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長い間、戦争を続けて、たくさんの国民の犠牲者を出した日本。
やっと終戦したものの、自業自得ですが敗戦とうい結果になってしまい
当時の日本国民の気持ちはどのようなものだったのでしょうか。
やはり、軍国主義者や軍人たちは、悔しいと思ったのでしょうか。
また、一般の国民は戦争を指示した人たちに責任をとってもらい、
二度と戦争はしたくなかったのでしょうか。
また、終戦直後としばらく経ってからでは、思いは違うのでしょうか。
詳しく教えて下さい。宜しくお願いします。

A 回答 (7件)

>当時の日本国民の気持ちはどのようなものだったのでしょうか



軍国主義者・国粋主義者・財界・職業軍人を除いては、「勝敗よりも、戦争が終わった事への安心感」が強かったようです。
弾丸工場・三菱・中島など軍事工場へは「就職でなく、労働(勤労)奉仕」で、自治体・学校関係者からの命令で参加しています。
軍国・軍事・天皇制にかんして、教科書と異なった意見を持つだけで「非国民」として、特別警察の摘発を受け、拷問を受ける時代でしたからね。

ポツダム宣言受諾に関しても「国体維持の保証(天皇制保証)が無い」との理由で受諾拒否。
地方都市へ爆撃・広島長崎への原爆投下被害を受けても、国民よりも天皇制が優先した時代です。
第三の攻撃目標が発表されると同時に、「天皇制は、日本国民が決める事」との回答が連合国側から届いています。
軍部は「日本国民が、天皇制継続を望む事は無い。徹底抗戦だ」と主張しましたが、(陸海軍の統帥権を持つ)昭和天皇の決断で「ポツダム宣言受諾」を行ないました。

現憲法では「天皇は、国民の総意にもとづく」と規定していますよね。
ところが、前後一度も「総意の確認」はありません。
この「総意」も、ポツダム宣言最終回答時の「日本国民が決める」という連合国側の主張を明示したのです。

>軍国主義者や軍人たちは、悔しいと思ったのでしょうか。

悔しいと持っているでしようね。
部下は戦死しても、上官は生き残り「軍事恩給」で悠悠自適の老後を送っています。
現アメリカ軍でも、戦死した一平卒には200万円の見舞金だけですが、ペンタゴン上層部は数千万円の年俸があります。
上層部は、戦場で死ぬ事はありません。
現場と司令部は、全く異なる価値観を持っているのです。

>一般の国民は戦争を指示した人たちに責任をとってもらい、二度と戦争はしたくなかったのでしょうか。

親族が戦死・負傷した方は、責任の所在を明らかにして欲しいと望んだでしようね。
ただ、極東軍事裁判(東京裁判)では、戦争責任は誰一人裁いていません。
あくまで「人道に関する罪」を裁いています。
イタリアでは、イタリア国民裁判で「戦争責任者ムッソリーニを処刑」。
ドイツでは、ヒトラーが責任を取って自殺。
日本では、誰も戦争責任をとっていません。
検察の手が皇室に伸びようとした時「戦争責任は、私にある」と東条英機が裁判で述べました。
が、極東軍事裁判所は「この発言は認めない」としました。
東条英機などA級からC級戦犯は、あくまで「人道上の罪」「戦争を回避しなかった罪」で裁かれています。

軍国主義者・平和主義者・自由主義者・共産主義者・宗教など、自由に意見が述べられる今の日本は、多くの血が流れた結果である事を忘れてはなりませんね。

質問者さまが何歳か分かりませんが・・・。
「明日から、○○重工○○工場で勤労奉仕に行ってくれ」と命令され、拒否すれば「非国民」として扱われる時代にいれば、どう思いますか?
同時に、毎日空襲に怯える生活で、報道は全て検閲を受けた「ニュース」です。
実際は敗北しても「敵艦隊に重大な損害を与え、勝利した」と(あの朝日新聞も)報道していた時代です。
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日本国民は、相当悔しかったと思います。


連日、新聞で「○○快進撃!大勝利!」とか嘘でも報道しまくっていましたから、まさか負けるとはほとんどの人が思わなかったでしょう。
相当なShockがあったと思います。
軍人は、一方は当然相当悔しく、もう片方はまぁ負けるわな、という感じだったでしょう。

一般の国民は、多くが損害を受けた人も多かった反面、下記のように兵器などで儲けた麻生財閥などもあるので、またやってみたいという人もいたでしょう。

終戦直後と今ではあまり変わらないと思いますが、TVやらで戦争は何度も見ているので
やりたいと思う国民は少ないでしょう。
しかし、麻生財閥のように戦争で儲かった人達はまたやっても良いとかお金を考えているかもしれません。根本的な考えはそう変わらないのでは?
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色々な人がいるようですが、悔しかったのではないでしょうか?



ただ、自分の祖父は海外生活の長い芸術家だったそうで、戦時中から『勝てるわけがない』と地元で吹聴していた非国民だったそうです。
その非国民という自嘲的な表現が記憶に深いです。
 祖父が痴呆で苦しんだ時に戦争の話をすることが何度もあったのですが、
「負けるのが分かっていたのに、止められなかった責任がある」
というような事を何度も呟いていたことを思い出します。
(単なる芸術家風情にそんな力があったわけでもないのですが)

 敗戦後の国民感情は色々でしょうが、
まだ「勝てるような妄想」を抱き続けた人々の方が幸福だったのかもしれません。
 『非国民』となじられ、”戦争を止められなかった”と自責した祖父を思い出すと、騙されてた人の方がよっぽど幸福だと思います。

 戦時中、虚偽の戦果に浮かれる国民をせせら笑うことも出来たでしょうに、それをせずに、最後まで「止められなかった」と自己批判していた祖父を自慢に思っていますし、誇りに思います。
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まず、極端な例を。


最大右翼団体「大東塾」の塾生14人が、日本の古式にのっとって切腹をしました。あとにもさきにもこれほどのものはない、と言われる日本市場に残る切腹です。
悔しいと思う、というより、陛下にすまない、という気持ちがあると思います。終戦の詔勅のあとで二重橋前に来た人のなかから12人が自殺を図っています。

普通の人、東京人の私の父の話をしますと、銀座に電気がついていて、安心したそうです。戦争中は灯火管制でみんな消していました。
祖父は英国留学していたのですが、しばらくして留学時代の友人がきてくれ、「英国と同盟していればこんなにならなくて済んだのに」といわれ、「おれもそう思うよ」といったそうですが、これは例外的考えでしょう。

またアメリカ映画を見ることができる、と言っていた人も学友にいたとか。

第二京浜(品川駅の前)を米軍が行進したのですが、それをみて「こんなのに勝てるわけない」とみな思ったそうです。

このあとは、闇市ができ、まあどこからでてきたのか、と思うほどなんでもあったそうですが、いいものは高い、というオチが。この辺は黒澤明監督の「酔どれ天使」をご覧になるといいでしょう。
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当時、出版されていた書籍を読むと大戦中期の段階で既に先行きがかなり暗い事は、多くの人間が分かっていたようです。


それでもあれだけ戦局が悪化するまで戦争を続ける羽目となったのは、バブル期に「このままでは必ず破綻する」との警鐘も少なく無かったにも関わらず、バブル崩壊まで突っ走ってしまったのと同じようなものでしょう。
昭和20年になると戦後の米国の調査でも「この戦争には勝てない」と思った人間は急速に増えていったようで、大部分の人間は敗戦を仕方ない事だと受け入れたようです。

なお東京裁判では「人道に対する罪」で起訴された人間はひとりもいません。
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あんまり知りませんけど、ちらほら本で読んでいる限りでは、


いろいろな人がいたようです。
みんなが同じ思いではなかった。

出征を控えつつ終戦を迎えた兵隊の中には「これで死なずに済む」と思った人もいれば、逆に、「死に損なってしまった、生き残ってしまった」と落ち込んだ人もいたようです。

玉音放送を聴いて、音声が悪いとか言葉が分かりにくいとかで何だかよく分からなかった人、まだがんばろうと言っていると勘違いした人、負けを知って泣いた人、いろいろと。
皇居前広場で自殺した人たちもいたそうです。

大人の中にはもう二度と戦争をしたくないと思った人も多かったようです。
青少年の中には「昨日まで先生たちに言われていたあれは何だったんだ」と教育方針の転換に釈然としなかった子もいた模様。
戦前を知っている世代/まともに軍国教育を受けた世代/もう少し幼かった世代/と、世代でも違うみたいですよ。
でも、「食べ物がない、物がない、空襲がある」というのはもう真っ平だと思った一般人は多いのではないかと推測しますが・・・・。
(空襲があったのは戦争末期。サイパンとかグアムを取られてから)

軍人の中には「やっと終わった、これから後始末をしなければ」と思った人たちもいれば、降伏が決まった際に自殺したり(阿南陸軍大臣)、玉音放送後に特攻を試みた人(宇垣纏)もいました。
ポツダム宣言を受諾して戦争を終わらせたい人々がいた一方、本土決戦を主張する人々もいて、意見が分かれていたのです。
玉音放送もすんなり行ったわけでなく、クーデター未遂がありました。

ちなみに自衛隊には元軍人がけっこう復職(?)しました。
教官になったり。
別に、いいとか悪いとか存在の意味とかを言いたいのでなく、事実として。
経験者がいないと運営が難しかったからというのもあるようです。
海上自衛隊のほうが設立時に元海軍人の関わりが深かったとNHKの番組か何かで見ましたが、ウィキペディアもそんな感じでしょうか。
すいません、底の浅い知識で、、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E4%B8%8A% …
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大半の国民は呆然となったようです。


一億総国民、国にたかっていたのです。
戦争が続いていれば職業にありつけました。

戦争が終わり、
弾丸工場で働いていた人は解雇
三菱・中島など重工業メーカーも一斉休業←一時帰休・解雇
唯一、仕事があったのが軍人です。降伏するには全ての武器を引き渡しや兵役解除・復員の作業を始めねばなりません。彼らだけが仕事にありつけて民間企業で働く軍事特需の恩恵を受けた方々は失業だったのです。
昭和25年まで民間人にはまともな仕事がありませんでした。彼らが仕事を得たのが朝鮮戦争です。これで息を吹き返したのです。

戦争は美味しいということは国民ほどよく知っていたのじゃありませんか。

自分は戦争に行かず、他人に戦争させて利益を得る。戦後50年間の日本人の生き方でした。それが終焉し、自分も出て行かねばならなくなった時に現在の自衛隊問題になるのです。反戦を言ったり、自衛隊反対を言っている方々ほど、戦争はビジネスとして美味しいを知ってますよ。
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