐霊セッション、で、江原さんの「天国からの手紙」「オーラの泉」を見て心霊の世界に興味を持ち始めました。

スウェーデンボルグについては私もそれほど重視してはいません。約300年前の人ですし、かなりキリスト教色が強いので我々日本人にはなじみにくい部分もあります。
「惑星の霊界探訪記」も読みましたが、私もあまりリアリティは感じられません。参考程度でいいと思います。
ただ、他の惑星の知的生命の存在、他の惑星への転生は、神智学もケイシーもシルバーバーチもM.ドーリルも同じく肯定しています。
物質レベルが違うそうです。地球の物質レベルで見る限り、他の惑星は全て不毛の星です。ですからNASAの探査機が生命を発見することは不可能です。
ちなみにこの地球は太陽系惑星の中で二番目に霊的レベルが低い星だそうです。一番レベルの低い星は火星だそうです。一番レベルの高い星は当然太陽で超高級霊の方々がおられるそうです。惑星の中では木星が一番上だそうです。

スウェーデンボルグはまた前世・転生をも否定しています。
これらはすべて悪霊がその人の情報を読み取ってでっち上げた作り話だ、と言っています。まあ、そういう面も実際あります。
その真偽を人間が判断することは無理だとも言っていますが、他方、シルバーバーチは、転生を認めない霊がいるがそれはその霊の体験不足からきている、とも言っています。このあたりがおもしろいですね。
スウェーデンボルグで勧める本は「霊界(3部作)」がいいですが、たしかにシルバーバーチや「ペールの彼方の生活」などを読んだあとでは、少々違和感を感じるかもしれません。300年前のキリスト教社会が背景ですから、ひとつの古典として見る程度でいいと思います。
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質問者さん分かりました?


守護霊にも色々事情があるのですよ。それであなたがそこまで知る必要があるかどうか知りませんが、要は良い守護霊は別段あなたの言う運勢を上げるのではないのですよ。

bodhiさんは20年以上も前から神智学をやっておられて、暫くして江原先生の本に出会われたのですか。『人は何故生まれいかに生きるのか』が出たのは95年でしたか。タイムリーな訳ですね。私は江原先生に出会ってほんの3年ちょっとくらいですので、大先輩という訳でしたか。しかも神智学というと、世界中の様々な思想に関わっておられて、一通り思想に明るいということですね?。私とはベースの違いを感じます。

私はこの世とは何で、何故生きるのかについて長い間考えて来ました。そして最初は唯物論的な虚無の思想体系を自分で築いて「苦痛を回避する仕組(生命原理)が、人を生かしてしまっているに過ぎない」としていました。人の全ての行動を一応これで網羅できたのです。でもこの論理の虚無感をいつかは打開しなければと頭をひねっていました。

しかし一方で人間として信用出来る宜保愛子さんから、幽世のことを知りたいと思って、いつもテレビを見たりご本を読んだりしていました。
私は今でも宜保愛子さんは嘘ではないと思っています。そして、宜保さんが残した功績は大きいと思っています。
しかし、幽世の全体像を捉える程の世界は宜保さんにはもたらされなかったんだろうと思います。宜保さんは大抵幽界までしか感識していない感じでした。宜保さんにも「生まれ変わりの瞬間光のなかで何もかも忘れる」という記述があり、霊界が全く知れなかった訳ではないとは思いますが。
それで江原先生もその人間性から信じご本を読むようになったのですが、こちらは幽世の全体像が詳しく述べられていて、思想も素晴らしいことが分かりました。それでやっと私は唯物論の持論を捨て去って、それに代わるスピリチュアリズムを信じるに至ったのです。
この3年で読んだのは江原先生の書籍が11冊くらいと、シルバーバーチ12冊、インペレーター2冊、小桜姫、心霊講座、古武士霊、スウェーデンボルグ惑星の霊界探訪記です。次はカルデックかなと思っているところです。

スウェーデンボルグはなにを隠そうbodhiさんの投稿を拝見して知ったのです。ただ、スウェーデンボルグには信じてもいいだろうという部分と、どうしても信じがたい部分があるような気がするのですが・・・
太陽系のどの惑星にも、知的で高等な自然霊が居る、それは信じられます。そして地球は他の惑星から見ると霊性が低い方だ、そうかも知れません。しかし、どうもスウェーデンボルグは、どの惑星にも地球と同じ生物としての人間が存在し、水星人、金星人、木星人などと呼んでいるみたいなのですが、そこがどうしても受け入れられません。物質としての人間となると、今度は物質科学を根拠に否定される気がするのですが・・・
ちょっと脳に刷り込む時に記憶の間違いもあるのかなと。
スウェーデンボルグの他の書籍は、果たして読んだ方がいいのでしょうか。1冊目でつまづいた思いなのですが・・・
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nande11jiさん、ごぶさたしております。


私の守護霊の回答に関するご指摘ですが、確かにちょっと言葉が足らなかったように思えます。
私は江原さんの言っていることは否定していません。
むしろ守護霊についての知識は、江原さんによってわかりやすく整理できましたので、非常に尊敬しています。
nande11jiさんもご存知のとおり、守護霊には中心となる主護霊と指導霊、支配霊、補助霊などがあります。
一生変わらないのは主護霊で、指導霊がその人の成長次第で変わったりします。
私は主護霊を質問者の言う守護霊とみて回答したわけでして、指導霊を守護霊として見た場合では回答の内容が違ってきます。
正確さに欠けていたようでしたね。nande11jiさんのおっしゃるとおりです。

もともと私は神智学から霊的な知識を勉強していました。
もう20年以上前です。とある霊能力者との出会いから霊的世界に目覚めたわけですが、初めのうちは信じられなくチンプンカンプンで、ただ、すごく奥の深い世界だ、とは感じていました。
しばらくして江原さんの本に出会って、そのわかりやすい解説から、それまで難解だった神智学の内容も理解できるようになり、また江原さんと神智学との言っている内容に、多くの共通点を見て、あらためて霊的世界に確信を持ち始めました。

守護霊についてこんなにわかりやすく、また細かく説明しているのは本当に江原さんだけです。

その後はM.ドーリル、三浦関造、スウェーデンボルグ、エドガー・ケイシー、シルバーバーチ、アラン・カルディックなど近藤千雄氏訳の一連の霊の本、浅野和三郎、などを経て、今になってようやくR.シュタイナーを読み始めています。
そして驚くことに、みんな同じことを言っているのです。
霊の世界を勉強すればするほど、それは真実性を確信していきます。
本当にすごい世界ですね。
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#2です。



bodhiさん、お久しぶりですね。
最近またokwaveをやられているようで。
今回の投稿を拝見して、bodhiさんは江原先生の意見は採用しておられないかなと思うのですが、別のところでは江原先生を肯定されているようですね。私はbodhiさんが何の意見を採用されているか分からなかったので遠慮しておくことにしていましたが、江原先生を否定している訳ではないという事なら少しお話させて頂こうかと思います。

江原先生によれば、守護霊にはいくつかの種類があって、その中で文字通り人間を守る役目のものを主護霊といって、これはbodhiさんの言うように一生変わるものではないかも知れません。
しかし、人間の修行を支配する指導霊に関しては、人間の頑張りや堕落の末、それなりの指導の仕方が得意な霊に交代することがあるそうですよ。質問者さんが運がどうのこうのと言っている部分をコントロールするのは、この指導霊の判断のように思われるので、ここは交代もあり得ると言ったほうがいいのではないかと思われるのですが。

もっともbodhiさんのことですから私の思いもよらないような情報が飛び出してくるか分かりませんので、もう少し突っ込んだ見解を教えて頂けたらと思います。

一応okwaveの回答としては、「守護霊に交代はあり得る」という主張をしたいと思います。
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普通どんな霊能者でも自分の守護霊は見えないそうです。


ちょうど自分の後頭部を見えないのと同じように自分のことはわかりにくいものなのです。
ただ精神を集中させれば感じる事はできるかも知れませんね。特にレム睡眠時など神経が高ぶっている時は非常に敏感になっていますから多くの人が見たり聞いたりの経験をしていると思います。

良い守護霊に付いてもらうには良い人間にならなければなりません。
守護霊とは友達のようなものでお互い相性が有りますから。
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>自分で自分の守護霊を見ることは誰にでもできますか。


普通の人ではまず不可能です。よほど強力な霊視能力と清浄な人格を持っていないとダメです。
>自分の行いが良くなると自分自身についている守護霊の質も共に良くなり、また、その逆もありうると、その単行本に書かれていますが。
半分は正しいです。つまり自分自身の成長が守護霊の成長につながることはありますが、その逆で、自分自身の堕落が守護霊の堕落にはつながりません。
もともと、守護霊とはその人が地上に生まれてから死ぬまでずっとその人を見守っている存在です。途中で別の守護霊に変わったりはしません。その人を霊的に成長させることに使命を持っています。
その人がこの世で体験することは全てあらかじめ知っていますし、どんなに酷い状態になっても決して見捨てたりはしません。
魂の親、保護者なのです。
死んで霊界に行けば、自分の守護霊に会うことはできますが、生きている間はまず無理です。
>良い守護霊がつくと運勢が良くなると聞きましたがどうすれば霊感が強くない人でも良い守護霊をつけることができますか。
これはデタラメです。そういうことはありえません。
自分が守護霊を選ぶことなどできません。
あなたは自分の親を選べますか? それと同じです。
それに守護霊の最大の関心事は霊的な成長であり、この世での物質的な成功にはあまり価値を持っていません。どうでもいいこと、と思っています。
むしろ、成長のためにあえてその人に試練を、苦しみを与えることもあります。
獅子がわが子を千尋の谷へ突き落とすように。
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守護霊は現世で修行する我々から見たら、はるか遠くの次元の違う世界に存在しているもので、向こうからこちらに働きかける事は出来ても、波動の荒い現世の人間の魂が、守護霊を見る事はほとんど出来ません。


ほとんどと言ったのは向こうが見せる必要がある場合わざと見せる事は万が一あるかも知れません。しかし、通常はあり得ません。現世の人間が霊界の遠きに居る波動の高い真の守護霊を自分から見るのは無謀、というか霊界から見たら思いあがりみたいなものです。
特殊な人は霊界の意思で波動を落とすなり、霊の連携を利用するなりしてメッセージを伝えられるという使命をもっている人もいる事でしょうが、通常は守護霊を見る事に意味がなかったり、悪影響になったりするという霊界の判断で、決して守護霊を見られません。
守護霊は現世の人間の意志で交代したりなんだりする物質的な代物ではありません。あくまであっちの判断で、あなたの為になるかどうか話し合い検討されて、守護霊が交代したりなんだりする事はあります。
自分の行いが良くなり、自分がより厳しい環境に耐えられるほどレベルアップすれば、守護霊が交代してより厳しい試練を与えられることはあります。自分が厳しさに折れてしまって、堕落してしまったなら、守護霊の高級さが一段階格下げになり、試練もそれなりの低俗さとなります。
レベルの高い霊がつくという事は運勢が良くなるという現世利益的なことではありません。霊界は現世利益を目指さないのです。幽世での利益つまり人間的成長を目指すのです。守護霊は現世利益をアメとしてちょっとづつ与えながら、出来るだけ切磋琢磨させようとするものです。良い守護霊がつけばつくほど、試練は厳しく高尚で、現世利益は少しになります。
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