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写像の定義に関して本で

単射: 任意のyに対して、xに関する方程式f(x)=yの解xが一意的
全射: 任意のyに対して、xに関する方程式f(x)=yの解xが存在
全単射: 任意のyに対して、xに関する方程式f(x)=yの解xが一意的に存在

という説明がありました。

単射であって全単射でない場合はあるのでしょうか?具体例を教えて
いただければと思います。

A 回答 (7件)

f:R→Rで考えると、


(1) y=e^x
(2) y=1/(e^x+1)
などが、単射ですが全射ではありません。
(1)の値域は、y>0
(2)の値域は、0<y<1
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/25 23:06

 #6さんへ。

その通りだと思います。#6さんが、教育関係の方だったらどうしようと、ちょっと冷や汗をかいています。

 質問者様へ。自分も#6さんと同じ事を考えました。なので「文脈上」などの言葉で、本の正確な記述に関して、注意を喚起したつもりでしたが、言葉が足りなかった気もします。こういった補足要求が出てしまった以上、良ければですが、#6さんの質問に応えて頂ければ幸いです(皆さんもすっきりすると思います)。以下申し訳ないですが、#6さんへの言い訳です。

 自分は長い事、数学を独学して来たので、数学の慣習によるほんの些細な言い回しがわからずに、何日も悩んだおぼえがあります。写像の本で言えば、対の集合と対応とグラフ,始域と終域,定義域と値域,写像の定義と進んで、関係式による写像の定義まで来た時に、次のような表現にぶつかりました。

  X,Yを集合として、任意のx∈Xに対して対応するy∈Yが唯一つ存在するとき、それを写像と定義する.

 これは∀や∃を含む半論理式で(「∀ε>0に対し・・・」、などの類です)、そのまま読めば、こう読まざる得ない気がします。今ではこれは、

  X,Yを集合として、各x∈Xに対して対応するy∈Yが唯一つ存在するとき、それを写像と定義する.

と読むべきなのは知っています。しかし「任意のx∈X」と読んだ時、最初に自分に起こった反応は、「全部のxに対してyは必ず一つだけなのか?」というものでした。これって「定値写像の定義では?」という訳です。
 知り合いの数学の先生にきいた時に返って応えが、まさに、

  「全部のxに対してyは必ず一つだけ、なんて何処に書いてある?」

でした。この先生は、他学部の学生にも親切に教えて下さる方で、こんなに強い語気ではなかったのでしょうが、当時の自分にとっては大変なショックでした。こんな事で何日も悩んでたのか!、と。そして数学の本は、そのまま読むだけでは駄目なのだと思いました。ふつうの感覚を働かせながら、行間を読む必要があると感じました。今回は、このあたりの事情を強調したくて、暴走したようです。

 しかし、こんな事で悩むのは、すごくもったいない気がします。それで、自分が無免許状態であるのを良いことに、数学の道交法に抵触する、暴走発言を時々やってしまいます。そんなにひどい事は言ってないと、自分では思っていますが、目に余ったら、いつでもご意見,ご批判をお願いいたします。
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● まことに恐れ入りますが、ご質問文の中に記述されます「 単射・全射・全単射の定義 」が出典から正確に引用されたものであるか否かを確認なさってはいただけませんでしょうか。



● 出典の記述が例えば次のようなものであれば、私は ( いくぶん ) 納得できるのですが … 。なまいきを言って、申しわけありません。

  f は 集合 X から 集合 Y への写像であるとする。

 「 f が単射である 」とは、「 任意の y ∈ f(X) ( ⊆ Y ) に対して、x に関する 方程式 f(x) = y の 解 x が一意的 ( に存在する ) 」ということである。

 「 f が全射である 」とは、「 任意の y ∈ Y に対して、x に関する 方程式 f(x) = y の 解 x が存在する 」ということである。

 「 f が全単射である 」とは、「 任意の y ∈ Y に対して、x に関する 方程式 f(x) = y の 解 x が一意的に存在する 」ということである。

● 言いわけ

  以上の私の記述は、ddtddtddt さん の No. 5 を私が読む前に、作成したものです。
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この回答へのお礼

皆様、回答ありがとうございます。

定義の出典ですが、「数学セミナー」の記事からの出典です。
何月号か図書館で見たものなので覚えていないのですが、今年の4-8月のあたりの
ものであったと思います。

質問に記載した定義の文言は、その記事の記載から改変しておりません。

お礼日時:2009/11/25 23:03

 #3です。

自分の例は、誤解を招きやすいものだったと思います。単射であるが全射でない例は、他の皆さんの例を参考にして下さい。ここでは補足にあった、

>f(x)=yの解が存在はするけれど、その解はAの範囲には含まれない・・・という事か?

について、自分の意見を述べます。まず、

  (1)単射: 任意のyに対して、xに関する方程式f(x)=yの解xが一意的.

の任意のyですが、自分だったらですが、「値域に入っている任意のy」と解釈します。
 XとYを集合,f:X→Yとして、y=f(x)となるx∈Xと持つ、y∈Yの全体の事を、fの像とか値域とか言い、y=f(x)にならってf(X)などとふつう書きます(本に載っていたと思います)。ふつうはY≠f(X)であり、Y=f(X)の場合が全射です。つまり、

  (2)単射: 任意のy∈f(X)に対して、xに関する方程式f(x)=yの解xが一意的.

です。

 (1)の言い方を少しだけ丁寧にした(2)の「任意の y∈f(X)」の「∈f(X)」は、暗黙の仮定として、省略される事はけっこうあります。本だったら「文脈上わかるだろう」という訳です。大学での講義などでこの時、「∈f(X)が必要なのでは?」という質問したとして、「言葉が足りなかったね」という応答がまっとうだと思うのは自分だけではないと思うのですが、「必ず存在するなどと何処に書いてある?」と一括される事さえあります(まさに先生によりますが)。それに対して「でも全射では必ず存在するのに、必ずとは書いてません」と言うと、「必ず存在するのに何故言う必要がある。定義を理解してるのか?」という応えになります。

 ひどい話と言えばひどい話ですが、理由は2つある気がします。一つは、(1)のようなものが問題として出たら、少し省略する事で、定義を本当に理解しているかどうかの、かっこうのテストになるからです(再び、先生によります)。
 もう一つは、数学は言葉を出来るだけ切り詰めて「スローガン的に物を言う癖がある」からだと思えます。だいたい「任意のy∈f(X)」という言い方自体、日本語としてはおかしいですし、工学部の気難しい教授などは、こんな言い方も認めてくれません。

 しかし物は考えようです。大学生の方と思いますが、大学生には、それだけの自由度が与えられている、という事です。もし(1)が問題として出た場合、解答の冒頭に「任意のy∈f(X)と考える」と一言書けば、高校では「誰がそんな事を要求した」と×を食らうかも知れませんが、大学では「very good」の可能性さえあります。

 最後に、「f(x)=yの解が存在はするけれど、その解はAの範囲には含まれない」についてですが、その通りです。ただし「Aの範囲に含まれない場合」、すなわち「解がない場合は、解は空集合として空集合が存在するとみなす」と、厳密には定義します。この定義後であれば、(1)においても解は必ず存在しますが、結局、当たり前の事を言ってるだけです。写像の定義なんて、そんなものです。ふつうの感覚を信じましょう。
 ただしこの場合、必ず一意には存在しません。なので、(1)は厳密にはやはり不備のある言い方です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

まだ返答内容をきちんと消化できていないので、これからじっくり読んでみます。

お礼日時:2009/11/25 23:05

 本を読まれたのですから、単射,全射の定義はわかっていますよね?。



>単射: 任意のyに対して、xに関する方程式f(x)=yの解xが一意的
>全射: 任意のyに対して、xに関する方程式f(x)=yの解xが存在
>全単射: 任意のyに対して、xに関する方程式f(x)=yの解xが一意的に存在

は、ほとんど定義そのものです。それは分かってるんだ!、という事でしょうか?。だとすれば、引っかかっているのは、

>単射であって全単射でない場合・・・

あたりなのかな?、と想像しました。

 たぶん単射として、f:R→Rかつy=xなどを考えたと思うのですが、ふつうに考えれば確かにこれは全射にもなりますし、単射ならば必ず全射と思ってもしかたない気はします。

 でも「写像の定義」です。AをRの真部分集合として、f:A→Rかつy=xは、単射であって全射でない例になります。

 的外れだったら、御免なさい。

この回答への補足

>でも「写像の定義」です。AをRの真部分集合として、f:A→Rかつy=xは、単射であって全射でない例になります。

全射でないということは、f(x)=yの解が「存在しない」ということ
でしょうか?

そうでしたら、一意的なのに存在しない、という意味がよく理解できていません。

f(x)=yの解が存在はするけれど、その解はAの範囲には含まれない、ということなのでしょうか?

補足日時:2009/11/21 22:33
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容易に思いつくと思うんですけど、まったく想像もつかないですか?

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具体例をあげれば,



正の実数全体の集合をAとし,実数全体をRとするとき

AからRへの写像
f:x→x^2
は単射。(全単射ではない)

AからAへの写像
g:x→x^2
は全射。(全単射でもある)

この回答への補足

回答ありがとうございます。

違いは「AからRへの写像」か「AからAへの写像」ということでしょうか?
まだよく理解できていません。

"正の実数全体の集合をAとしている"、ということは、x -> x^2は常に「AからAへの写像」
となってしまわないでしょうか?

補足日時:2009/11/21 22:28
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