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落語の場合、若手よりも玄人(くろうと)になればなるほど人気が出ますが、
漫才は玄人になって一定のブームを過ぎると、あとは人気が無くなって行きます。

円楽の落語に人は集まりますが、チャンバラ・トリオの人気はあまりないように。

この逆転現象はどこから生じるのでしょうか?

A 回答 (6件)

落語と漫才などでは客が求めるものが違うのだと思うのです。



>「同じネタ」という点では、落語こそ毎回毎回同じネタだと思うのですが、
>落語は飽きませんよね?

古典落語などはずっと以前から使われてきたネタをよりおもしろく
伝えるにはどうしたらいいかっていう世界なんだと思います。
語調を変えてみたり、模写を取り入れてみたり…。

それに通じるのが吉本新喜劇では?
往年のギャグっていうのがあるし…。
それと違って漫才はネタ自体の新鮮さを求めるのだと思います。

落語は芸であり、漫才は(才)能であるのではないかと思うのですが…。
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この回答へのお礼

そういえば吉本のギャグは固定したものが多いですが、
いつみてもなんだか笑っちゃいますよね。

>落語と漫才などでは客が求めるものが違うのだと思うのです。

同じも笑いをもとめるのでも、知らず知らずのうちに
違うものを求めていたのでしょうかね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/05 17:24

落語は芸を見せるもの、漫才はネタを見せるものではないでしょうか。

(基本的には)



年老いても客が呼べる落語家さんというのは、精進して芸を磨いているから客が集まるのだと思います。

それに対して漫才師はネタに頼る部分が大きいから、同じネタが続くと飽きられてしまうのではないでしょうか?
質問者さんが名前を挙げたチャンバラ・トリオはコントだからますますネタの比重が高いのでしょう。メンバーも時々替わっているみたいですから芸の上積みも疑問符だし。まあ、人気のあるなしについては、舞台を見たことがないのでよく分からないのですが。
ただ、漫才でもいとしこいしさんを先日テレビで見ましたが、ネタはともかく、掛け合いの間とかがますます面白くなってきている感じがしました。(客を集めているかどうかまでは知りませんが)漫才だけど芸を見せてもらった気がしましたね。



舞台や映画って、同じ題材(ネタ)を扱っていても、劇団や演出家や監督(芸風)が変われば別物として、評価比較されますよね。落語はこっちでしょう。

テレビのバラエティって、いくら出演者や演出を変えても、元ネタが同じならパクリっていわれますよね。漫才はこっちでしょう。



私なりの勝手な解釈なので、自信は全くありませんが。
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この回答へのお礼

なるほど。myamcさんの意見と通じるところがありますね。
お笑いにもいろいろな形のものがあるのだなと思いました。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/05 17:27

落語というのは漫才とは似て非なるものではないでしょうか。

代々受け継がれる古典ネタはある程度のファンならば話の内容も知っていますよね。それでも楽しいというのは、落語というのは一種の芸術的な所に置かれていると思います。
例えば文学小説などと同じような感覚を私は持っています。その小説の超一流の朗読者が円楽などであり、それが笑いの方向に向いているのが落語という感じで。

そして落語家は落語界という権威のあるところで修行して上がってきているという現状がありますね。漫才にはその辺りの権威があまり見えません。もちろん努力の量は変わらないのだろうとは思いますが、主にこういう笑いを好むお年寄り層には、落語という後ろ盾があるほうが安心して見れるのではないでしょうか。
漫才ではありませんが、私は吉本新喜劇に近い印象を持っています。吉本という後ろ盾がある中で同じ笑いを提供し続けるという面で、落語と吉本では権威の差は大きいですが似た印象があります。
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この回答へのお礼

そういえば吉本新喜劇のギャグは固定したものが多いですが、
いつみてもなんだか笑っちゃいますよね。
なるほど、ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/05 17:20

落語の場合は物語を面白おかしく、身振り手振り、表情を交えて聞かせるものでしょう。

古典的な噺や自作した噺、或いは古典を独自にアレンジしたりしていますね。聞いている人も、幾度と無く聞いてきた話でも、今日はどんな風に聞かせてくれるのかを楽しみに聞きます。芸に年季の入った噺家さんは、間の取り方や笑いを誘うツボを心得ているので、聞いていて楽しいです。表情や身振り手振りにも技を感じます。

一方、漫才の方は、斬新な発想で、聞いている人の意表をついて笑いを誘います。
聞きなれてしまうと、意表をつくことが出来ませんので、すぐに飽きられてしまいます。ネタの寿命が短いので、新しいネタを作り続けなければなりません。

とくに、今の漫才は、若い人たちをターゲットにしているので、芸に奥行きが無くなってきていると思います。箸が転んでもおかしい年頃の子供たち相手に、年季の入った芸は必要ないでしょう。今はもういませんが、「やすきよ」なんて、今聞いても楽しめると思いますよ。「巨人阪神」なんかも上手いと思いますが、あまり耳にする機会が減ってきてしまって、若手芸人が不気味な人気を得ていますね。芸に裏付けされた人気ではないので、寿命はあまり長くないと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

「間の取り方や笑いを誘うツボを心得ている」のはプロの漫才師も同じだと思いますが、
仰ることはなるほどと思いました。

お礼日時:2003/03/02 03:14

チャンバラ・トリオって人気ないんですか?


人気なくて、仕事がないならとっくに解散して
いると思うのですが。
 一時期テレビでは見なくなりましたが、
最近は時々見ますよね。
 今時チャンバラですから。もはや何語か
その意味すら分からないチャンバラですから
(私は分かりますが・・・)
そして、20世紀から21世紀へと、1お笑い
グループで世紀を股にかけて活動しているのですから
すごいと思います。


>円楽の落語に人は集まりますが、

 それは円楽さんに人気があるので、落語に人気が
あるわけではないでしょう。
 落語そのものに人気があるなら、もっと若手が
次々と集まって、デビューしてもいいはずですし、
若竹は失敗しなかったはずでは?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>それは円楽さんに人気があるので、落語に人気が
>あるわけではないでしょう。

そうかもしれませんが、円楽さんでなくとも、
落語家は年とともに集める人が増えるのに対して、
漫才師はピークを過ぎると落ち目になるのが、
(あくまで一般的な)傾向のように思うのですが。

たとえば、ダウンタウンやナイナイのコンビが
これから先しわくちゃのおじいちゃんになって
さらに人気が上がるようには思えないのです。

落語家がゆるやかな右上がりの曲線を描くのに対して、
漫才師は山形(やまなり)曲線のように思えるのですが。

ちなみに、若竹の失敗の原因はわかりません。

お礼日時:2003/03/02 02:44

落語には古典があるので古いことが受け入れられますが


漫才はいつも同じネタだと飽きられます。
しかし常に新しいものを作ろうとしても
同じ人間が毎回テイストのちがったネタを提供し続けるのは
困難です。需要と供給のバランスが崩れ始め、時間の経過とともに
人気にかげりが出てくるのだと考えています。


個人的意見に終始しましたが根拠は全くありません。
申し訳ありません…。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「同じネタ」という点では、落語こそ毎回毎回同じネタだと思うのですが、
落語は飽きませんよね?

同じ「同じネタ」なのに漫才のほうは飽きられてしまうのはどうしてでしょうか?

お礼日時:2003/03/02 02:35

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