人生のプチ美学を教えてください!!

こんばんわ、質問させてください。

「自分と合わない」と感じる人に対する嫌悪感が人よりやや強いと感じて困っています。
また、合わないと感じる幅が広いように感じています。


些細な事(多くは話が噛み合わない、モラルへの見方の違いなど)で心をささくれさせながら日々暮らしているように思います。

「こんな人が嫌い、許しがたい」という幅が日に日に広くなっていて、なんとなく自分自身に対しても損だと感じます。

出来る事なら周りを変えようとするのではなく、私自身が寛大さを身につける事で解決に向かいたいと思っています。

自薦でも他薦でも構わないですが「私は人に合わせる事が良くも悪くも得意だ」という方は何か心がけていることがありますか?

また、それを苦手とする私のような人間に望む事やアドバイスがあれば自由にお話いただきたいです。

よろしくお願いします。

A 回答 (10件)

あわせることが得意だ、というわけではないですが


距離感を測ることで気持ち的に安定させようとしています。
自分がしっかりしていないと相手のオーラに飲まれる場合があり、
それが続いたり自分の意志とかけはなれていたりするとストレスに繋がります。
ので、ストレスを感じないように
自分で自分をうっすら守っています。

話が噛みあわない、場合は
関わり合いの中で
どういう点で噛みあわないのか分析し
ああこの人とは根本から違うから噛みあわないんだ
とわかるにしろ
ある一部が合わないからだとわかるにしろ
違和感に対する理由付けができれば
自分の中で納得できるので
その相手により自分が不快に思わない程度かつ自分がストレスに感じない
適正な距離感で接することができます。
どうにもいやだ、と思う相手とは
理解を深めたいと思わないので
相手に気持ちよく語ってもらって
私はものすごく感心して聞いているていで
あまり聞いていません(笑)
興味を持つフリをする、という感じでしょうか。
会話自体はきちんとするけど、心にまで入り込まないようにする、という感じです。

モラルに関してもそうです。
自分に害がない場合、
相手のモラルの低さによって損をするのはその相手だから
「ご愁傷様」ぐらいに思うだけです。
関わりの深い人や仲良くなりたい人には
明らかに間違っていること、相容れないことは
話をして自分なりの妥協点を見出そうとしますが
そうでなければしったこっちゃない、ことです。

人に対し「何かイヤ」と思うのは
直感なので制御することはできませんし
しなくてもいいことだと思っています。
そこから先、どういう風に振舞うか、ということしか
相手には伝わらないので
礼儀正しくあればよいのではないかと思います。
相手を「お客様」と思うというか。
自分の心の中に線を引けば、そんなどうでもいい相手のことは
どうでもよくなります。

でも、いろんな人がいておもしろくはあります。
通勤で電車乗ってても、仕事で接客してても、
ほんと色んな人生があるのだろうなあ、と興味深く眺めます。
なので、他人に対して「研究対象」みたいなスタンスでいると
割と楽かもしれないです。
同じ社会生活者としてみると、自分が掲げるものが高ければ高いほど
それに達しない他人を「未熟者」と感じがちです。
まあそう思う自分もまた未熟者なんでしょうが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

距離感は本当に重要なものだと思いますが、合わないことを距離を置く理由にできないことが多くて困ります。

自分の内的な部分を制御するという意味では相手を俯瞰的にみることと自分を俯瞰的にみることは効果的だと思います。「研究対象」「お客様」という見方は一つのヒントになりそうです。

あまりレベルの高い解決を目指すことは無理難題なんでしょうかね…。
しかして、真っ向勝負ばかりでは消耗するというのもわかるのですが。

お礼日時:2009/10/07 10:08

こんばんは。



私は自他認める適当人間です。
人に迷惑をかけない、人をバカにしないなどの常識はありますが、なんでも適当にこなすし適当な発現ばかりです。
また友達もだいたい適当です。
一人は連絡もせず待ち合わせに2時間も遅れてくるし、違う子は自分から誘っといてこっちがメールしたらブッチします。
他の子は常に知らない人に対してぷんぷん怒ってます。キム兄みたいに。

でも私は全く気にせず、会った時にも~といって終わりです。上記の子たちは皆私が何をしても全然怒らないし、気にしていません。

でも私にもモラルのある、常識的な友達はいます。
その子といると「あ、今なんか思ってるだろうな~」って気になります。もろに顔に出てますもん。
私から言わせれば生活環境が違うかっただけでその人には許せない事でもそれがよしとされる世界が確かに私の周りではあるのです。

それにその常識的な友達も私にとっては非常識だなと思うことをしますよ。でもお互い様だから気にしません。

もしかしたら、質問さんが嫌悪感を抱いている人も、質問者さんの行動を非常識だと思ってるかも知れませんよ。でも顔に出さないだけだと思います。

私は環境が違うんだから自分の考えが絶対ではない事を知る事が大事だと思います。
寛大になんでも許すのは違うと思いますけど、そういう意見もあるんだなという気持ちでいたほうが楽だと思います。
まとまらない文でごめんなさい。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

私は自分にも他人にも適当過ぎる人は嫌いです。
それは私の言う「人に合わせるのが得意」とは違います。


ただ、私が相手に対して嫌悪感を持てば相手もまた私に対して嫌悪感を持つというのは大事ですね。
自分の考えが絶対とは思っていませんが、自分の考えがわかる人は本来の意味では自分しかいないという事に着目したいと思います。

お礼日時:2009/10/07 18:59

営業マンです。


1年には、かなりのお客様と商談します。
中には、貴方のいうような人もかなりいます。
そこは、仕事ですので上手くやります。

まずは、相手の話を聞きます。
そうすると「合わないな」というのが分かります。
その場合は、早めに話を切り上げます。
なぜなら、相手も私を見て、「合わないな」と思っているからです。
今度、会うときは、「どうすれば相手を好きになれるか」を考えて会うと、相手も合わせてくれます。
要は、相手と波長が合ったということです。
営業は、相手に合わさなければ難しい面があります。

その一つは、明るく笑顔で話をすることです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

営業職って凄いと思います。人に合わせる(あるいはそのフリをする)プロだと思います。

一度話をする中で相手の考えや嗜好を分析して二度目に歩みよりをはかるというのはテクニックとしてかなり有用かも知れません。

そのための地盤となる研究的な視点と一度目の時の我慢に対する耐性を磨こうと思います。

お礼日時:2009/10/07 18:48

私も狭量な人間なので、常々もっと度量が広くなりたいと思っています。



でも、そんな私でも「比較的気にならない日」と「気になって仕方がない日」があります(もちろんその中間も)。これは自分の体調や精神状態によって、同じ事がおきていても、感じ方が変わってくるせいだと思っています(自分では「公共交通機関でのマナーが悪い人」に対する感じ方などで「今日は心広めだな」「狭めだな」と判別しています)。ですので、出来るだけ、体調を整え、平常心でいられるようにしたいと思っています。

あと、若いときよりはある程度年齢を重ねた方が、いろいろな経験を積むので、多少は人を許せるようになる気がします。自分にとても辛いことがあったりすると、どうしても他人に対しての配慮が二の次になってしまいますが、そういう時、周りが何も言わずに許してくれていたことが後でわかり、自分も人を許せるようにならなければと思ったりします(難しいですが)。

先日、歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」を観ました。大星(大石内蔵助)が敵の目を欺くため茶屋で放蕩三昧の日々を過ごします。大星の真意(仇討ち)を打ち明けられていない家臣の多くは「こんな腑抜けは駄目だ」と愛想を尽かしますが、身分の低い一人の家臣は(大星の真意は見抜けてはいないのですが)「大星様も、殿の切腹だの、お家断絶だの大変なことばかり続いたのだから、酒でも飲まねば身が持たないだろう。好きなだけ飲めばいいのだ」と、酔いつぶれる大星にそっと布団を掛けてやります。江戸時代の人も「優しい(心が広い)っていいな」と思ってたんですね。

すみません。話が長くなりましたが、質問者様が「話がかみ合わない、モラル感覚が違う」と感じるような人にも、そういう考えに至るだけの事情(生育歴や現状など)があるのかもしれません。私はあまりに価値観が違う人とどうしてもわかり合えない場合は、「この人にはこの人の事情があるんだろう」と思って、諦めるように努めています(それでも違和感を感じたり、時には腹立たしく思う気持ちが押さえきれない時もありますが、まあ、それは表面に出さなければいいか、と割り切るようにしています)。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

確かに結構コンディションにも左右される気がしますね。
そういった面を整える必要もある気がします。

価値観が違うということの背景に着目する視点にも欠けていたように思います。
いろいろな側面から自分と他人を見てみようと思います。

お礼日時:2009/10/07 14:42

初めまして。


人に合わせるのが得意・・・とまでは自信を持って云えませんが。
NO4さん回答と少し被ってしまうのですが、私も自分とは違った考えなどを
持っている人と遭遇したら、とにかく研究します。

話しながら「こんなことで怒るのか~」とか「そういう事が楽しいのか~」などなど。
面白いことに、自分とは全然違うタイプだと思っていた人と同調できる部分を発見したり
逆に似ているタイプだと思っていた人にビックリするくらい違う部分を発見したり。
”この人はこういう人だ”と思っていた自分の考えを覆されたり。
そうやって接しているうちに自分自身にも新たな考え方が生まれたりして今まで
許せなかった部分が受容れられるようになりました。(多少:笑)

柔を制して剛をなすのような雰囲気で接すると、威圧的な人も意外と柔和に
接してくれるようになったり。(するとこちらの意見をあっさり受容れてくれたり)
最初は大変疲れますが、慣れてくると特に疲れることもなくなってくるので
その人物を”楽しむ”感じで接してみてはどうでしょう。

参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

研究や観察を「楽しむ」ということができれば確かにストレスの種が減りそうです。
「人の振りを見てわがふり直せ」なんて言葉もありますし、他者を見ることそのものが自分の内面を変えていく一要因なのだと思いました。

慣れが重要なのですね。
大変参考になりました。

お礼日時:2009/10/07 13:37

「人とは合わないことが普通」と考えてみてはどうですか。



例えば自分がこうなんだけどな、と考えても、それを相手は自分の脳で「こうなんじゃないかな」と考えているわけです。だからそもそもからして誤解されるのが普通です。なにしろそれぞれの脳にはそれぞれのソフトが入っていて互換性が全くないわけですから、齟齬が生じるのは当然のことなわけですよ。
すると、自分ではこの人のモラルが許せないとなっても、それが本当に「正しい」のか?そもそも正しいというのは誰が決めるのか、皆が正しいといえばそれは本当に正しいのかなどとなるわけですね。
そうなると、「世の中の考え方というのは色々とあるし結論は出せない」というようなことになります。そう思えれば、かなり違いますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

考えてみれば「合わないのが普通」というのはもっともだと思います。
「考えが合うな」と思う人でも何もかもの価値観が合うということはあり得ないと思いますし。

結論のない事柄なのかもしれませんね。
あまり力を入れずに考えようと思います。

お礼日時:2009/10/07 13:33

私も何気ない会話でムッとなったり、カチンときたりして嫌悪感を抑えられなくなることはあります。


それはお互い様の場合もあり、相手もこちらをよく思っておらず
それが相手の会話があなたにとって敵意にも似た嫌悪感を抱かせる事になっているのではないでしょうか?

なので、私はそう感じる相手にとっては社交辞令や挨拶以外の会話を必要以上にしないことにしています。
職場やご近所というコミュニティの中であっても他人に全てを合わせる必要などないわけで、距離感とバランスだと思いますよ。
聞き流すという事を意識をされてみるのもいいかもしれませんね。
私は(へー、この人はこういう考えなんだ。)というだけで留めることにしています。
自分の価値観と照らし合わせるから、苦痛に感じるのですから。。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

私が人に同様の感覚を与えることもある、ということをよく心に留めておきたいと思います。
敵意や嫌悪感を感じれば、イラっとこないことはまずあり得ないです。

それなりにコミュニケーションをとる必要のある相手であっても逃げ道や距離感をとることができるのかもしれません。
その方向でもアイデアを出せるよう考えたいと思います。
参考になります。

お礼日時:2009/10/07 12:26

46歳独身男性です。




>出来る事なら周りを変えようとするのではなく、私自身が寛大さを身につける事で解決に向かいたいと思っています。

私も同じような努力はしていますが、それでも生理的に受け付けない人はいます。

具体的にどんな人が嫌いかというと、給料をもらっているのに仕事自体に対して不真面目な人とか、自分の与えられた役割に対して最後まで責任を持てず、土壇場になって他人に丸投げしようとする人です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「どう努力しているか」を話題としたいところです。

お礼日時:2009/10/07 10:01

私も自分にも厳しいけど、人にはさらに厳しい目で見てしまっています。


これはあくまでも心の内の話であって、人と対面しているときは、ほぼ出さずに会話をしています。

大勢の人と話す仕事をしているのですが、やはりいろんな考えを持った人がいるわけで…
全員に全力で対応しようとしたらストレスでつぶれてしまうと思います

きっと質問者さんは、目利きのできる方なんだと思うんです。
私自身も良くいわれることなのですが。
自分にできるからと言って、それを基準にしてしまうと、周りに人には負担になることがあるのです。
できるだけ相手の目線に自分を下げて対話すると、相手の考えてることも予測できるし、対応しやすいです。

もしくは対面して会話してても頭の中で、一歩引いたところの目線から会話をするようなイメージ。。

私が取る最終手段は、どうしてもこの人とは合わない…と思った時は
自分から話題を振るのではなく、相手の話を聞いて同調するだけです。
一生懸命聞いてるふりをしてるだけでも相手は気持ち良くなりますよね。
もちろんきちんと聞いてあげられたらそれはいいことですが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

そうですね。単純に私も「当たり障りなく接することはできる」とは思っているのですが、心の内的にはどうにも負担が大きいです。

相手のレベルに近づいて(下げるとは限らないのだと思いますが)ということを訓練するのがよいかな、と思いました。

「どうしても合わない」ということは往々にして発生することだとは思いますが、それに対して「あきらめる」「テキトーに接する」「聞いてるふりをする」「我慢する」以外に対抗する手立てがほしいところです。

お礼日時:2009/10/07 09:59

とにかくどんなに自分の考えや意見に反していても


反論しないことです。それだけでだいぶ違います。
さらに相手の意見を同意するしぐさをすれば完璧でしょう
それがムリそうなら諦めてください。
誰でも聞き上手にはなれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

一般的に言う「聞き上手」になりたいというのとは違う意図です。

自分と違う考えを上手く消化する為のコツやトレーニングを用いて他者理解をみにつけたいというような意味合いなのですが、質問文が悪かったかも知れません。すみません。

しかしてまず「相手の話を受け入れようとする」という姿勢は大事に思います。

「結局私には出来ない」という可能性もあるのかも知れませんが色々考えたく思います。

お礼日時:2009/10/07 03:15

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