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奈良時代のことですが、農民の他に皇族や貴族も口分田を与えられ、税を納めていたのですか?

宜しくお願いします。

A 回答 (4件)

>奈良時代のことですが、農民の他に皇族や貴族も口分田を与えられ、税を納めていたのですか?



皇族・貴族を含めて院宮王臣家とよんでいるのですが、皇族=院宮と王臣=貴族では規定が違うのですが、根本は似たり寄ったりですので貴族を中心に考えると、位封・職封・位田・職分田・位禄・季禄・節禄・時服・馬料・月料・要劇料があり、そのほかに従者として、帳内や資人と呼ばれるトネリをつけてもらっています(高位者のみ。また家令もつく)。
さて、この内質問に関連すると思われるのは位封・職封・位田・職分田です。この内位封・職封などはまとめて食封(じきふ)とか、封戸と呼ばれ、○○国××郷の△△戸と指定されますが、もらった本人(封主)が直接それらの戸を支配するのではなく、戸のある国の国司が租庸調を徴収し、租の半分と、庸調の全てを封主に直接納入する制度です。租の半分は国に納めるのですから納税したと考えられます。
位田・職分田は○○町などのように直接土地をもらう制度(自分ではないでしょうが耕作することになります)で、その内位田は輸租田と禄令に定められていたと思いますので、租は納めています。これに対して職分田は田令に不輸租田とあったと思いますので租は納めません。しかし、対象が大納言以上と国司・大宰府官人・郡司(郡司の職分田は輸祖田)で高位と地方官に厚い制度になっています。
墾田永年私財法の質問にも書きましたが、墾田といえども田租は納めています。職分田と言う例外はありますが、奈良時代では農地に関しては院宮王臣家といえども納税するのが原則です。

旅先なので律令の本文等の資料を持ってきていないので、不正確な部分もあるかもしれません。参考程度に。
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>奈良時代のことですが



#2さまの言う位封による封戸を与えられていました。

それは国司が管理していました。
そこで徴収された祖の半分が貴族の取り分となります。

>税を納めていたのですか?
5割を納税していた事になります。

ここまでは貴族は直接祖を徴収できません。
律令制による中央集権国家でした。

墾田永年私財法などによって自分の領地が出来始めたのです。
最終的に貴族の荘園は無税となります。

平安時代には百姓は口分田を貴族に寄進した形を取り
安い祖を貴族に支払います。

中央に対する祖はどんどん減少し、律令制は崩壊します。
(天皇の領地と貴族の領地が分離した。)

貴族は自分の領地と財産を守る為に武装をし始めます。
これが侍です。

保元の乱で天皇が武士の力を利用した事によって
武士の台頭がはじまります。

鎌倉時代初期には頼朝と朝廷は互角でありました。
承久の乱で武家優位となります。
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http://www.tabiken.com/history/doc/B/B123L100.HTM
まぁ一種の領地をもらえたわけです、貴族は。
納税義務なんてありません。
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貴族や官吏は口分田を与えられたり租税を納めたりはしていない。


彼らは荘園を経営していて、国家から経済的、身分的な特権が与えられていた。

国民の多くは公民とよぶ農民で男女共6才以上で班田収授法により男子は2反=約600坪、女子はその2/3、良民の私的なは男女それぞれの1/3を与えられて死亡により国家に返還させた。
その代わり、租庸調という税が課せられていた。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2009/12/31 15:30

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