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理系大学(旧帝大レベル以上)の学部英語教育に関する質問で、幅広い方のご意見をいただきたいです。日本の高校までの英語教育は長年受講しているにもかかわらず役に立たないといわれます。現在大学において、語学教育は行われていますが、英語教育を行っている方からすると(偏見があるかもしれませんのであしからず)、(1)英語が読めて、書けて、聞けて、話せるようになる教育(画一的な教育が可能)と(2)英語圏の文化を知る教育(教員にとって自由な形の教育が可能)という二つが、英語教育の柱になっているようにです。しかし、後者は英語教育というよりは、人文社会分野の科目と考えることができます。そこで質問です。理系の学生への英語教育の必要性が叫ばれている現在、私は(1)に集中するべきと考えますが、いかがでしょうか。多くの語学教員は専門として人文社会系のことを研究していることが多く、”(1)だけ”を目的とした英語教育にはそれには寝ず良い反発があります。その結果、多くの理系学生の英語力は全くといっていいほど大学在学中で伸びず、実際には4年生や大学院で論文を読むことによって、または自分で外国に行くなどして、彼らのの英語力が伸びるというのが現実です。幅広い年齢層や分野の方のご意見を伺いたいです。

A 回答 (7件)

旧帝大ではありませんが、世間ではハイレベルと言われる私大の理系出身です。


はっきり言って英語は不得意ですが、「幅広い年齢層や分野の方のご意見を伺いたい」とのことなので、自分の体験から思ったことを述べさせて頂きます。

私の大学では、1,2年次には2コマの英語の授業があり、それぞれ別の先生が教えていました。
教科書は、一方は英語の短編小説ほぼそのままでしたが、一方はアメリカの4コマ漫画を題材としたものでした。
授業の内容も、入試とは裏腹に低レベルなもので、難しい入試英語を突破して、大学ではどんな高度な授業が展開されるのだろうとワクワクしていた者にとっては、がっかりしたものです。
多分、何のために英語の授業を行うのか、理念がはっきりしていなかったのでしょうね。
質問者様の(1)と(2)を見て、今漸く解りました。

また教師の質も、理系学生に教えるには向いていない。
英語ではなくドイツ語の授業でのことですが、教師が「これは意味が解らないから訳さなくていい」と言う文を見ると、「夜空の星の多くは核融合により光を発している」といった意味で、その教師いわく、「星は全部、太陽の光を反射して光っているのでしょ」だそうです。
学生はみんな唖然としていましたよ。

質問者様が最も関心があるのは、理系学生に如何に英語の授業に関心を持ってもらうかだとお見受けしましたが、簡単です。
教科書を、理系学生に興味のある内容にすればいいんです。
先の4コマ漫画を使ったのは、多分学生の興味を引くためだったと思いますが、ハイレベルの大学で使うには多分的外れでしたね。
ウチの娘は都立高校に通っていましたが、英語の副読本に、Isaac Asimovの「I Robot」を使っていました。
これを見て、私のような理系オヤジには、ものすごくうらやましく思えましたね。

大学教育にSFは馴染まないというのであれば、ブルーバックスのような理系の入門書(もちろん英語の)を使うとか、入門書レベルの論文や解説文を集めた教科書を編纂すればいい。
教養課程で使うなら、分野は偏らない方がいいでしょうね。
もしかしたら、理工系中心と生物系中心くらいには分けた方がいいかもしれませんが。
また英語圏の文化を知る教育が必要なら、そういう香りのする小説を混ぜるとか、いくつかの章をそれに割り当てるのもいいかもしれません。
小説といっても、文学作品よりは、SFや推理小説のようなものの方が、理系学生には興味が持てるでしょう。

英語のレベルは落とす必要はありません。
旧帝大クラスの入試を突破した学生なら、そのままのレベルの英語を読ませた方が、学生にもやり甲斐が出るでしょう。

また、英語教育の目的をはっきりさせた方がいいですね。
理系学生なら、近い将来、英語で論文を書き、英語でプレゼンをするための力を養うのだ、という目標を、早いうちから自覚させた方がいい。
学生が4年から英語力がつくのは、必要に迫られるから。
読む力は、入試を突破した学生には十分あります。
だから1,2年のうちから、英語を書き、プレゼンする課題を授業の中で与えた方がいいですね。

余談ですが、米国での国際学会に参加したとき、日本人の英語力以前にプレゼンの下手さ加減に驚いたことがあります。
英語の授業以外でも、プレゼンの機会を多く設けた方がいいですね。

では誰が教えるか。
前に書いたような、理系の素養のない文系教員が教えるのは全くナンセンス。
これはNo.1の方が言われるように、日頃から英語の論文を読み書きし、英語のプレゼンをしている理系教員が行うのが、学生にとってはベストだと私も思う。
しかしこれは現実的ではないなら、英語の得意な院生にやらせるのはどうでしょう。
旧帝大クラスの学生なら、基本的な英文法程度はマスターしている筈なので、改めて英語の専門家が教える必要はないでしょう。
また学生にとっても、将来の研究の様子が垣間見られて、刺激にもなるかと思います。
更に最近は海外からの留学生が多いと聞いているので、ネイティブの留学生をアシスタントにつければ、会話の練習になると共に、海外の文化に触れることもでき、一石二鳥にも三鳥にもなるかと思います。

尚、No.4に書かれているような理想的なコミュニケーションは、大部分の理系学生にとっては、日本語でも難しいかと思います。
これはこれでまた別の課題でしょう。

以上、こんな授業が受けられたらと思ったことを書き散らしましたが、少しでも参考となれば幸いです。
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代ゼミが(レベルの高い講義では)よく日本人講師と外人講師二人でやってますが、そういう形にした方が良いと思います。


英語教員は要らない、は間違いだと思います。
むしろ、英語教員やネイティブを付けることで、理系教員の負担を減らすべきだと思います。
そして、「英語のコマ」は無くせばいいと思います。
専門の基礎でも2~3英語でそうやればそれで済むことだと思います。
私は化学系でしたが、英語の訳本ばかりでしたし。
専門の内容も身に付く、専門に関する英語も身に付く。
今の語学教員に給料を払うためだけの語学の授業は、全廃で構わないと思います。
そういう物を削れるだけ削って、四年制を三年制にする方が、家計も国の財政も助かるはずです。
なお、文系は基本的に二年制にし、卒業後に就職活動を始めればよいと思います。
外国文化のお話は、それはそれで別にやればいいと思います。単位の何の五月蠅いことを言わずに。
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そもそも英語の講義なんてせいぜい週に数回です。


そんなペースで学習していても英語が「使える」レベルにまで到達できるとは思えません。
教育方法云々以前に時間が絶対的に足りません。
その時間の不足を大学側から与える教育でカバーしようと思うと、それこそこれまでの空きコマを全て英語の講義にするか、あるいは学生全員に一年以上の語学留学を義務付けるぐらいの処置は最低でも必要で、これは学生からも教員からも反対されるでしょう。
結局、現実的な話としては、講義に過度の期待をする方が間違っています。
英語を使えるようになりたいと思ったら自発的な勉強を重ねて行くしかないですし、それが最もたやすく英語を使えるようになる道だと思います。
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お礼コメントどうもありがとうございます。



コミュニケーションには困らないということですが、それはご専門の内容に関してのコミュニケーションのことでしょうか? それとも通常コミュニケーションとして理解される社会一般のことでしょうか? オバマ大統領の選挙やノーベル平和賞受賞のことや世界的な不況、京都議定書やそれにまつわる各国の環境政策(技術ではありません)、イラク・アフガン情勢、靖国問題やノーベル文学賞受賞者のことなど世界的な話題として「普通に」英語でコミュニケーション可能ですか? そういうことを言っているのですが。 質問者様が上記コミュニケーションでも普通に困らない、というのであれば、十分に勉強されたのでしょう。通訳としては、今後そのような教養を持たれた理系研究者が日本でも続々出てきていただければ嬉しい次第です。

興味を持たせるという意味では、確かに必要なことかも知れませんが、日本の英語教育の根源的な問題を大学の英語教師のみに丸投げにするのはいかがかと思います。受験英語で思い切り面白みを否定された後に「関心を持たない理系学生」に「今までの英語はつまらなかっただろうが、これからは面白い」と保証できますか? 結局必要な知識の根底は変わりません。逆に旧帝大レベルであれば、英語教師にワザワザ教えてもらわなくても英語の重要性くらい知っていて当然のことと考えます。
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この回答へのお礼

少しコメントさせてください。
私がある程度コミュニケーションに困らないと書いたのは、「内容を知っている程度のことなら大丈夫ということで、オバマやノーベル文学賞など自分でも分からないことについては無理です。日本語でも無理です」。通訳になるのならそのような知識は絶対必要ですね。私のいいたいことは、興味を持って専門のことを英語で議論したり話したりすると、同時に一般的な話もする機会を得ることになるので、結果としてある程度はできるようになるということです。理系の人間には、そのほうが良いのではないかと思っている次第です。ある程度専門のことや、簡単で少しは興味のある事柄を英語でコミュニケーションが出来るようになると、さらに他の事柄(専門外の)にも興味がでてくるという相乗効果があると思います。少しずつではありますが、幅広くなってゆける気がしています。外国の文化を見るたびに、学生時代にもっと勉強しておけばもっと楽しく外国を見れるのにと思う次第です。それでも興味を持った時には「とき既に遅し」とわ思わず、人間は勉強し続けるのではないでしょうか。

お礼日時:2009/11/04 10:23

英語教育に携わっているわけではありませんが、文系出身ながら、通訳として理系英語・理系ドイツ語に関与している立場から気付いた点をいくつか。



まず条件として「旧帝大レベル以上」の「理系」ですよね? 語学教育としての英語は一年だけかせいぜい二年で終わりというレベルだと思います。前提として旧帝大レベルの入試英語を通ってきた、という状況の中で、少なくとも受験単語は知っているはずでなければなりません。ある程度の文章も読めて書けているはずでしょう。

教養英語の中身は理系の専門文献を読めることではありません。また、同じ工学部でも機械工学に進むのかバイオ工学や情報工学に進むのかによって専門用語が異なります。「英語教師」がすべての分野の専門文献を「教えられる」ほどに読みこなせるでしょうか? おそらく理系専門の方々でも「無理」でしょう。「機械工学なら読めるがバイオ工学はなぁ」となると思います。しかも「読めるだけではダメ」でそれを「英語教材として」利用し、「英語を教える」必要があります。

理系教授レベルの方々のドイツ語通訳をしたことがありますが、英語である程度不自由なく意思疎通ができる方は多くありませんでした。もっとも、英語が十分話せる教授はドイツ側も英語ができるので、通訳なしで全部動いているのかも知れませんが。専門用語は覚えてらっしゃるのでしょう。しかし、文章として成立していない場合が多々あります。論文として執筆される場合には考えて作文する時間があります。しかし、会話においてはその時間が制限されます。教授レベルではなく、企業で働いている理系の方々の場合、英語は無理と言われる方が多いです。博士課程などに在籍している理系の方(つまり質問者様の言われる論文を読むことによって英語力が伸びた方々)でも、その「英語力」は悲惨なものです。知っている専門単語をつなぎ合わせて、自分の知っている知識に照らし合わせて読んでいるだけで、「英語を読んでいる」わけではないからです。

なぜこうなるか。それは教養英語を馬鹿にし、一般の英語を読んだり解釈してもらう機会が与えられているにも拘らず、真面目に勉強しないからです。ドイツで理系の教授や企業で開発に携わっている方々の英語を聞くとそれぞれ訛りはありますが、十分にこなれた英語を話していますし、文学などの素養もキチンと持っていることが分かります。

結論: 理系学生の英語力が伸びないのは、英語教師側の問題ではなく、授業を真面目に受けていない学生側の問題です。また、論文を読んでいくなかで伸びているのは「英語力」ではありません。
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この回答へのお礼

 貴重なご意見ありがとうございました。おっしゃられていること、基本的には同感です。一つだけコメントさせてください。分野によって違いますが、私の周辺で拝見する最近の国立大学の先生方で、英語でのコミュニケーションに困る方は少ないです。みんなとは言いませんが、昔に比べれば格段の違いです。でも多くの学生は、なかなかできないようです。

 また、最後の結論ですが「英語教師側の問題ではなく、授業を真面目に受けていない学生側の問題です」というのは本当でしょうか。もともと理系学生には語学に興味のない人間が多いです。いかに英語でのコミュニケーションや読み書きが重要で楽しいかを伝える必要性があるのではないでしょうか。私は両方に問題があると感じています。興味ない者に、その必要性を説いて英語力をつけさせる方法はないのでしょうか。

 私の経験ですが、高校時代英語は赤点を取るくらいでしたが、必要に迫られて(専門の英語の読み書き、聞き取り、コミュニケーション、さらには歌などで)英語力をつけるよう努力しました。今特に発表やコミュニケーションでは不自由しませんが、「大学3年生までにもっと基礎英語をきちんと学んでおけばよかったとは感じています。

 また。英語教員による専門英語の教育の必要はありませんし、それは専門教員が行えば良いと思います。しかし専門の英語の勉強の中でも、英語はかなりできるようにはなると思います。

コメント、本当にありがとうございました。

お礼日時:2009/10/30 19:07

こんにちは



改行もなく読みづらいので整理してみました
***************************
理系大学(旧帝大レベル以上)の学部英語教育に関する質問

日本の高校までの英語教育は長年受講しているにも
かかわらず役に立たないといわれます。

現在大学において、語学教育は行われていますが、
英語教育を行っている方からすると
(1)英語が読めて、書けて、聞けて、話せるようになる教育(画一的な教育が可能)
(2)英語圏の文化を知る教育(教員にとって自由な形の教育が可能)
が英語教育の柱になっているようです。
しかし、後者は英語教育というよりは、人文社会分野の科目と考えることができます。

そこで質問です。理系の学生への英語教育の必要性が叫ばれている現在、
私は(1)に集中するべきと考えますが、いかがでしょうか。

多くの語学教員は専門として人文社会系のことを研究していることが多く、
”(1)だけ”を目的とした英語教育にはそれには根強い反発があります。

その結果、多くの理系学生の英語力は全くといっていいほど
大学在学中で伸びず、実際には4年生や大学院で論文を読むことによって、
または自分で外国に行くなどして、彼らのの英語力が伸びるというのが現実です。
****************************

>日本の高校までの英語教育は長年受講しているにも
>かかわらず役に立たないといわれます。
まあ少なくとも、話せるようにならないと言われてますね。

>英語教育を行っている方からすると
>(1)(2)が英語教育の柱になっているようです。
そうなんですか?そこはよくわかりません
大学の英語の授業って、こういう分け方できましたっけ?
個人的には
「専門書購読」につながる分野と「英会話中心」の外人講師
だったと記憶しているんですが。理系大学(旧帝大レベル以上)では違うんですかね?
該当しないのでよく存じ上げません。

>後者は英語教育というよりは、人文社会分野の科目と考えることができます
まあできると言えばできるような・・・

>私は(1)に集中するべきと考えますが、いかがでしょうか。
そりゃ「読めて、書けて、聞けて、話せる教育」ができるならそれでいいと思います
特に違和感はありません

>多くの語学教員は(1)だけを目的とした英語教育にはそれには根強い反発があります
う~ん、事実関係がわからないので、なんとも・・・
そうなんですか?そういう事実が普遍的に理系大学にはあるのでしょうか?
私も旧帝大では全然ないですが、理系大学行きましたけど
確率・統計の英語でかかれた著書なんかの精読・輪読しましたけど、
反発どころか、かなりギリギリと突っ込まれる授業でした。
とある個人の教授なり講師が反発しているだけじゃなく、一般的事象なんでしょうか?

>大学在学中で伸びず、実際には4年生や大学院で論文を読むことによって、
>彼らのの英語力が伸びるというのが現実です。
4年や大学院で延びるなら、何の問題も無いような・・・
ほとんどの大学生は4年になっても伸びないんですから。
ましてや海外留学して伸びることに何か問題があるんでしょうか?
海外留学して伸びる力を大学の1,2年の教養科目の授業に求める方が
無理があると思うんですが。

ちょっと全体通して、質問者さんの周りの話なのか、一般的な事象なのかが
よくわかりません。

とここまで書いて、過去質問見ると、大学関係者さんなんですね
とは言え、書き直すの面倒なので、一度、このまま回答します
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なんだかごちゃごちゃした質問文ですが,「理系教員が英語教育にも携われば,いくぶん解決するのでは」を,ひとまずのお答えとします。

じっさいに,「理系英語」,「専門英語」,「科学英語」などの科目が開講されていることがあります。担当しているのは理系教員です。

しかし,そうでない場合,いわゆる「教養部問題」というのが立ちはだかります。教養課程で英語を教えるために雇用された教員がいますので,大学内で「英語教育は彼らに任せた;俺たちゃ知らん」という忌避ムードがありますし,理系教員で英語教育をやる場合でも「英語教員を半分解雇して人員を理学部にまわせ」というわけにもいかないのです。

>(2)英語圏の文化を知る教育

そんなことを前面に出している英語科目は,2年次以上の選択科目であり,シラバスでもたとえば「1990年以降のアメリカ演劇に関する論文を読む」などと明言されていますから,理系学生はまず履修しません。

なお,はるかむかしの個人的経験でいえば,ひとりの先生は理系クラス向けとして「テクノロジーの功罪」みたいな評論をテキストに使ってくれました。たぶん英文学・英語学を専門にしている人だったでしょうから,このくらいが限界だろうとぼくらは考え,そして偉い先生だと評価しました。

>理系の学生への英語教育の必要性が叫ばれている現在

それは,「理系ばなれ」で理系学部の入試合格ラインが下がったり,副読本として世界スタンダードの教科書を指定できなくなったりしている要素もあります。

年代的に,ぼくらはひどい英語教育しか受けませんでしたが,大学院のときに出た国際学会では,発表内容はだいたい理解できました。懇親会でも話は通じましたよ。
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