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カール・シュミットの憲法制定権力に限定した場合、憲法制定権力を認める立場は、憲法律の改正は認めても憲法のアイデンティティーの変更等は認めない立場ですよね。ならば、憲法制定権力論は憲法改正限界論なのでしょうか。

けれど、憲法制定権力が認めたのなら「どんな憲法の改正も自由にできる」とも考えられます。実際、カール・シュミットの議論はナチスによりワイマール憲法の破壊に使われたとか。その場合(同じドイツ国民が憲法制定権力だとすれば)憲法制定権力による「新たな憲法の制定」ということになり(もちろん改正と新憲法の樹立は違うのかもしれませんが、実質的には)憲法の改正には制限がないことになります。

憲法制定権力論は憲法改正限界論でもあり無限界論でもある。この理解は間違いでしょうか。

A 回答 (1件)

憲法制定権力は古いconstitutionを破壊し、新しいconstitutionを打ち立てる権力ですから、そもそも法の下に制限することは不可能です。

しかし、憲法制定権は内容的にも手続的にも法的には何ものにも拘束されない絶対的な権力ですから、それをそのまま野放しにしておくことはきわめて危険なことです。憲法は体制保障法でもありますから、憲法制定権についてはただ現体制を正当化するための正当性原理としてのみ観念的に存在することが望ましいことになります。
 また、近代社会は立憲主義を前提としますから、原則として憲法の変動も憲法の枠組みの中で正当化される必要があります。憲法改正権はそのようなものであり、それは憲法制定権ではなく、憲法によって作られた権力ということになります。従って、改正権は憲法制定権力によって作られた憲法自体からの制約を受けることになります。
ここから憲法改正限界論が生じるということになります。
ここから導かれる結論は2つあります。

まず主権者(憲法制定権者)は、憲法典に定められた改正手続きによらずとも憲法を改正することができるということです。ただしこれは、旧憲法を否定し新憲法制定の正統性を肯定する行為に当たりますから、政治的・社会的な問題として解決する必要があります。いわゆる革命的変化であって、フランス革命などがこの類型でしょう。この類型は憲法制定権力による「新たな憲法の制定」ですから、制限がありません(カールシュミットは権力分立や人権保障などを満たしたものしか憲法として認めませんが、これは立憲的意味の憲法か否かという問題であって、実定的意味の憲法か否か=憲法制定権力に依拠する正当性があるか否かの問題ではありません)。

これに対して、憲法改正というのは新憲法の正統性を旧憲法に求めます。憲法制定権力によって定められた憲法に従って、憲法改正したことに改正憲法の正統性の根拠がありますから、旧憲法の基本原則や基本的原理を否定する内容の変更を改正の名で正当化することはできません。

したがって、憲法改正には限界があるが、新憲法の制定に当たっては限界がない、というのが結論となるのではないでしょうか。
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