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現在の学力低下の要因は一様に何が原因とは言えないとは思いますが、
私自身の解決案として、段級取得制度を導入したらどうかと考えています。これは日本古来に根付いているものですし、勿論これには教員を増員は不可欠だとは思いますけど、飛び級などというと抵抗があるわけで、習い事などはこれが多いわけなのです。子供の可能性をつぶすようなことを避けるためにも、また苦手分野や得意分野がわかるという面もあります。10歳くらいからやれば、全体的にかなりの学力向上になると思うし、特段、学歴をステータスなどにすることもなく、純粋に学ぶということを学ぶということにすればよいのだと考えますが、どう考えますでしょうか。

A 回答 (6件)

私もその意見には賛成です。



今の学校で役割が明確になっていない気がします。

学力向上、人間性向上などがごっちゃになっている気がします。

学力向上にも、
知識や計算力を高めるのか、
根本的に学習力を高めるのか
という2つがあると思いますが、


単純に、学力が高いということにするのであれば、レベルの高いテストでみんな満点に近い点数を取ることができれば良いことになると思います。

社会に出て、仕事をしていたら、これが普通の考えですよね。
目的のために、行動する。

でも、学校の教育って、先生が言っているだけのような気がします。
聞く気がある人は聞くでしょうし、
教科書だけで充分なら、聞かなくても、学ぶでしょうし。

私の過去の経験上を考えると、一人一人の学力向上ために、適切・効果的なことをしているかどうかと考えるとしていないでしょう。

今の学校のシステムや資金や時間的な制約の中では難しいと思いますが、学校の役割を果たすなら、質問者さんの言うような仕組みに変わっていいのではないかと思います。

やることだけやって、給料が貰えるというのは、まだ、食べていけますよね。まあ、精神的辛いということもあるでしょうけど。

でも、社会の仕事で、赤字だったら、倒産するには必須で、そのために打開策を考えなければなりません。

本当に打開策を講じようと思ったら、思考錯誤が必要だと思います。
質問者さんの意見の前に、それが、一番の問題なのではないかと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
現在の学校には様々な問題があり、先生達もご苦労の絶えないことだと思いますが、しかし私は教師という人たちにこそ日本を変えていく可能性があるのではと思うわけです。

公共事業で雇用対策をしたいなら、ここに教師補佐となる雇用を投入するべきと思ってしまいます。

現状の子供たちは、学校の教育に物足りなさを感じているのです。貴重な学校の時間をもっと有効に使いたいのですね。子供なんて本来はパワーの塊ですから。

早く明日の朝になって学校に行きたいな。

そんな風に、子供の意欲を掻き立てられずにはいられないところをめざして欲しいですよね。

お礼日時:2009/12/31 10:53

以前、教育産業で働いていた事があるだけの人間のたわごとですので


参考になるかは分かりませんが…

段位制は努力をする目的・目標が明確になる、いい制度だと思います。
ただ現在の年齢による進級、進学が行われている状況では
中3で物理は大学レベルでも漢字の読み書きが小学5年生といった
アンバランスな学力を持った子どもが多くなる危険性をはらんでいます。
個性を伸ばした結果だと言えば聞こえはいいですが
それが学力の向上と言えるかは疑問だと思います。
また子どもは「好きなことしかしたくない」という考えが強く
今の親や教師も個性を伸ばすという響きのいい言葉に乗せられ
それを後押ししていると感じることが多くありました。

底上げという事を考えれば時に留年させることも必要だと思います。
前の学年で理解しておくべきことを理解できてないまま進級し
勉強についていけない子が、かなりの数いると実感していました。
そういう子の多くが勉強を嫌いになり全教科の成績も下がっていきます。
基準の年齢になったからといって
学力のついていない子を次の学年、学校へ進ませている現状がおかしいです。
No.3の方が言われている切り捨てを行っているようなものです。

学年により基準となる段位を設定しクリア出来ていない教科があれば留年
逆に全教科クリアできていれば飛び級も可ということにすれば
次の学年でついていけないということはなくなり
また留年というデメリットがあることで苦手、嫌いな教科にも
積極的に取り組み全体的な学力の向上につながると思います。

この回答への補足

回答者の皆様、大変建設なご意見ありがとうございました。

私も、もう少しいろいろな方向から考えてみたいと思います。

ただ最近感じることですが、腹八分という言葉も腹八分でしか理解していなければ、本当の腹八分の意味も実感できないのではないだろうか。

人間を恐れてばかりいたら、本当の意味での畏怖という感覚がわからないではないだろうか。

社会に出る前にそういうことを実感した方がいいのではないのかと思うわけです。本当の意味で鼻をポキンとへし折られる感覚です。

もしくは、ぽんと宇宙に投げ出されたような、恐ろしい感覚です。

しかし、本当のところもう少し反対意見をうかがえたらなと思っているのです。

補足日時:2009/12/23 13:50
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

確かに子どもは「好きなことしかしたくない」という考えが強い為に、アンバランスな学力になることはあると思いますが、しかしかえって伸びたい方を押さえつけると、それはそれで良くないと思うのです。

若い時は二度と帰ってこないのだから、本人が伸びたいときは伸ばしてあげたいと思うわけです。国語が6級で物理が1段という子が出てきたとしても、物理を伸ばしたいと本人が思ったら、それは受け入れてあげたい気がします。なぜならきっと文法と論理的思考は大きく関係しているのではないかと考えるからです。つまり自然に国語力もついて行くのではと考えるからです。

伸びたい気持ちを押さえつけている感が、子供のフラストレーションを生む様な気がします。

そのでこぼこの状態を留年ととらえるかどうかはまた別の問題としても、二度と戻ってこない時間をやりたいことがあるならそれをやらせてあげたい気がするのです。

お礼日時:2009/12/22 09:59

 学力低下の原因は小学校で「総合的な学習」を始めたことです。


あの時に私たち教師は算数の苦手な子には算数をさせて読書が好きな子には本を読ませることができる時間が出来たと勘違いをしました・・・
 しかし日教組が要求したのはそういった教師が自由に判断して、自由に教育すことが出来る時間であったのですが、文部科学省の役人が通達したのは、学習内容を国際理解、環境、福祉に限定してしまったのです。結局多くの学校での総合化の取り組みはどこかに見学に行って、誰かゲストを招いてきてレポートを書かせることしか出来なくなったのです。そんな下らないことのために週に3時間も費やしてきたのです。勿論大切な国語算数理科の時間を削ってです。
 自分でレポートがかけるよな優秀な子供ならそれでも効果はあるでしょうが、多くの子供をネットの丸写しが出来ればよいほうです。
 明らかの総合化の失敗だと思います。
 すぐにでも総合化を完全に自由な時間にするべきだと思います。
 そして、読み書き計算が出来ない子供は徹底的に個別指導をして、優秀な子供には多くの本を読ませるべきです。
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この回答へのお礼

大変建設的なご意見ありがとうございます。

私もある程度の年齢になったら、5教科以外は選択制にしても良いのかとも思います。そうすれば5教科にもう少し力を入れられる訳ですし、体育部と体育教科の重複、文化部と文化教科の重複なども少しスリムにしても良いような気がします。

いろいろ検討できそうですね。ありがとうございました。

お礼日時:2009/12/19 12:13

質問者さんに 賛同します オレも同じようなコト考えてました☆



学業は「免許制」にして「教師が成績等で生徒を選ぶ」のではなく
「生徒が学びたい教師のもとで自由に学べる」ようにすべきかとッ

サボりたい連中は切り捨てればイイんです 突才は万凡に勝ります
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

一方で、師に教えを請うという基本的な道徳な面も重要かと考えます。
しかし、個性を伸ばすということも大切ですね。

No.2さんの「落ちこぼれ」「ふきこぼれ」を無くす効果についても考えてみたいと思います。

お礼日時:2009/12/19 11:42

「落ちこぼれ」「ふきこぼれ」を無くす方向であれば良いと思います。


総論で賛成でも各論で反対する親御さんなどはたくさんいらっしゃるでしょうが・・・。
授業形態が時代にそぐわなくなって久しいですが何も変わりませんね。
どのような人材を育てるのかによって教育方法は多岐に渡るので難しいのでしょうが・・・。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
確かに競争をあおりすぎて本来あるべき’興味を持つ’とか’主体的に学ぶ’という面が損なわれる面もありそうですね。

慎重に議論する必要がありそうです。
しかし、一方、ゆとり教育で足踏みさせられすぎて逆に勉強に興味をもてなくなっているとも言えると思います。また、競争することが好きな子もいますし。

どうなんでしょうか、難しい問題ですね。

お礼日時:2009/12/18 15:33

ユニークな発想ですね。

どうでしょうね?効果には疑問が残りますがユニークな発想で議論の余地はあるかも知れません。個人的には学力の低下はそれほど問題にはならないと思いますが、、、別に国連からご褒美がいただけるわけではないしwww

「学」は「まねぶ」であり「まねをする」です。一方「教」は「習わせる」であり、「見習わせる」であり、「まねをさせる」です。この教育の根本を親が、教師が、教育制度を作る人間が、心底理解するのが最も重要だと思います。専門家ですら何も分っていないと思われるふしがあります。これでは本当の教育が出来るわけが無いと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

学力の低下は世界競争においても社会経済にとって大きな問題だと思いますよ。確かに「まねをする」、「まねをさせる」これは基本だと思います。「師に教えを請う」と「自ら主体的に理解する」ということと同じですね。

いろいろ議論の余地があると思いますが、もっというと学校を横スライスすればいいと思うのです。東学校1、2年、西学校2、3年、南学校3、4年、北学校4、5年という具合に、遠くなっちゃった人はスクールバスかなんかで、わざと重複しているのは、その為の歪みを吸収しようとする狙いですが。
現在の雇用の問題においても、教師に教育に専念してもらうためにも、事務員や専門教科の為の民間人の登用など、もう少し開かれた学校という発想があってもいいのではと考えます。

お礼日時:2009/12/18 09:47

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