牛、豚、鶏、どれか一つ食べられなくなるとしたら?

このカテゴリーで良かったのか分かりませんが宜しくお願い致します。

人生はある意味サバイバル(淘汰という意味)だと言えますが、これを生き抜くには、人生の草創期に資質が、様々な条件から決められてしまいます。これを不条理にかんじることがあります。

はたと、気付いたら自分の生きる条件はかなり悪い、さて、と、ここから何とか再起を図れた方のお話を伺いたく質問させていただきました。

どんな環境から、どう持ち直したのか…お聞かせください!

A 回答 (5件)

質問者さんは「人生万事塞翁が馬」というお話を知っていると思います。

私はこの年になって言えることですが、私はその話の権化、あるいは、現人神だと思っております。

私の人生は、
>はたと、気付いたら自分の生きる条件はかなり悪い
の繰り返しでした。でもどう言うわけか、自分の望み通りにならなかった度に、自分では予想もつかなかった物を手に入れて来ました。そのことから、自分は、自分とって何が幸福になるかを判断できるほど、人間が出来上がっていないのだと言うことを、繰り返し思い知らされました。今でもそう思います。どう言うわけか、失敗するたびに、前より大きく立ち上がることができたと思っております。多分、自分の思い通りになっていたら、今の私のような心の静寂感は味わえないと思っております。

では、どうして、そんなことができたのか。多分、私は根っからの楽天家だったからではなかと思います。もちろん繰り返し失敗したと言う幸運に巡り会えたことも大事だとは思いますが、それにも増して楽天家であったというのが、宝だったのだと思います。悲観的に物事を見ない性格に感謝しております 。
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この回答へのお礼

素敵な回答ありがとうございます、すごいことですね。身にしみます…

お礼日時:2009/02/28 14:17

分かりますね。


資質とか条件とか
あれがこうだったら
これがこうなっていたら・・・
たられば、の愚痴は誰しも心の中でこぼしているものです。
ですが、いくら愚痴をこぼしても何の解決にもなりません。

私は仕事や人間関係で行き詰まった事が昔何度かありました。
友人に相談もして助言もいただきました。
でも最後に決断して前に進めたのは
自分自身との相談でした。
どうにもならない状況の中で、自分に向かって
こうするか?
これでいいか?
本当にいいか?
ん、よし!
といって前へ進んだのです。
裸の自分と向き合えるのは最後は自分だけです。
そして決断したら迷わず、迷いを振り切りつつ進みました。

若い時にはそうして難局を切り抜けてきたものです。
それで良かったのかどうか
最善の道であったのかどうか
人から見れば、その生き方がどのように映ろうとも
自分ではそれで精一杯だったのです。
裸の自分と相談して決めた事、約束は破れなかったものです。

人生の勝ち組になりたい気持ちは誰にでもあります。
でも、勝ち負けにこだわっていられるうちはまだ余裕があるのです。
どうすればいいのか分からない、余裕の全くのない状況では
最後は自分と突きつめて向かい会うしかないのです。
そこには自分の資質とか条件とか
人と比べて自分がどうであるとかは関係ないのです。
頼れるのは自分だけしかいないからです。

また、人に相談し協力を仰ぐにしても
その前に自分で決めて本当に相談できる人かどうか腹をくくっておかないと、相手にも通じないし、実のある相談ができないものです。

愚痴をこぼすよりもとにかく前に進む事です。
どんなに苦しくても前に進んでいく事が生きるということです。
勝ち負けは人が決めればいいことです。
裸の自分が納得できれば、その道でいいんじゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

また色々ありまして落ち込んでおりました、お礼遅れてすみませんでした。ありがとうございます!

お礼日時:2009/02/28 14:19

私には、あるウィークポイントがありまして、これを克服すべく色々長年取り組んだのですが、結果的にはよくならず、この点が原因で最初の職場も辞め、その後も就職はできても勤務継続が困難で本当にお手上げ状態になっていました。


転機は、事実そのままに書きますと、ある祈願を契機として、私の状態を承知の上で雇って頂ける所に奇跡的に恵まれたのです。
私としては、祈願も面接も、この点は現実的に困難でできないことがあるけど、それ以外のできることはぜひやらせて頂きたい、という気持ちでさせて頂きましたが、それを受け入れて頂ける方々に恵まれてこそ、生きていられる、というのが実態です。
やはり、
自分として誠実に精一杯やれることを尽くして行くことと、
他の方々の恩恵に恵まれる、
という2点はポイントだと思います。
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この回答へのお礼

お礼遅れてすみません、参考にさせていただきます!

お礼日時:2009/02/28 14:20

人生というサバイバル


これからは、そういう世の中になるかもしれません。
私は2回リストラされ失業中に400万近くの借金をしてしまいました。
いまは正業に就き借金も150万ぐらいになりましたが、
完全復活するまでまだまだかかりそうです。
正業以外にアルバイトをし、妻にはパートに出てもらい、精神的・肉体的に
かなりつらい時期がありました。
ただ、わたしには良き相談者が近くに居た為、かなり精神的に救われました。

相談者様にアドバイスできることは、窮地に追い込まれた時に助けてくれる   友人を持つ事と、何か目標を掲げて仕事をされる事が、大事かと思います。
人は人、自分は自分です。
モノの見方ひとつ、考え方ひとつかえるだえで世界が違って見えてきます。
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この回答へのお礼

考え方一つ…よくわかるのですが…ありがとうございました、頑張ります!

お礼日時:2009/02/28 14:21

>>人生というサバイバル



人間は野生動物じゃないですからサバイバルということはないんですね。そう思い込むのは致し方ないとしても、それは間違いということですね。誰しもそれぞれの個性で十分世の中の人生をまっとうできるようにできてるのですね。ちょっと背伸びして生きるのはいいですが、サバイバルなどと考えると生きずらいでしょうね。プライド? 他人がうらやましい? 嫉妬? 何を考えて生きているのやらですね。世の中、一番も2番もビリから2番、ビリもいますがビリがいなければビリから2番も先頭の1番も存在しないということを、先頭の1番とビリまでがサバイバルだと捉えると、それは単なる勘違いとしかいいようがないということですね。1番は一番なりに生きればよいし、ビリはビリなりに楽しく人生を全うすればいいだけなんですよ。それが自然体の人生ですね。試験としての人生はサバイバルゲームではないのですね。各々の環境で自身の課題を克服すればよいだけですね。他人の人生を真似る必要もないし、張り合う必要もないのですよ。
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この回答へのお礼

本当にありがとうございます…色々ありまして落ち込んでおりました。頑張ります!

お礼日時:2009/02/28 14:22

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