自分で考えるべき問題なのですが、考えてもわからないので教えてください。哲学の著書を書いている池田晶子さんの「14歳からの哲学」の「心とはどこにある」の章で次の文が出てきます。
心なんてどこにもない。だって、君が悲しい気持ちでいる時、その悲しい気持ちはどこにあるだろう。頭にあるものでもなくて、ただ悲しいという気持ちが明らかにあるだけじゃないだろうか。いつもの友達の顔をみても悲しいし、どこかへ出かけても悲しい。その悲しいという気持ちが、すべてを悲しくさせているんだから、その意味では、心とは、すべてなんだ。体のどこかに心があるのではなくて、心がすべてとしてあるんだ。
の、心とは、すべてなんだ。以後がよくわかりません。
宜しくお願いします
No.16
- 回答日時:
回答No.12の補足、についての感想です。
人間の心は、この心そのものを意識できます。
それが本当に不思議ですね。
我(われ)が、我を意識する。
我が、自分の心を見つめ、分析する。
そして、意志とか理性とか感情という働きのあることを、知る。
全く興味深い現象です。
小我に対する、大我。
この肉体に宿っている心。
その心を見つめる、我(われ)。
たぶん、自身を客観視する能力は、“個”が“全体”の集まりだから、
と言う事は、個(自分)を見つめるのは、全体(真我?)??。
回答ありがとうございます。
回答を読んで、気になるのは、著者の言うことを誤解している部分がある感じがします。
著者は、
「自分の性格を冷静に観察、分析して考える自覚できるというのは、自分の中に自分でない部分、自分のことを他人のように見ることができる部分がある。目に見えないもの、思いや感じのことをひとまとめにして「心」と呼んでいるいるけれど、同じ目に見えないものの中でも、動いて変わる部分と、変わらない部分がある。前者が感情、後者が精神だ。感情は感じるもので、精神は考えるものだ。」と言っている訳です。
例えると、保育園のさくら組には、「泣いたり、笑ったり、走り回ったりする、園児と、それを見守る保母さんがいる。」
と言っているようなものです。
決して、さくら組が、さくら組を見守ることができる。とは言っていません。つまり、心が心そのものを意識できるとは言っていません。
勝手に、言葉の使い方を変えているために、「小我と大我」「自分と真我」というように、別の解釈に至っている感じがします。
No.15
- 回答日時:
No.8です
どこまで読み込み、どこまで考えておられるのか、どこがすっきりしないのか、勝手ながら、おおよそ想定させていただきました。
>>
その意味では、心とは、すべてなんだ。体のどこかに心があるのではなくて、心がすべてとしてあるんだ。
<<
の「その意味では」が重要です。
また、引用されておられない、「前段部分も」重要です。
上記を前段部分を含めて、書き直すと
>>>---
心とは、体のどこかに(部分として)あるのではなく、(悲しみを)感じる主体として、また、(世界を)情的に捉える主体として、(何かの部分ではなく、心が)「すべて」としてある。
それは、自身の中に身体と心といった二つの概念が構成されている内の一方の「心」として捉えたとしても、「そう感じる主体」としての「すべて」である。
---<<<
となるでしょう。
「すべて」の範疇(どこまで?)といった概念へと思索を拡張するならば、(No.8で指摘させていただいているように)後段の「自分」概念に重ねて考えることもできます。
>>>
何を「こころ」だと思っているかで、その人の「こころ」は決まっているんだ。
<<<
「すべて」という概念についての考え方によっては境界(概念)が揺れ動き、脳の一部にまで小さくなったり、身体と同一範囲になったり、(悲しみが)感じられうる世界ないし(悲しみが)投影されうる世界全体へと「心」が広がるようにも思われるということです。
さらに、「部分でない」としたとき、下記にリンクしているように身体・物質との関係が「どのような形式であったとしても」、それが「心」という概念で捉えられるのであれば、そのような概念で捉えられる情態の「すべて」が、まさに「心」という概念になるということです。
「心の哲学」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E3%81%AE% …
「自然主義」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6% …
「物理主義」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A9%E7%90%86% …
「行動主義」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E5%8B%95% …
回答の時間軸がおかしくなってしまいました。
回答番号:No.23 のお礼に書いたように、現在、提示していただいた資料を読み込んでいる所です。
それに合わせて、他の哲学書も読んだり、考えたりしているので、すぐには、お礼できませんでした。
とりあえず、参考資料の提示に対してだけでも、お礼をすべきだったのかもしれません。
最初の、質問より、資料を読むほうが、今の自分には、意味がある気がしています。
とても、有用な資料の提示、ありがとうございます。
No.14
- 回答日時:
モノである身体からモノでない心が出てくるのは本当に不思議なことだと思いますが、いったん心が出てきてしまったあとは、まるで心が最初にあってモノすらも心のあとに出てきたかのように考えてしまうということがあります。
アメリカ大陸を発見したのは誰かという話があります。普通はコロンブスというのが正解とされていますが、古くからアメリカ大陸に住んでいた人というのが正解だと思いますが、ここに興味深い類似性があります。つまり古くから住んでいた人が身体(=モノ)でコロンブスが心ということです。確か木村敏さんも原住民というような表現でどこかで書かれています。もうひとつは心というのは暗闇のようなもので正体を調べようとして明かりをつけると消滅してしまうという比喩です。つまり主体としての心だけは本質的に不可解ということです。養老孟司さんが言う自己言及の矛盾です。あるいは蛇が自分の尻尾を呑み込もうとしている図を想像すればよいのかもしれません。つまり誰でも自分のことだけはわからないということになると思います。アインシュタインは天才で、宇宙のことを一番よく理解していた人だと思いますが、彼でも「自分とは何か」というのことだけはわからなかったのではないでしょうか。私はこのことが人間はすべて平等であるということと関係があるのではないかと考えます。
No.13
- 回答日時:
回答番号:No.12
を見て思ったのですが、14歳から哲学をする人は不幸です。
心があってこその体、体があってこその心です。両者のどちらが本体であるかとか大切か など、論じる必要もないでしょう。
哲学は論じることを、必ず必要とするものではありません。
思考すればいいのです。
思考する内容が、心と本体の問題である必要はありません。
何か、行き詰った感じがしたり、悲しい思いをしたり、怒りを覚えたりの体験から、疑問を感じたりしたら、そのことに考えることが、すでに哲学をしていると思います。
それは、12歳でも、10歳でも、疑問を感じたら考えるのが自然で、幸、不幸は、関係ないと思います。心の自然の出来事だと思います。
だだ、幼いと思考も分析も浅いでしょうが、それは、問題の本質ではありません。
No.12
- 回答日時:
『14歳からの哲学』は一度目を通したことはありますが、残念ながら『隔靴掻痒(かっかそうよう)=靴の上から、かゆい足をかく』的な印象であって、14歳であっても、もう少し深く踏み込んだ内容にされても良かったかなとは思っていましたが、それで質問の方は何歳か分かりませんが、『心とはすべて』の云わんとしているところとは、簡潔に言えば、心こそがあなたそのもの、本質であると言っているのかと思われます。
これに似かよった表現として『我思う、ゆえに我在り』というデカルトの言葉が思い出されます。これは難しい点を省いて言えば、絶対確実なる存在とは、『考えるところの私』、つまり、心(思考する私)があってこそ、私は存在するのであって、肉体はその心の所有物ではあっても、真の自分自身ではないということを言っているのです。
ですから、体が有って心が在るのではなく、心が在ってこそ体が有るということで、それで『心こそがすべて』となるかと思われます。
この回答への補足
最初の質問の文章が短すぎたためか、誤解されている方がいらっしゃるようです。
そこで、その後の内容の要約を書きますので、参考にして考えてみて下さい。
だいたいの人は、その性格が自分なんだと思っているだろう。明るかったり暗かったり、短気だったり弱気だったり、「そんな私です」という風に、自己紹介をするよね。でも、だとすると、「そんな私です」と言っているのは、どの私なんだろう。
自分の性格はこれこれこんなふうですと、観察したり分析しているのは、どの自分なんだろう。
もし、自分というのが自分の性格のことなのだったら、そんな観察や分析はできないはずだ。
自分の性格を冷静に観察、分析して自覚できるというのは、自分の中に自分でない自分、自分のことを他人のように見ることができる
部分があるということなんだ。
目に見えないもの、思いや感じのことをひとまとめにして「心」と呼んでいるけれど、同じ目に見えないものの中でも、動いて変わる部分と、動きも変わりもしない部分とがある。前者が感情、後者が精神だ。感情は感じるもので、精神は考えるものだ。
気分や感情、そういうものの人それぞれの傾向として性格や人格というもの、それらがそのまま自分であるのではないけれど、
それらを感じているのは自分でしかないのだから、心というのも、よく考えると自分であって自分でないような不思議なものだ。
体がそうであるのと同じようにね。
考える精神によって、冷静に観察してごらん。気分や感情というものは、それ自体が面白いものだ。どこからかスーッとやってきて、
またどこかへ消えていくんだ。決して目に見えるものではないけれど、何かそれ自体が別の世界からの訪れであるかのように感じことも
あるだろう。
「自分である」ということは、こんなふうに、見える側から考えても、見えない心の側から考えても、いや、考えれば考えるほどに、
奥が深くて底が知れないものなんだ。何を「自分」と言えばいいのかわからなくなるほど、全てに広がっているゆくものなんだ。
すべて、そう、宇宙の果てまでね。宇宙に果てがないのは、自分に果てがないのと、じつは同じことだったとしたら、どうする?
全然わけがわからなくなりましたって言うなら、君、大成功だよ。わからなくなったからこそ、これから考えられるんだ。
大丈夫、考えてゆけるよ。だって、君には、考える精神があるからだ。
No.11
- 回答日時:
正直、14歳から哲学 をすることを主張するのは、怒りを覚えます。
「女にだけは暴力を振るうな」という躾をされた、グレた人たちが暴走するのを見るのは、辛いものです。誰の狡猾な生き残り戦略なのでしょうか。14歳から哲学 をして、得をするのは誰でしょうか。
21歳からでも、早いと言えるかもしれません。
以上、「ハラと心と頭で」書きたいことを書かせてもらいました。
No.10
- 回答日時:
私がいつも思う事ですが。
あなたの知る「あなた自身」や「周囲の人」「取り巻く環境」「世界」は、あなたから見たものです。
当然、あなた自身も「あなたからみたあなた」な訳ですし、「他人から見た自分」をその他人から聞いたとしても「どう聞いたかはあなた」なのです。
つまり、この世界の全ては、あなたにとって「あなたが受け取っているから存在している」訳です。あなたが存在しなければ、この世界は存在すらしません。
以上、「あなた」を「あなたの心」と置き換えても構いません。
そういう考え方は、哲学書で読んだことがあります。
理屈としては、わかるのですが、自分には、「概念の遊び」の様な違和感を感じることがあります。
たとえば、自分と、友人がいて、友人が亡くなったらこの世界は存在しないのでしょうか?
そんなことはないですよね、自分にとって存在しているわけですから。
だから、「あなたが存在しなければ、この世界は存在すらしません。」
というより、「あなたが存在しなければ、あなたにとって、この世界は存在すらしません。」
と言う方が、自分にはしっくりと感じられるのですが、その考え方はどうなのでしょうか?
No.9
- 回答日時:
>心とは、すべてなんだ。
以後がよくわかりません。ということは、「心とは、すべてなんだ」という言葉の意味もよくわかっていらっしゃらないのではないでしょうか?
少し遠まわしに説明します。
人間が見ているこの世界はすべて物質でできています。それらは本来何の価値も持たないただの物質です。タンパク質の塊を「人間」と認識し、それに価値を持たせるのは人間がすることです。
さて、そのタンパク質の塊である人間があなたのお母さんだったとします。私とあなたが同時にあなたのお母さんを見たとき、それは同じ人間ですか?
物質的には同じです。しかし同じ物質であるにもかかわらず、私とあなたではその人間に対してまったく違った印象を抱くでしょう。私からしてみれば、あなたのお母さんは「警戒すべき他人」です。あなたの知ってるお母さんと、あなたのお父さんの知っているお母さんは同じ人間ですか?
同じ物質を見ても、すべての人間が異なった印象を持つはずです。もちろん文字の上では同じ表現になることもあるでしょうが、厳密には違うでしょう。
この世界は物質でできていますが、私たちは今ある機械のようにすべてをただの物質として認識することはできません。すべての物質に異なった認識や印象や価値を与えています。つまり、私たちが普段見ている世界は、物質ではなく自分の心なのです。
だから、私たちはひとりひとり異なった世界を持っていると言えます。
ここで世界=心だという池田晶子さんの言いたいことがわかったでしょうか。心とは体のどこかにあるのではなくて、心が「世界」としてあるのです。
回答ありがとうございます。
丁寧な説明で、池田晶子さんの言うことがわかりました。
ただ、これから派生する疑問なのですが、この考え方は、デカルトに代表される「二元論」(精神と肉体は別)の考えなのでしょうか?
人間年をとると、性格が変わったり、記憶力が落ちたりします。
また、脳に障害を受けて、性格が変わったり、自主性が乏しくなったりと、明らかに、脳と心は関係していると思いますが、回答の考え方の場合、脳(物質)と心の関係をどう説明するのでしょうか?
また、本人が死んだ場合はどうなのでしょうか?
関係ない質問かもしれませんが、非常に疑問に感じました。
回答いただけると、大変助かります。
宜しくお願いします。
No.8
- 回答日時:
p.63の最後までの全体を読んで「わからないので教えてください」と言うことでしょうか?
最後まで読んでおられるなら、質問すべきことではないと「わかって」おられるはずですが。。。いずれにしても、原文を読んで「わからない」のでしたら、私の説明でも「わからない」にしかなり得ないと思われますが、あえて、説明を試みてみます。
>>>======
上記文に至るまでの前段部分(p.58-60)は、物質での説明可能性について記述されています。概略すると、
>---
心臓の状態や脳内反応として「こころ」(この場合悲しみを抱くこころ)を捉えようとしても、「心臓の状態」や「脳だけ」や「反応を起こす物質だけ」で話が片付くものではない。
---<
となります。
また、上記文の直前には
>>>
「心」という言葉があるせいで、人はつい、そういう何かが物みたいにどこかにあるようなつもりになってしまうけれど、その意味では、
<<<
とあります。
すなわち、物でもなく、どこにあるかを特定することも困難(不可能)であることが分かります。
で、質問者様が引用された部分にて、はじめて「すべて」(本文では、傍点つき)といった用語がもちいられています。
その後、p.63の最後までにおいて、著者は、そういった表現をとった背景について、更に「自分」という概念と「感情」という概念と「精神」という概念、(さらに時間軸方向での変化)とを織り交ぜて(著者の視点から)記述しています。そこでは、「こころ」の情態変化が「自分だけ」で説明できる物ではなく、周囲と密接に関係していることが述べられています。
(この段で、著者は、未だに「もの」としてしか捉えられないであろう読者にたいして、「どこからやってくるものか?」と、暗に問いかけをしています)
そうして、次に「すべて」という言葉が出てくるのは、p.63の3行目からで、そこでは、
>>>
「自分である」ということは、こんなふうに、見える側から考えても、見えない心の側から考えても、(中略)何を「自分」と言えばいいのかわからなくなるほど、すべてに広がってゆくものなんだ。すべて、そう、宇宙の果てまでね。宇宙に果てがないのは、自分に果てがないのと、じつは同じことだったとしたら、どうする?
<<<
とあります。もし、「自分のこころ」として捉えるのなら、上記にて(特に「中略」以降で)「自分」を「こころ」に置き換えて読むことが可能です。さらに、
>>>p.63
何を自分だと思っているかで、その人の自分は決まっているんだ。
<<<
の「自分」も「こころ」に置き換えることができ、
>>>---
何を「こころ」だと思っているかで、その人の「こころ」は決まっているんだ。
---<<<
となり得ます。
で、その直後
>>>
全然わけがわからなくなりましたって言うなら、君、大成功だよ。
<<<
と、いわゆる「無知の知」で落とし込んでいます。
傍点付きの「すべて」以降のこの部分までの全体が「すべて」という概念に対する(著者の視点からの)説明の文章になっているようです。
======<<<
「わからない」ままだったら「大成功」だという著者の主張に反する行為をしましたこと、お詫び申し上げます。。。
回答ありがとうございます。
お陰で、内容が整理されてすっきりした感じを受けました。
私も、十分に考えてわからなかった上での質問なので、著者の主張も半分受け入れたことになっていると思います。
お詫びしていただいて、恐縮です・・・・
No.7
- 回答日時:
心がなぜ存在していうのかその理由はわからないがとにかく存在している、ということではないでしょうか。
デカルトの有名なコギトエルゴスムと同じ意味だと思います。この場合の心というのは神の概念に近いのではないでしょうか。回答ありがとうございます。
そのことは、自分も考えましたが、「心がすべてとしてあるんだ」と繰り返し言っているところに、それは違うな。と考え質問しました。
また、質問内容の不足も感じ、No12の回答者の補足欄に、補足説明を書きました。それも参照いただいて、違う回答があれば、書き込みお願いします。
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