牛、豚、鶏、どれか一つ食べられなくなるとしたら?

(1)池の中に
(2)魚が無限に存在する

(1)は(2)より優先的である
とした場合
魚は無限に存在できるのか?
それとも有限なのか?

池が有限なのだから魚は無限に存在出来ない気がします
助言下さい

A 回答 (12件中1~10件)

A No.6へのコメントについてです。



ご質問は、「詩の中の数理」とでも申しましょうか。
詩も数学も哲学も物理学も、いずれも「言葉を使って何かやる」という点では同じです。また、日常使う言葉は、意味が分かったような気になって使っているけど、きちんと共通了解ができている訳ではない、いい加減なものである。そのいい加減さを、詩は利用しますし、数学・哲学・物理学では排除しようとします。
 詩は、日常使われる言葉の意味や連想を少しだけ変容する仕掛けで、言葉だけで作られる世界と日常の世界とを曖昧に繋いで好き勝手に行き来できます。
 数学は、現実の世界とは直接の関係を断ち切って、厳密に定められた言葉(数式も言葉のうちです)だけで構成される構造を扱います。そもそも数学で「証明」が可能なのは、数学が現実とは無関係な、言葉だけで閉じた体系だからです。したがって数学という文脈で「池」だの「魚」だのと言う場合に、現実の池や魚はもちろん、現実のあらゆる実在とは切り離された言葉そのものを指すただの記号だ、と見なして扱うのはごく普通のことです。
 一方、物理学は、現実の世界を説明する反証可能なリクツを言葉によって構成しようとする、哲学の一種です。 物理学においては、リクツを拵えただけでは何か証明したことにはならない。なにしろ現実の世界が相手なので、リクツがいくら旨くできていても、反例(リクツに合わない現象)があったらそんなリクツは机上の空論。なので、証明ということはそもそも不可能です。その代わりに反証(現実を観察して、リクツに合わない現象を見つけること)を通して、スカタンを厳しく切り捨てます。そうして長年掛かってもまだ切り捨てられていないリクツが、暫定的に「法則」と呼ばれている訳です。

で、ご質問は、現実の池と魚を指すと思われる言葉「池の中に魚がn匹存在する」を持ってきて、これを非現実の数学の世界における「個数(濃度)」の概念と連想で繋いでいます。数学の言葉を引き込もうとしている訳ですが、引き込める先は飽くまでも詩の世界であって、現実の世界じゃありません。なにしろ、曖昧な詩的連想だけが頼りなんですから、現実の世界について何か意味のある事を言った、ってことにはなりません。詩的世界において、数学の素養を多少とも持つ読者にナニカ不思議を感じさせるための仕掛け、以上の意味は持たないでしょうね。

 以上を踏まえた上で、
> 魚は分割できない「素粒子」的な存在をイメージしています
> そして池は世界(全宇宙)です

 残念ながら、そのイメージはご質問にある詩からは伝わりませんで、むしろ、無限級数論(大きさの異なる魚の列)や「取り尽くす」という操作で定義される無限の概念を連想させられた。高次元空間の充填問題や、物理学の質点の概念を連想なさった方もいる。ま、これだけの数の感想が集まったのですから、詩としてはそこそこ成功しているんじゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

詩という表現はとても的確であると思います
まさに私の気持ちを感じ取っているのだと思います

自分の未熟さが感じ取れる「詩」になってしまいましたが
それに答えてくれた皆さんの「詩」はとても楽しいです

お礼日時:2009/12/17 16:30

「点」や「直線」も、詩ですね。


ヒルベルトは、ロマンチストな割りには散文的で、
「机」や「ビアマグ」でも同じだ と言ったけれど。
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#3です.


私も#9さんの意見を支持します.
#3の空間充填の話も#9さんの論理に基づいています.
パラドックスとなったとしても,数学として考えたいです.
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♯5 です。


「魚の体積は全て同じでない」のだとすれば、
これは、数学的には、
正項級数が有限値に収束することがありえるか?
という質問なのかもしれません。
そうであれば、答えは ○ です。
アキレスと亀のバリエーションですね。
もちろん、物理でも水産でもなく、
数学の話題と捉えた場合の話です。
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#3です.


単位胞子→単位胞と修正します.
変換時の消し忘れです.
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数学の問題が現実にある問題から派生して出てくるという場合はあります。

その場合は現実性を表す要素を捨象して問題が成り立っています。池とか魚とかの現実世界の中の存在を表す言葉は使うべきではないのです。
「池」という言葉を使えばある限られた空間の中に水が溜まっている場所を表します。海よりも狭いです。陸上にあります。
「魚」と言えば水の中に住む脊椎動物のひとつです。
数学だから原子より小さい魚を考えるのもありだということはありません。言葉の選択を間違っているのです。
こういう言葉使いは「頭の体操」のようなクイズの本によく出てくるものです。

言葉の定語がされていません。
定義がなければその言葉の元々持っている意味がその言葉の意味です。
数学なら数学らしく言葉を選んで、きちんと定義して、問題を書くべきです。

「物理では質点という、質量があって大きさのないものを考えている」と書いておられる回答があります。
それは「限られた大きさの場所に質量を持った物体を無限に詰め込むことが出来るか」ということとは関係がないことです。

そういう量を物理で考えているわけではありません。
物体の運動を記述する際に位置だけで記述できる場合を扱っているというだけです。大きさ、構造、その他の、物体に付随する性質がが問題にならない場合だけを考えているということです。
大きさが問題になる場面であればそこで大きさを考えます。
大きさが問題になる場面になっているのに、質点で考え始めたから大きさは考えなくてもいいはずだという論の進め方をすれば無意味な結論が出てくるだけです。

このカテでもよく質問が出る「A君はP地点をスタートして~分後に~m離れたQ地点に着いた。・・・」という問題も質点表示です。A君の位置を一点で代表させています。
このように書いたからといってA君が原子よりも小さい存在だとは誰も思っていません。今考えている問題には関係がないから出てきていないだけだと理解しているのです。
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この回答へのお礼

>言葉の選択を間違っているのです
>数学なら数学らしく言葉を選んで、きちんと定義して、問題を書くべきです。

ごもっもです。稚拙ですみません

回答の半分から下は私にはよく理解できませんでした
なので…コメントできないです

**********************
私が書いた質問において…
一番問題なのは私の文章が変と言う事なんだと思います
ご迷惑をおかけしてすみません

でも、皆様方が言葉を返してくれた事とはとても嬉しいです
感謝しますm(_ _)m

お礼日時:2009/12/16 17:36

 「池の中に」とは、おそらく「或る与えられた有限の容積の中に」ということを表すキモチでしょうね。


 で、「池の中に魚が無限に存在する」とは「或る与えられた有限の容積の中に、無限の「魚」が存在する」という意味だとする。「無限に存在する」とは「数え終わることがない」すなわち「(幾ら取っても)取り尽くせない」という操作的な意味での無限を指しているんでしょうかね。
 なお、「優先的である」って文言は意味分からんので無視しちゃいます。

 とすると、じゃあ「魚」ってどういうものか、という話になります。
例えば
1匹目の魚の体積が1/2 リットル、
2匹目の魚の体積が1/4 リットル、
3匹目の魚の体積が1/8 リットル、
:
n匹目の魚の体積が(2の-n乗)リットル
:
である、というのがアリだとしましょう(もちろん、数十匹目から以降は原子より小さい魚を考えてることになるわけですが、ここは数学スレだからアリだとしましょ)。すると、どの魚も有限の体積を持っていますが、何匹目まで集めても、その体積の合計は1リットル未満です。(なぜなら、1リットルを2等分にして、一方を1匹目の魚の分とする。残りをまた2等分にして、一方を2匹目の魚の分とする。残りをまた…この操作は幾らでも繰り返せるからです。)だから、池の容積が1リットルよりも大きければ、無限個の魚を入れられる。
 ところで、現実のミジンコ(これは魚ではなさそうですけど)は、親の身体の中に子がいくつも入っています。で、その子の身体の中には、既にそのまた子が入ってるんです。なんともオマセな胎児ですな。もしもこれが幾らでも続いていたら、と想像してみると、1個の個体の中に無限個の個体が収まっていることになりますね。
 大昔に真面目に論じられたトンデモ発生理論「前成説」(クララ・ピントーコレイア著「イヴの卵」(白揚社)に詳しく解説されてます)を思い出します。

 あるいは、です。「無限に存在しうるかどうか」という問いに対して「泳ぎ回る無限個の魚をどうやって数える積もりかね?魚を池から取り出して数えるしかないじゃないか」とツッッコミを入れることによって、問いの立て方の悪さを突くこともできます。
 言い換えれば、「取り尽くせない」を「獲り尽くせない」と解釈すると、リアルな「魚」の話に近くなる。例えば、1匹獲るたびに池の中で魚が1匹生まれるのだとすれば、獲り尽くせない。この場合、魚を池から取り出して数えると、魚を数える操作は終わる事がないのだから、「魚が無限に存在する」ってことになりますね。
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この回答へのお礼

>「池の中に」とは、おそらく「或る与えられた有限の容積の中に」ということを表すキモチでしょうね。

そうです。私の文章から読み取れる意味よりも
私がこのように質問を書いた気持ちを感じ取った上で考えてくれると
とても幸せです

>数え終わることがない」、取り尽くせない…
>どうやって数える積もりかね?…
>1匹獲るたびに池の中で魚が1匹生まれるのだとすれば…

これは私の考える方向性とは違いますね、

魚は分割できない「素粒子」的な存在をイメージしています
そして池は世界(全宇宙)です

お礼日時:2009/12/16 17:21

「池は有限なのだから」は、いったい何処から


湧いて出た条件なのでしょうか。
(1) には、そんなことは書いてありません。

単なる書き忘れで、最初から
池の容積は有限のつもりだった…
というのであれば、

魚の体積が 0 なら、無限に存在することが
可能です。
(物理学だと、「質点」とかありますね。)
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この回答へのお礼

>単なる書き忘れで、

その通りです。書き忘れ…というか無意識の省略でした
理解し易い文章はとても難しい事ですね

>魚の体積が 0 なら、無限に存在することが可能です。

追加の定義で「魚の体積が全て同じでない」…とすれば
有限といえる?

屁理屈でしょうか?

お礼日時:2009/12/16 17:03

御質問の意図がよく分かりません。



物理的な自然が前提である限り、
存在するものは全て有限です。
無限大も無限小もありません。
池、魚という具体的な存在で問が立てられているのですから有限です。
どのように詰めるかというのは関係が有りません。
有限の質量を持ったものを有限の大きさの空間に入れる、数は有限です。
宇宙に存在する原子の数さえ上限が見積もられているのですから。
計算上、無限大とか無限小であると見なすということはあります。それは比較においてです。

誰かが無限であると言ったのですか。
魚とか池とかが物理的な自然の枠外のものを意味しているのであれば
このカテで質問しても無駄だろうと思います。
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この回答へのお礼

>物理的な自然が前提である限り、存在するものは全て有限です。
凄い言葉です
唯物論的に考えるとこの世界は有限と言える?でしょうか?

>宇宙に存在する原子の数さえ上限が見積もられているのですから。
とても嬉しい話です
何か味方が現れたような気がします

お礼日時:2009/12/16 16:41

池も魚も,一定サイズの単位胞子と考えます.


その繰り返しが有限か無限かは,あまり関係ありません.

答えは,「有限」「無限」どちらの解もあります.
哲学ではなく,数学の問題として考えましょう.

1つ目,魚が一定サイズの球の場合,
最密充填(パッキング)問題といい,3次元であれば,
正単体を基本として,77.84%の充填率より高くすることはできません.有限です.
ただ,実際にはどこまで詰め込むことが可能かという問題があり,
面心立方格子の74.04%が最大ではないかといわれています.
これをケプラー問題といいます.数学上の未解明問題のひとつです.

2つ目の考え方を示します.
魚のサイズは色々とりうることができるとしましょう.
このときは,次元によって面白いことが生じます.

各辺が4の立方体(池)に最初に半径1の球(魚)を詰めます.

2次元のとき,
正方形には4つの円(魚)が入りますが,その中心に半径√2-1の円が入り,さらにその隙間に・・・,と永遠に詰めていくことができます.

3次元のとき,
立方体には各頂点付近に8つの球が入り,その隙間に半径√3-1の球が入り・・・同様です.

n次元のとき,
半径√nー1の超球を詰めることができますが,
9次元では√9-1=2となり,元の超立方体の範囲と一致します.
よって,無限に詰めることはできません.

この問題は,モーザーのパラドックスとして知られています.
9次元以上では隙間に詰めることは矛盾が生じ,できないのです.
隙間に詰める方法は,「8次元以下なら無限」「9次元以上なら有限」となります.
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この回答へのお礼

難しくてよく分かりませんでしたが
>隙間に詰める方法は,「8次元以下なら無限」「9次元以上なら有限」となります.

このフレーズはとても凄いと思います

この問題を書くときにこの世界の次元条件も入れるべきだったのですね
(^^)

お礼日時:2009/12/16 16:27

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