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人間が歴史を作り、歴史が人間を作る

は歴史を文化に置き換えても言えると思いました。
人間にとっての歴史と文化の違いを教えてください。

A 回答 (8件)

文化があるから歴史があるのではないでしょうか。


文化がなかったら歴史の学び処すらありませんしね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/22 21:03

歴史の中の成果を文化と言います。


歴史には悪いもの良いものもありますが、一般的に人間が作り出した良いものを特に文化と言います。
負の文化や負の遺産という言い方もしますが、それは文化や遺産が良いものだという認識に立って言われるものです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/22 21:04

日本の歴史とは、大和民族の文化の変遷を記録している。


と言っても過言では無いでしょう。

しかし西洋では
民族が大移動したり融合したり、
国自体が滅んだり、他国に支配されたりと大きく変わる場合があります。

古代エジプト王朝は滅亡していますし、
現代のエジプトはアラブ系の人種が殆どです。

アラブはリビアまで勢力を広げ、リビアの多くの方がアラブ系となっています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B9% …

歴史は継続しますが、文化は途絶える場合があります。

~は~だから~だ。
こう言う事を哲学と称する方も多いのは事実です。

食物は、肥満になるので有害物質です。
光は、放射能があるので危険な光です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6
哲学の履き違えでしかありません。

哲学=結論=隠居=終わり
です。

ほぼ50年の歳月をかけ
「文化」とは何か?「歴史」とは何なのかを追求するのが哲学です。
結論とはその先にある物です。

かつて、恐竜が地球上を支配していました。
この時代では恐竜が歴史を作っていました。

しかし、
恐竜を作ったのは歴史書ではありません。
サルの世界を作ったのは歴史書ではありません。

サルの社会は高等ではありませんが、
社会やシステムや規則があります。

決め付けるのはいつでも出来ると思います。

まず、
歴史とは何を意味するのか?
文化とは何を意味するのか?
社会とは何を意味するのか?

その定義を知り、
理性的に探求する事が学問なのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

お礼日時:2009/11/22 21:07

 


 終らざる疑問 ~ 何とでも、云えば言える ~
 
 人間が文化を築き、文化が歴史を刻んだ。
 歴史が時間を定め、時間が空間を作った。
 空間が点を発見し、点が線分に成長した。
 線分が距離を測り、距離が移動を促した。
 
── だれも歴史を見ることはできない。草の成長を見ないように……。  
 Simon, Claude 19131010 France 20050706 91 /──《Histoire,1967》
 
── 時間とはなんであるか。だれもわたしに問わなければ、わたしは
知っている。しかし、だれか問うものに説明しようとすると、わたしは
知らないのである。
── Augustinus/服部 英次郎・訳《告白(下)19761216 岩波文庫》P114
 
── われわれの宇宙席次というべきものは、いったいどこにあるのか、
時間と空間の、われわれはいったいどこにひっかかっているのだ。そい
つをわれわれは自分自身で知ることが出来るのか出来ないのか。知った
ら、われわれはわれわれでなくなるのか。
── 尾崎 一雄《虫のいろいろ 19980916 岩波文庫》P121-122
 
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

お礼日時:2009/11/22 21:10

れきし【歴史】


人間社会が経てきた流動・変遷(流れ動き、移り変わってきた)の姿。
その記録。

ぶんか【文化】
(1)世の中が開けて生活水準が高まっている状態。文明開化(人知[人間のちえ]が開け、世の中が進むこと)。
(2)人間の理想を実現していく、精神の活動。技術を通して自然を
人間の生活目的に役立てていく過程で形作られた、生活様式および
それに関する表現。

ぶんめい【文明】
(1)世の中が進み、精神的・物質的に生活が豊かである状態。
(2)特に「文化」[2]と対立させて、技術や実用に重点がある、
物質的な文化。

(岩波国語辞典第5版)

歴史は人と社会のありさまの流れであります。
時代の「流れ」が人を作ることは大いにあるし、その流れの
記録(歴史記録)に接するという行為が人の生き方を
変えることはたしかにあるかもしれないと思います。
歴史に学ぶことをしない時代はあっても、歴史そのものは
人が生きるかぎり、止まりません・・。

文化 はその時代を映しているものもあれば
時代とは関わりなく存在する人の「理想」的なものも
あり、存続するものもあれば絶えるものもある。
初めは流行的なものだった(その時代を映す「流行文化」)ものが、
「美学」とも
いえるものが生まれ、後世に伝えられるものが多くなると
「伝統文化」となる(時代とは関わりなく存在する人の「理想」)
といえるのかな~? と思います。


昔の日本は外来のものを「流行」として受け入れつつも
国のなかで「仏教」「古典文学(とくに和歌・源氏物語・伊勢物語・一部の中国文学)」「自然」「色恋(特に貴族や遊里の)」
「キモノという前うちあわせの衣服」といったものをテーマに
国独自の文化を長い間磨いていきました。

今の日本は、古典文学や歴史、
日本の伝統文化から切り離されているので
(きちっと学んでいる人が少ない)
それ以前の時代の日本と連続している「文化」がほとんど
ないように感じます。これは昔の「日本」「文化」を外から眺める、という意味では有利かもしれませんが、昔の日本人と共有できる部分が
少ない、という問題もあります。
日本文化は繋がりの薄い濃いにかかわらず、少なくとも戦前・戦後高度成長期直前くらいまでは
それ以前の時代の文化と繋がって続いてきたところがあるので
高度成長期以降~今現在の日本の時代の「文化」が、後世にどんなふうに繋がるんだろう? 今もてはやされているものは消費されつくせば
やがて消滅するのだろうか・・とちょっと思ったりします。

最近、和服を着たり、和もののお稽古に励む人がちょっとずつ
増えてきているらしいので、そうした流れが
流行に終わらずにいまの時代の「流行文化」が
伝統文化にリンクして新たな「伝統」を作る・・
ということになったら面白いのにな、と思います。
まぁその一方で過剰に「日本文化」について意識
するのもどうか、と思う自分もいますけど。

歴史は「歴女」なんていうアイドルも出てきているし
楽しみながら歴史を学んで、またそこから新しい
考え、生き方をする人が出てきたらそれはそれで
面白いし・・と思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/11/22 21:16

こんにちは†



文化は,歴史という<ドア>を開く<鍵>なの。


後から続いたモノは,前のモノを知る為に,ドアの鍵を開けるなの
☆ヽ(^^*)ゝ
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この回答へのお礼

こんにちは。
ありがとうございます。

お礼日時:2009/11/22 21:18

今から説明しますように、歴史と文化は厳密には置き換えることが出来ません。



それを理解するには、文化とは何かを理解する必要があります。そして、文化を理解するには、文化の違いとは何かを考えれば判ります。

さあ、文化の違いとは何でしょう。それは、価値観の違いのことですね。価値観とは、何を善し何を悪しとするかの基準のことですね。例えば,日本では協調的な性格は会社の中で大変高く評価される性格ですが、アメリカの会社では、余り重要な性格とは考えられておらず、場合によっては、軟弱な性格の現れだとまで考えられてしまうことがある等の例のように、善し悪しが逆転してしまうこともあります。

この価値観の基準は、貴方が属している会社や社会ばかりではなく、一人々々にもあります。事実、貴方一人をとっても、貴方の心の中に善し悪しの判断があるでしょう。人々には、善し悪しの判断にその人固有の基準が在り、それが微妙に違っています。この違いのことを、個性の違いと言います。ですから、貴方が貴方であるとは、貴方を特徴付ける固有な価値観が在り、従って、貴方固有の文化が在ると言うことなのです。

ところで、貴方の個性は貴方の環境や経験に無関係に忽然と現れて来た物ではありませんね。貴方が何処に住み、何人兄弟で、何語を話、どんな生業を立てているかという、言わば空間的環境は、貴方の個性,即ち、価値観を作り上げるのに大切な役割をしていますね。この空間的環境を別の言葉では地理的環境と言います。また、貴方が、どの親に育てられ、どんな経験をして来たか、子供の時はどうだったか、若い頃はどうだったか、今はどうなのか、という経験の積み重ね、即ち、時間的な環境も、貴方の個性、即ち、価値観を作り上げるのに大切な役割をしていますね。この時間的環境を別な言葉では歴史的環境と言います。

実は、個性とは個人ばかりでなく、各々の社会にもあります。ある社会を他の社会から区別するもの、それがその社会の持っている特有な価値観なのです。そして、その社会の持っている特有な価値観の総体を、その社会の文化と呼んでいます。そして、それがどういう物であり、どのように作り上げてられて来たかを知るのに本質的に重要なものが、個人の場合と同様に2つあり、それが、地理的環境と歴史的環境なのです。ですから、人間社会の文化を語るためには歴史を抜きには語れませんが、しかし、歴史だけを語っても、文化、即ち、その社会の個性を語ることは出来ません。

ですから、歴史と文化は厳密には置き換えることが出来ません。

このことからも分かるように、個性豊かな社会とは、価値観の多様な社会のことですね。そして、多様性を善しとする社会では、各個人の価値観を互いに認め合い、どの価値観にも存在意義を認めていますね。それと同じ様に、いろいろな社会の集まりである人類でも、各社会の文化、即ち、価値観の多様性を認め合い、こちらの文化の方があちらの文化かよりも優れているなどと、一方的に押し付けることをしないことが大切だと思います。残念ながら、歴史を振り返ってみると、例えば西洋のように、自分たちの価値観を他の文化に力づくで押し付けて来て、その多様性を否定して来たという経験を、人類はして来ました。例えば、南米ではスペインの武力の下に南米固有の文化が失われ、皆がスペイン語を話すようになって、多様性が失われてしまいました。また、最近の出来事として、戦後の日本ではアメリカの占領下で多くの日本固有な価値観が失われ、アメリカの価値観に併呑される歴史を経験してきました。イランの若者達もアメリカの影響がにじみ込み、アメリカナイズされ始めております。ただ今イラクやアフガニスタンでは、アメリカの武力の下に、イラク人やアフガニスタン人固有の価値観が徹底的に否定されております。多様性の否定ですね。では、どうしたら良いか。それを教えてくれるのも歴史だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/11/22 21:24

大した違いはないと思います。



強いて違いをあげるなら、歴史が行為の記録であるのに対し、文化は行為の結果である、という点ですかね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/11/22 21:27

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