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どこで聞いたのか覚えていませんが、長良川、木曽川、揖斐川な万が一決壊しても愛知県側には水が流れなく、岐阜県側に水が流れるようになっていると聞いたことがあります。真偽のほどは確かではありませんが、もしこれが正しかったとすると、どういった原理というか仕組みで岐阜県側に水が流れるようになっているのでしょうか?

A 回答 (4件)

かなり以前、現地出身(水が出る側)のいとこに聞いた話ですが



尾張側の堤防(御囲堤)が美濃の輪中側の堤防より高く作られているため、先に美濃側が溢水して決壊してしまうからだそうです。尾張は徳川なので高いとのこと。

なお、伊勢湾台風では揖斐川中流域では輪中側の右岸ではなく、左岸の堤防が決壊しています。
また、明治以降の治水工事では岐阜県側の改良が中心になっていますから、現在はそれほど差はないかも知れませんが、1976年の水害では長良川の羽島市側が決壊しています。
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岐阜県の輪中地帯で育った人間です。



>長良川、木曽川、揖斐川な万が一決壊しても愛知県側には水が流れなく、岐阜県側に水が流れるようになっていると聞いたことがあります

 話が曲がって伝わっているようです。江戸時代以前は水流が絡み合って何川とは言いがたい面がありますが、県境である木曽川以外は堤防決壊しても愛知県は洪水にはなりません。おそらく、No.1の方の指摘しているお囲い堤の話が元だと思います。
 江戸時代、愛知県側の徳川御三家・尾張藩はお囲い堤と呼ばれる強固な堤防を築く一方、徳川家の威光をたてに対岸の岐阜県側の堤防を愛知県側より3尺以上低くなるように強制したため、岐阜県側ばかり洪水になったと子供のころ聞かされました。ついでに、明治維新がきたときに岐阜県側が堤防の嵩上げを行って、ところによっては逆に愛知県側より高くなったとかなんとか。
 だから、「堤防が決壊しても愛知県側に水が流れない」ではなく、「堤防決壊や越水で洪水が起こるのは堤防の低い岐阜県側になっていた」というのが正確な話です。
 ただ、この話は史実かどうか怪しい面もあります。尾張藩側がそういった要求を出したと思われる文書や記録が残っていません。たんに岐阜県側が小藩ばかりで大きな堤防を作る能力が無く、洪水が頻発した理由として「不条理な尾張藩の要求」説が想定された可能性があります。
 あとNo.1のかたは1976の水害の話をされていますが、あれは木曽川、長良川、揖斐川が明確に分流された後の長良川の話で、どっちの岸が切れても岐阜県の水害です。例としては良くないと思います。あの水害はひどかった。
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語弊があるかもしれませんが、一般的に川の堤防は左右のどちらかが先に決壊するようにできています。


そうしないと左右同じ強さや高さにすると被害が大きく・広くなる可能性があるからです。
それではどちらを強く(高く)し、弱く(低く)するかは、その川によって条件が変わります。
条件には地形もありますが、水害被害の規模にもよります。
水害規模や被災者数、被災金額、復興期間等の条件がそれに当たります。
ですから、人口の多いほうが強く造られるといってよいと思います。
愛知県と岐阜県の場合、一般的に見ても、愛知県側のほうが被災した場合の程度は大きいといえます。

岐阜市内を流れる長良川についても、左岸(市内中心部)のほうが、右岸よりも堤防が高く造られているようです。
これは、橋を渡るときの傾斜の角度で分ります。
また、実感ですが、長良川の堤防上を道路が走っていますが、左岸道路と右岸道路では左岸のほうが道が狭く感じます。
これは、堤防が高い分、断面の台形の上辺が狭くなるからだと考えています。
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木曽川右岸に在住。



No.2回答が正しいと思います。
下記リンク参照ください。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%9B%B2% …
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