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今日の列車を最後に熊本・大分行き「はやぶさ・富士」が廃止になり、関東九州の夜行列車が全廃になってしまいます。

かつては関西からも明星。あかつき・彗星などのブルートレインがラッシュの合間を縫って何本も走っていたと聞きます。
時代の流れとはいえ、本当にさびしい限りです。

これらの列車に多くの思い出をもっている方も多いと思います。
皆さんにとって人生の節目等でもっとも思い出のある列車を教えてください。(出来ましたら、エピソードも)

私は9年前、進学のために小松駅から乗車した「雷鳥」です。
両親,兄弟から祖父母,叔母夫婦,姪まで見送りに来て、当初は5月の連休にすぐに戻ってくるのに何を大仰なと思いましたが、発車間際祖母から涙ながらに弁当の入った包みを渡され、福井を出たあたりでお腹が空いて晩御飯に祖母の弁当を食べようとした時、手紙が出てきて・・・・・・・

やられました。
どっとこみ上げて来ました。

A 回答 (19件中11~19件)

 drakichi70さん こんばんは



 思い出の列車と言うと私は沢山あります。

 まずは#3さん同様「急行アルプス」です。私は高校時代スキー部に入っていて、八方尾根スキー場まで合宿に行くのに新宿から「急行アルプス」に乗って行ったんです。高校生がスキーなんてお金のかかるスポーツをするためには、極力交通費を安くする事を考えます。ですから指定席ではなくて自由席で行くんです。朝6時半発だったと記憶していますけど、一年生が3人しかいない中で総勢10人分の席を確保しないとならない・・・。一年生全員で話し合って、前の晩から新宿駅に行って並んで席取りをしました。結果6人分の席しか確保出来ず、列車が入線してから来た先輩の全員分の席が確保出来なくてその場で説教を食らうしまつです。当然一年生3名は、新宿~信濃大町までたちんぼうでした。とても辛かったです。
 翌年の冬の合宿からは一年生に辛い思いをさせたくないと考えた私たちは、部員全員指定席で行きましたけど・・・。その代りバイトして旅費を貯める様にと後輩に指示しましたけど・・・・。

 次の思い出は「寝台特急エルム」です。
 薬科大学を卒業し、無事国家試験合格した年話です。ゴールデンウイークが終わったあたりに、父から「国家試験合格した報告しにおじいちゃんのお墓参りに行くぞ!!」と父が言いだして・・・。北海道まで行ってきたんです。その時に使った列車が「寝台特急エルム」です。
 私が初めて勤めたお店は昔感覚の人が経営者だった関係で、入社一年目は有給がなく、週休一日と夏休み・冬休みがそれぞれ3日と言う会社でした。最初は北海道に行くのを父に断ったのですけど、どうしてもお墓参りしないとダメと言う父を説得出来ずに、お店に頭を下げて3連休もらって行った旅でした(結果3週間休みなく働く事になったんですけど・・・)当初は羽田発一番の飛行機で函館まで行く予定でしたけど航空券が取れず、結果として取れた「寝台特急エルム」で行く事になってしまいました。それも上野から乗車出来ず、仕事終わった後に急いで東京駅から東北新幹線に乗り仙台でエルムに乗継と言う強行軍な旅でした。(父は始発の上野からの乗車でした・・・)そんな父も10年前に亡くなりましたけど、父と一緒に行った北海道の父の実家へのこの旅がたぶん最後の親孝行だったかな~~って考えています。

 以上何かの参考になったでしょうか???まだ記憶に残る列車は有るのですけど、こんなところで・・・。
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私も修学旅行専用列車「ひので号」です。

No.1の回答者の方とは反対に私は東京に住んでいましたので、中学の修学旅行は京都が定番でした。

旅行のとき配布された「東京から関西へ」という小冊子を今でも大事に持っておりますが、その小冊子にはひので号が誕生したいきさつや当時建設中だった東海道新幹線の概要が書かれています。そして、実際にひので号の車窓から建設中の東海道新幹線のようすが見ることができました。

また、そのとき初めて買ってもらった小型カメラで東海道線の車両等を撮りましたが、この修学旅行が自分の鉄道写真趣味を始めるきっかけになったと思っております。

ひので号は帰りは夜行になりましたが、狭い電車内ではなかなか寝付けず、朝方に家に帰ってから倒れるように熟睡したことを覚えています。もう歳がばればれだと思いますが、今ではいい思い出です。
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は~い。

小学校の修学旅行でお伊勢さんまで行った時に乗った「あおぞら号」で~す。(と、としがばれる・・・)
http://www.kintetsu.jp/kouhou/Train/B15.html
大阪の小学生御用達列車だったので覚えておられる方も多いと思います。昭和37年に作られたとは思えないオール2階建ての豪快な編成が上本町の広いターミナルで静かに発車を待っている姿は壮観そのものでした。この雄姿が忘れられず、中学校に上がってからもしばらくは伊賀神戸~青山町くんだりまで遠出して、写真を撮っておりました。

一方で、つい最近見かけたもっともショッキングだった映像は、ちょんぎられた挙句、新下関の駅でN700系のぞみの通過待ちをしていた500系「こだま」。「そりゃあっちの方が地球にやさしいのか知らんけど、500系にこんな仕打ちしていいんかよ~。」と本気で腹が立ちました。
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思い出というか、20数年ほど前に乗った白鳥ですかね。


冬の北海道に行くために乗ったのはいいのですが、
親不知あたりのトンネル内で架線をひっかけたかなにかで、
真っ暗なトンネルの中で5時間ほど立ち往生して、
窓も開かないし、外にはもちろん出られないし、
喉は渇くしお腹は空くし、そのうち同じ車両に乗り合わせた
赤ん坊は泣きだすわ、腹を立てたおっさんが車掌に
くってかかるわ。なかなか修羅場一歩手前でした。

北国、日本海、津軽、まりも、大雪、利尻など
思い出に残る列車がたくさんありますが、

18切符で3日かけて池田まで行った旅が
一番印象に残ったといえば、残ったかな。
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思い出の列車、たくさんあります。



もう40年近く前になるでしょうか。西鹿児島(現・鹿児島中央)から東京まで急行「高千穂」(日豊本線経由)に乗りました。もちろん座席で、28時間強かかりました。私は早めに乗って座れましたが、西鹿児島発車時点ですでに立ち客が大勢いました。
門司で併結する急行「桜島」が遅れて1時間ほど遅れたと思います。
岡山で新幹線(当時新幹線は岡山まで)に乗り換え客が下車し、いくぶんすいてきました。大阪でさらに下車客があり、空席もでてきました。そして、終着の東京には定刻到着だったと記憶しています。

もうひとつ、急行「きたぐに」があります。
これも20年以上前で、当時は青森まで直通していました。私はあのころ、よく北海道に行っていましたが、そのときの行きの定番の列車でした。

「高千穂」は廃止になって久しく、「きたぐに」は新潟止まりとなりました。
ほかにも印象に残る列車はたくさんありますが、今となっては懐かしい思い出です。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
高千穂のことは良く聞いたことがあります。
当時の日豊本線は秘伝各館もおく大変時間がかかったそうです。
九州からの在来線優等列車はすべて消えてしまうのは本当にさびしい限りです。

お礼日時:2009/03/15 12:08

ムーンライト「ながら」の前身の大垣夜行電車です。



 未だ青春18きっぷがないころの関西ゆきにはミニ周遊券でたびたび出かけました。「ながら」前の大垣夜行は今はなき急行形電車ですべての車両は自由席。同僚で湘南方面の方には一杯やってたまたま空いていた一席にすわって目覚めたら名古屋なんてツワモノもよくいましたね。
発車の2~3時間前から東京駅で並びその独特の雰囲気は今は嘘みたいな盛況ぶりでしたね。思えば電車の置き換えで全車指定席化したのがやがて命取りとなって、明日からは季節運転になるのでしょうか。
さて、大垣夜行電車の当時のお目当てはグリーン車で昭和40年代後半ごろは普通列車のグリーン車が300円で利用できたこと。急行用なのでリクライニングシートで普通車とは天と地、もっともどちらも愛用させていただきました。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
>大垣夜行
153系の12両編成だったでしょうか。
私の父も鉄道マニアで、金沢から米原周りまたは逆ルートでしばしば利用したことがあるそうです。
運が悪いと非冷房車に当たる事があったそうです。

お礼日時:2009/03/15 12:05

新宿発 夜行急行「アルプス」


要は山屋御用達列車です。(山師ではアリマセン)
夕方から新宿駅コンコースで整列して待ち、整然と重装備担いで列車に乗り込みます。車内では騒ぐこともなくひたすら明日からの計画を確認する者、硬い椅子でもひたすら眠る者。

朝も空けないうちから茅野、塩山、小淵沢と主要な登山口の駅でまとまって降りて行きます。

あの経験がなければこんな体格にはならなかったでしょう。
私の年齢を推定するのはご遠慮ください。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
現在の臨時「ムーンライト信州」の前身ともいえる列車ですね。
それ以前には115系の普通長野行き夜行,旧型客車の長野行き夜行などもあったそうですが、そちらの方はお乗りになった事はありますか?

115系と言えば、スカ色がJRから消える日も近そうです(嘆)

お礼日時:2009/03/13 21:05

9年前の小松駅の雷鳥だったら、サンダーバード(そのころもうありましたよね?)ではなく、国鉄色の485系ですよね。

この国鉄色の485系特急も確か昨日で廃止されたような(それか近々に廃止)。あとは新しいサンダーバード型の651系?に統一されるそうです。

ところで思い出の列車ですが、昔から鉄道旅行が好きで、地方路線が好きなものですから、ざーっと下記のようなものです。

 1.高松―徳島ノンストップの急行 阿波
 2.大阪駅の1番線に止まっていた急行だいせん、丹波
 3.初めて北海道へ行った時に使った急行八甲田
質問者さんの実家のある北陸方面でしたら、

 ピンク色の急行ゆのくに ってところでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
485系北陸特急も「北越」を残し、撤退の日も近いようですね。

急行八甲田、当時の本州からの北海道周遊券族の貴重な足だったと聞いたことがあります。

お礼日時:2009/03/13 21:00

「ひので」ですかね。


当時、関西からの修学旅行と言えば、東京方面が定番でしたね。
帰路の東京タワーの灯は、今でも脳裏に鮮明に焼き付いています。
幾ら中学生とは言え、2+3列はキツイですね。眠れぬ一夜だった事は申すまでもありません。

社会人になってからは、急行「銀河」ですね。出張で何度か利用しました。
勿論、オハネだったかスハネだったか、ともかくブルトレではなかったです。

あぁ、私の歳??? それはご想像にお任せします。(笑)
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
「ひので」型155系ですね。
古い鉄道本などに「ひので」の看板も誇らしげに70系や80系,こだま型,東海型などと共に田町電車区の写真が載っていたのを覚えています。

お礼日時:2009/03/13 20:54

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