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こんばんは
なにかつらい体験などをした後に
「あのときがあったから今がある」
って言ってさわやかになってる人をたまに見ますが、あれってどういう意味なんでしょうか?

例えば、5年間引きこもっていた人が、今は立派に社会に出て働いている。彼は誇らしげにこう言います。
「あのとき(引きこもり期間)があったから今がある」。

私の見解では
「あのとき(引きこもり期間)がなければ、もっといい人生だっただろうに」
って言いたいのを我慢してるように思います。
「あのときがあったから今がある」とでも言わないと、つらくてやっていけないんだろうに・・・って思ってしまいます。
すいませんそういう人を馬鹿にする気はありません。

私も過去に思い出したくないつらい経験があります。
「あのときがあったから今がある」
と言って綺麗さっぱりに忘れられるのなら、その魔法の言葉を私も使ってみたいです。
「あのときさえなければ、今頃はもっといい人生を・・・」ってなってしまいます。

※上記の例は引きこもりを脱出できた人を侮辱したわけでないです
ただ、「あのときがあったから今がある」の意味が知りたかったんです

どうかご回答お願いします
読んでいただきありがとうございました

A 回答 (11件中1~10件)

う~ん。

「あのとき」ってのは例で言うと「引き篭もりの期間」って事柄として特定してるわけじゃなくて、単純に「あの時間」(ただ何月何日っていう単純な”時間”)って事だと思うんですよね。

「あのときがあったから今がある」ってポジティブシンキングでもなんでもなくて、本当にただ当たり前の事実なんですよ。逆に言えば、「あのとき」がなかったとしたらこの「今」は絶対に在り得ないわけで。

う~ん。上手く説明出来ないなぁ・・・。
言ってしまえばあらゆる存在ってのは過去を食べて存在してるんですよ。どんなに情けない時間だったとしても、それを食べた(消化した)からこそ、今こうやって存在してるわけで。もしその情けない時間だけがすっぽり抜けてたら「今」この瞬間の存在は存在出来なくなるんです。「あのとき」が「あのとき」として流れたからこそ、今こうやってこの自分が存在している。これはもうどうしようもない事なんですよね。

例えばですよ?貴方には思い出したくもない過去があるようですけど、それが違った(例えば素晴らしい)過去だったら今ここにいる貴方は別人でなくてはいけないんです。もしそんな事が出来るなら、その別人の貴方に今の貴方は追い出されるわけです、「出てけよ。もうお前は存在しちゃいけないんだよ。これから存在するのは俺だ。」って。(もし、今の貴方と別の貴方が会話出来るとしてね)
それが故に、貴方が今の貴方として存在するのは「あのとき」のおかげなんです。


「あのときがあったから今がある」ってのはつまりそういう意味なのだと思います。
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「いま」がすべてだと思います。


いま幸せを感じていなければ過去を呪うでしょう。
でも「いい思い出」だけを残してあとはすべて消し去るという作業を頭の中でしてみても、過去がスカスカなんですよね。
そんな過去は頼りなく感じませんか?
「いい思い出だけ」という過去はあり得ないんです。

今辛いけど、あの時のあれよりマシだな。。。と比べることを繰り返して今があるのだと思います。あれに耐えたのは確かに自分だという確信があるはずです。それが「あのときがあったからいまがある」の意味の私の回答です。
それでも今の方が辛いと感じるのは現状に不満があるからでしょう。それはそれで受け入れるべきで、これもまた過去になり繰り返して行くものだと思います。

ちなみに私は「明日があるさ」が嫌いです。
今をあきらめて、明日に期待してもまた同じ事
将来をちょっと想像しながら「今を生きる」のが前向きだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます
皆様へ
ここに代表としてお礼させていただきます

私も過去をいいようにしたいなら、今を楽しくする努力をしたいと思いました

お礼日時:2006/11/30 14:54

私も質問者様と同じく”あのときさえなければ”と思うのが普通と思います



>あのとき(引きこもり期間)があったから今がある
これは単純に言葉を間違えて使っているだけではないですか?

私のイメージする「あのときがあったから今がある」の話は例えば
個人で会社を起して借金を抱えて苦し時期も有ったけどソレを乗り越えて
今ではリッパな会社になり従業員にもボーナスが習えるようになった、
あの時(苦しい時期)が有ったから今の会社がある。
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いまの自分の気持ちが上向きか下向きかで


自分の過去をありのまま受け入れられるか否かが決まるような気がします。

いま現在なんらかの苦痛や不満を感じているときは、
過去に起こった辛く悲しい出来事をあげて
「あのときさえなければ、今頃はもっといい人生を・・・」と感じてしまうだろうと思います。

逆に、
いまの自分の生活に満足していて
自分の生き方を肯定でき、人生を幸福だと感じることができれば
過去のいいことも悪いことも全部ひっくるめてごく自然に
「あのときがあったから今がある」と思えるのではないでしょうか。
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「あのとき」と「今がある」の「今」が、その人、その場合によってさまざまなのだと思います。



たとえば、私は中学生のときにいじめにあいました。本当につらかったですが、その状況を耐え抜いたおかげで「孤独」が怖くなくなり、人の顔色を必要以上にうかがうこともなくなり、とても生きるのが楽になりました。
そうやって一人でも楽しく生きるようになると、不思議と友達もでき、その友達とはうわべだけでなく本音の付き合いができています。
私の場合、いじめにあったおかげで出来上がったともいえる私自身のことを結構好きなので、あの体験も無駄じゃなかったな、と思います。

ですが、同じようにいじめにあった人でも、逆にまたいじめにあうのが怖くなり、人の顔色をうかがうようになる人もいるでしょう。
そういう人にとっては「あのつらい体験のおかげで今の自分が。。。」とは言えないかもしれません。

また、私も会社でつらい思いをしたことがありますが(主に仕事上)、この点に関しては今でもつらくて、あまり思い出したくないので、「そのおかげで今の私がある」とは、言えないです。

質問者さんも、本当につらい目に合われたのですね。お察しします。
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魔法の言葉というよりも、ポジティブシンキングのあかしとでも言いましょうか。

つまり自分なりに、つらかったこと、悲しかったこと、失敗などから出来てしまった無意味な日々というものをすべて自分の能力だ、自分の人生だとちゃんと受け止め、そのことを糧にした結果の言葉であって、つらいものはつらいし悲しいことは悲しいままだと思います。きれいさっぱり忘れたなんてことありえません。忘れたくても忘れられないことだけれど、自分の人生を見つめ直した結果、その経験さえも自分に課せられた試練だとポジティブにとらえられたときに一回りお大きくなったのだと言いたいのだと思います。挫折を知ったヒトは強いやどん底から這い上がったなども同じようなことに当てはまるのではないでしょうか。また宗教的に言うと「神の思し召し」に近い言葉だと思います。もちろん決してそれが言えないヒトを侮辱している訳ではありません。つらいことは他人には決してもわからないことで正当かする必要もないことはたくさんあると思います。ただそうすることで自分の人生を歩んでいけるということだと思います。こうゆうことは考えませんでしょうか?「あのときさえなければ、今頃はもっといい人生を・・・」と思ったとき、これは本当だろうか?
あのときの10分前に戻ったらその後事故に巻き込まれて30分後に死んでいたかもしれない。とか。もっと地獄のような思いをしていたかもしれない。それより今の人生すっごいましかもって。
ちょっと無茶でしたね。でも、そうゆう考え方もあるってことです。
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「あの時」というのが、ただツライだけの時期なのか、しんどい思いをしたけれど勉強になったり自分が成長できた時期なのかによって変わるのではないでしょうか?



ご質問にあった引きこもりの件も、その5年間で彼は何も変わらずにただ部屋にいただけなのでしょうか?
部屋の中で彼はいろいろなことを考えたりすることで、今のような人物になることができたのかもしれません。

もし引きこもらずに、そのまま同じ生活を続けていたら、今のような自分にはなっていなかった。
だからあの5年間は無駄ではなかったんだ。
彼はこう考えているのではないでしょうか?

もちろん、引きこもらなければもっと違う人生だったかもしれません。
でも彼は今の自分の姿にある程度は満足しているのでしょう。
だから、今の自分を作ったその5年間をそのように表現できるのだと思います。

powerful55さんもつらい経験をして、何か自分が変わったことはありませんか?
私は自分がつらい思いをしたりすることで、他人の痛みを知ることを覚えたり、人にやさしくなれるということを学びました。

長文、失礼しました。
何かの参考になれば幸いです。
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 「あのときがあったから今がある」という言葉を公言しているのは、現在、社会的に成功している人が多いように思います。

(昔、貧乏だった人など)そのような人であれば真実味があるのではないでしょうか?
 昔、大変な思いをして、今人並みの生活であれば、大変な思いなんてしない方がおそらく良かったのでしょうけど。

 本当に「あのときがあったから・・・」と思ってる人もいれば、「そう考えて生きていこう!」と自分に言い聞かせてるだけの人もいるでしょうね。
 言葉の真偽はともかく「あのときさえなければ・・・」とうじうじしてるよりは、前向きでよい言葉だと、うじうじするタイプの私は思います。
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大抵の人は過去に苦難や挫折、失敗で苦しんだ事はあると思います。



今は学校のいじめ問題がクローズアップされていますが、そこでつらさに負けてしまって自殺して命を絶ってしまう人がいます。学校のいじめだけじゃなくて会社でいじめられたとか、借金もつれになってしまったり様々な理由で命を絶ってしまう人がいるわけです。そこでつらいからと簡単に命を絶って死んでしまったら人生はそこで全て終わりなわけです。

「あのときがあったから今がある」そう言われる人たちはあらゆる苦難や挫折、失敗で何もかも投げ出したくなりそう(一概に命とは限りません)になりながらも何とかそれを乗り越えて安泰や幸せを確立きたわけでそれをしみじみ回想しているわけです。爽やかに見える人はつらかった当時は自分にとって重大な問題だったものの、いま考えればは笑い飛ばせるくらいの軽い問題だったかもしれません。例として特に思春期の時なんかは感受性がとても敏感な時期なのでつらかったが大人になったて考えたら何て事ない問題だったとか。

それがどうしてもできない人、難しい人はトラウマとなって引っ張ってしまうわけです。苦しみ過ぎて精神を病んでしまう人だっています。

質問者様が思われるように本当にそのセリフを負け惜しみで言われている人もおられるかもしれませんが、必ずしもそうとは限らない場合もあります。

私もそのセリフを言う事がありますが、決して負け惜しみではないです。
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あの辛い時を乗越えられたからこそ、その後もいろいろな問題や挫折しそうになったことはあったけど、そういった苦難も乗越えられて、今あるような(良い)生活が出来るようになった…みたいな意味です。


もし、あのような経験をしていなければ、多分、その後のいろいろな問題や挫折に太刀打ち出来なかっただろう…、だから、あの時は確かに辛かったけどそれを乗越えたことで今の自分がある、と言っている訳です。
それ以外には、あのときがあったから、それがきっかけで人との運命的な出会いがあって、それで自分の人生が変わって、今のように良い生活が送れている…というような場合にも使われます。

普通は、あの時はだいたい過去の苦しかったり辛い時期があって、現在は状況が好転している場合に使われることが多いと思いますが。。。
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この回答へのお礼

なるほど、私も自分の嫌な思い出(思い出というか忘れようと思ってます)を、ひきずってるのは、その延長線上に「よかったこと」「そこから学べたこと」を見出してないからだと思います。

その嫌な思い出からなにも学べてないです。
今はまだわからないです
この先にその意味がわかればうれしいです
ありがとうございました

お礼日時:2006/11/29 23:37

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