
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
どうおもうか? を聞くことはないと思いますが。
。。それぞれが、それぞれなのでしょう。。。
>>> http://www.geocities.jp/cato1963/PKJzhz.html
魚の楽しみ
秋水篇第十七
荘子が恵子(けいし)と一緒にゴウという川のほとりに遊んだ。荘子は言った。
「ハヤが自由自在に泳いぎまわっている。これが魚の楽しみなのだ」
恵子は反論した。
「君は魚ではない。魚の楽しみがわかるはずがない」
「君はぼくではない。ぼくが魚の楽しみがわからないと、君にわかるはずがない」
「ぼくは君ではないから、もちろん君のことはわからない。君ももちろん魚ではないから、君に魚の楽しみはわからないことは確実である」
「根本に返ってみよう。君はいましがた『おまえに魚の楽しみがわかるはずがない』と反論したが、それは実は、君がぼくの知識の程度を知っているからこそ、そう推論できたわけだ。ぼくだって、ゴウの川のほとりに立って魚の楽しみを知ったわけさ」
<<<
うーん...これはそうとうに年季の入った答えが返って生きたぞ~。
イソップ物語を例にしたつもりが、『荘子』抄が返ってくるとは。
(時代劇ふうにいうと”おぬしやるな”となりますね)
よく分かりました
No.44
- 回答日時:
なんか妙に神がかっているような気がしますが...
>その歴史的事実を知らないのですかあなたは.
さあ、知りませんねー
天国や地獄と言う概念を使って「悪事」を働いてきたのですか、
では旧約のエホバは十戒などでどのような「悪事」を働き、どれだけ悪影響を与えてきたのだと思ってますか?
質問者は 最も救われない、脅迫症の神の再来なんですかね。
満たされている人は ~してはいけない などと人に働きかけないと思うのだが?
そのように働きかけるものが最も 寂しく、世界と人間を信頼しておらず、救われるべき者だと思うんだけどね。
それから、今まで俺が書いたことをちゃんと理解して返答してますか?なんか解らないまま 返答しているように見受けられるが...
No.43
- 回答日時:
>つまりあなたは永遠に生き続けなければ気がすまないのですか.
そもそも最初から「気がすまない」などと言っていないし、「選択肢の中から選べ」というから「選んだ」だけなので...
>この世のもの全てに永遠なるものなど存在しないというのに、永遠を望んでいる.
この世界で変わらない真理は 変化し続ける ということでしょう。
変化し続ける存在は永遠である というのは自明ではないか?
>あ~何ということか、その途方もなく貪欲な感覚が諸悪の根源であるということを理解していない
この世の肉体であれ あの世の魂であれ 「自殺は望まない」と言うのが「貪欲」であるという質問者の感性がわかりません。
虚無主義者から見れば「相対的に」そのように見えるのかもね。
いずれにせよ「諸悪の根源」は、無知、頑迷、卑怯、傲慢 でしょう。
このような問題は歴史を振り返れば分かること、自明なことです.
人類が過去において、天国だの地獄だの永遠なる生だのと、このようなものを利用して以下に多くの悪事を働いてきたか、いかに多くの人間が命を失ってきたか歴史を振り返れば明らかなことです.
中世ヨーロッパであれ、インド・アラビア諸国であれ、インカ帝国であれ、また日本であれ、この地球上のありとあらゆる場所においてこのようなものが過去にいかに多くの災いを生み出してきたか、その歴史的事実を知らないのですかあなたは.
No.42
- 回答日時:
>私が問うているのは、宗教の問題について、とりわけ人が考える天国、地獄という概念に関連し、あなたが死んだ後のことについて、「仮に選択権があればと」問うたのです
そうだとしても、「消滅は選ばない」と言ったことに変わりありません。
前回の回答で なんら問題はないでしょう。
「人間性」ですか、もう既にそんなことは問題としてはいませんのでご心配なく。
あと、文章の最後に。や.などの句読点をつけたほうが良いでしょう。シマウマや宇宙や自然と 同体、同一になってしまいますよ。
つまりあなたは永遠に生き続けなければ気がすまないのですか.
この世のもの全てに永遠なるものなど存在しないというのに、永遠を望んでいる.
その感覚が私には理解できない、その途方もなく貪欲な感覚が私には理解できない.
あ~何ということか、その途方もなく貪欲な感覚が諸悪の根源であるということを理解していない
No.41
- 回答日時:
もし、新たな宗教を興したいと思っておられるのでしたら、カート・ヴォネガットの「ボコノン教」や、ボビー・ヘンダーソンの「空飛ぶスパゲッティモンスター教」も参考にしてください。
http://bokonon.gozaru.jp/wboko.html
>>>
「わたしがこれから語ろうとするさまざまな真実の事柄は、みんなまっ赤な嘘である」
「馬鹿なことはやめろ!すぐこの本を閉じるのだ!<フォーマ>しか書いてないんだぞ!」
「<フォーマ>を生きるよるべとしなさい。それはあなたを、勇敢で、親切で、健康で、幸福な人間にする」
<<<
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E9%A3%9B% …
>>>
2005年にカンザス州教育委員会では、公教育において進化論と同様にインテリジェント・デザイン(ID説)の立場も教えなければいけないという決議が評決されることになっていた。前年の教育委員の改選で委員6人中4人を宗教保守派が占めており、可決は確実と見られていた。これに抗議するために、2005年6月、ボビー・ヘンダーソンは公開質問状を提出した。ヘンダーソンは自分のサイト「venganza.org(スペイン語で復讐の意味)」において空飛ぶスパゲッティ・モンスターの概略を示して、明らかな証拠や、それに基づいて進化を説明できる十分な論理性整合性があると論じ、創造論の一部として「空飛ぶスパゲッティ・モンスター」を進化論やID説と同様に公立高校で教えることを公開質問状において提案した。
“ 私は国中の、そしていつかは世界中の科学の時間にこの三つの理論がどれも等しく教えられるのを楽しみにできると思います。三分の一はインテリジェントデザインのため、三分の一はスパゲッティモンスター教のため、三分の一は圧倒的な量の観察可能な証拠に基づく論理的推論のため[1] ”
そしてもしこれが受け入れられないようなら法的手段をとると教育委員会に警告した。
<<<
>カート・ヴォネガットの「ボコノン教」や、ボビー・ヘンダーソンの「空飛ぶスパゲッティモンスター教」も参考にしてください。
分かりました。参考にしましょう
どう間違っても5大宗教よりはましなものになるはずです
No.40
- 回答日時:
No.5 & 19 & 24 & 28 & 37 です
>>> 37 補足欄
1.宗教を含め物事は全て弁証法的に変化発展してゆくべきであり、これには5大宗教も例外ではないと考えますがどうでしょう
2.もともと宗教は原始宗教(自然宗教)から始まり、人工宗教つまり世界5大宗教のようなものに変わりましたが、これを進歩と考えますかそれとも退歩と捉えますか
3.また人工宗教は人類文明の必然と考えますか、そして必要なものと捉えますか
<<<
哲学ないし哲学的な思索において、「ゆくべき」とかいった考え方、「進化ないし退化」の二分法的な考え方、「必然・必要」とかいった考え方はいかがなものでしょうか?
というより、そういった方向性の決定こそが「宗教的」なのかもしれません。。。
シマウマにしても、人間にしても、「全体の部分」でしかない。。。
部分が「全体」を捕らえようとするとき、どうしても歪みが生じてしまう。。。その歪みを認識し、かつ、一定の方向性を「とるべき」とか、「どちらかを選択しなければならない」とか、「歪みを消去する必要がある」とかいった概念が生まれるならば、そこに宗教が発生するのでしょう。。。
>>> No.37 お礼欄
私は宗教について考えるうちに、結局のところ究極の宗教は自分で作る以外にない、と結論しました
そして「人の道」-我々の宗教に至ったのです
この点についてどうでしょう
<<<
宗教には、(ある特定の方向を)「信ずる」ということが根底にあります。宗教は概念(知として切り離しうるもの)であり、「信ずる」主体が求めようとする方向性(情・意)の途中に、たまたま該当する宗教概念(知)がぶつかったとき(しっくりと来たとき)、「信ずるに値する」と仮想的・幻想的に思い込んでしまうのでしょう。。。「宗教」は(幻想的・仮想的に)共有可能な概念になる(すなわち、おっしゃるところの『我々の宗教』と言いうる)のでしょう。。。
したがって、「個々に異なる・【信ずる】」があったとしても、それは「個」と「全体」から切り離されるものではないため、いわゆる(幻想的に)共有可能な「宗教」とは『ずれている』様に思われます。
ライオンに捕まる前のシマウマと、ライオンに捕まった直後のシマウマと、ライオンに食い殺される直前のシマウマとでは、想いが異なっている可能性もあります。「信ずる」ところが「全体」との関係において動的に変遷することでしょう。。。
すなわち、「我々の」といった共有可能性は、真に幻想的だということであり、かつ、幻想的だからこそ宗教なのかもしれません。。。
>哲学ないし哲学的な思索において、「ゆくべき」とかいった考え方、「進化ないし退化」の二分法的な考え方、「必然・必要」とかいった考え方はいかがなものでしょうか?
分かりました
なるほどあなたは問いをかわすのが旨いですね、感心しました
私も困ったときはこれを使おうと決めました
No.38
- 回答日時:
宗教とはなにか、と考えた時2つの性格に集約できると思えます。
ひとつは自然崇拝(アニミズム)に代表される自然讃歌。
農耕であれ狩猟文化であれ、自然への怖れと尊敬が宗教の原始となったのは間違いではないでしょう。
もうひとつは支配の道具としての宗教。
具体的に何教とはいいませんが、神様自身への崇拝よりもその代理人への服従を求める様な宗教が存在します。権力者にとっては都合のいい方便として使われた側面も否定できません。
この二つから動物に宗教はない、と考えます。
動物世界にも集団という組織はあり、リーダー(群れのボス)も存在しますがそれは実力をもって率いているのであり、論理や弁舌をもって従えているわけではありません。
また、自然崇拝という事については彼ら自身が自然の一部であり、崇拝される側といえるでしょう。
人はパンのみにて生きるに非ず、と言いますが人が欲したパン以外の物とは、仕事であり、趣味であり、恋愛であり、生きると云う事自体に意味を求める哲学的なものだったと言えるでしょう。
それだけでは満足できない人々が求めたものが宗教だったと言えるのではないでしょうか。
ならば宗教とは人間のみが弄べる最高の道楽であり、人間以外には必要ですらないものだとも言えます。
動物の行動に意味を見出そうとするのは人間であるからであって、動物の方は自然の摂理をあるがままに受け入れて、疑問を抱いてはいないでしょう。
もし草食動物が肉食動物に喰われる不条理に嘆いているとしたら、いつまでも喰われる側に甘んじてはいないのでは?
元は猿でしかなく、牙も爪も持たない人間があらゆる動物を超越した存在(優れているとか、偉いとかではなく特異な別格として)へと進化したのはこの違いがあったからではないかと思います。
>この二つから動物に宗教はない、と考えます。
シマウマが、宇宙について思索し、宇宙の起源について完全に理解し、満足したと考えることを、それはあり得ないと証明できるのですか
証明できなければ、それは単なる想定もしくは願望にすぎないのでありませんか
No.37
- 回答日時:
No.5 & 19 & 24 & 28です
>>> No.28 お礼欄
ところで、シマウマが宇宙について考え宗教家になると何か面白くないことでもありますかね
どうも世の中にはこれだと不満な人がいるようなのですが
わたしは、シマウマが宗教家になったほうが世界は豊かになり面白いとおもうのですがちがいますかね
<<<
「面白い」とか「面白くない」とかいった視点からみるのもひとつの見方だと思います。
まさに、No.24にて記載させていただいたように
>>>
そうですね。。。
最後には、看取るものの「情」が「死に行くもの」にて反映されるということになるのでしょうね。。。
<<<
ということですね。。。
あと、(形而上学的ないし)不可知な対象について「一つの見方のみが正しく、他の見方は間違っている」といった考えに陥るのも良くないでしょうね。。。
少なくとも、ブッダの思想を越えることはできない。。。
>>> 「ブッダのことば(スッタニパータ)」、岩波文庫、中村 元 訳
878 (世の学者たちは)めいめいの見解に固執して、互いに異なった執見をいだいて争い、(みずから真理への)熟達者であると称して、さまざまに論ずる。──「このように知る人は真理を知っている。これを非難する人はまだ不完全な人である」と。
879 かれらはこのように異なった執見をいだいて論争し、「論敵は愚者であって、真理に達した人でない」と言う。これらの人々はみな「自分こそ真理に達した人である」と語っているが、これらのうちで、どの説が真理なのであろうか?
880 もしも論敵の教えを承認しない人が愚者であって、低級な者であって、智慧の劣った者であるならば、これらの人々はすべて(各自の)偏見を固執しているのであるから、かれらはすべて愚者であり、ごく智慧の劣った者であるということになる。
881 またもし自分の見解によって清らかとなり、自分の見解によって、真理に達した人、聡明な人となるのであるのならば、かれらのうちには知性のない者はだれもいないことになる。かれらの見解は(その点で)等しく完全であるから。
882 諸々の愚者が相互に他人に対していうことばを聞いて、わたくしは「これは真実である」とは説かない。かれらは各自の見解を真実であるとみなしたのだ。それ故にかれらは他人を「愚者」であると決めつけるのである。
883 或る人々が「真理である、真実である」と言うところのその(見解)をば、他の人々が「虚偽である、虚妄である」と言う。このようにかれらは異なった執見をいだいて論争する。何故に諸々の<道の人>は同一の事をを語らないのであろうか?
884 真実は一つであって、第二のものは存在しない。その(真理)を知った人は、争うことがない。かれらはめいめい異なった真理をほめたたえあっている。それ故にもろもろの<道の人>は同一の事を語らないのである。
885 みずから真理に達した人であると自称して語る論者たちは、何故に種々異なった真理を説くのであろうか? かれは多くの種々異なった真理を(他人から)聞いたのであるか? あるいはまたかれらは自分の思索に従っているのであろうか?
886 世の中には、多くの異なった真理が永久に存在しているのではない。ただ永久のものだと想像しているだけである。かれらは、諸々の偏見にもとづいて思索考研を行って、「(わが説は)真理である」「(他人の説は)虚妄である」と二つのことを説いているのである。
887 偏見や伝承の学問や戒律や誓いや思想や、これらに依存して(他の説を)蔑視し、(自己の学説の)断定的結論に立って喜びながら、「反対者は愚人である、無能な奴だ」という。
888 反対者を(愚者)であると見なすとともに、自己を<真理に達した人>であるという。かれはみずから自分を<真理に達した人>であると称しながら、他人を蔑視し、そのように語る。
889 かれは過った妄見を以てみたされ、驕慢によって狂い、自分は完全なものであると思いなし、みずからの心のうちでは自分を賢者だと自認している。かれのその見解は、(かれによれば)そのように完全なものだからである。
890 もしも、他人が自分を(「愚劣だ」と)呼ぶが故に、愚劣となるのであれば、その(呼ぶ人)自身は(相手と)ともに愚劣な者となる。また、もしも自分でヴェーダの達人・賢者と称しているのであれば、諸々の、<道の人>のうちには愚者は一人も存在しないことになる。
891 「この(わが説)以外の他の教えを宣説する人々は、清浄に背き、<不完全な人>である」と、一般の諸々の異説の徒はこのようにさまざまに説く。かれは自己の偏見に耽溺して汚れに染まっているからである。
892 ここ(わが説)にのみ清浄があると説き、他の諸々の教えには清浄がないと言う。このように一般の諸々の異説の徒はさまざまに執著し、かの自分の道を堅くまもって論ずる。
893 自分の道を堅くたもって論じているが、ここに他の何びとを愚者であると見ることができようぞ。他(の説)を、「愚者である」、「不浄の教えである」、と説くならば、かれはみずから確執をもたらすであろう。
894 一方的に決定した立場に立ってみずから考え量りつつ、さらにかれは世の中で論争をなすに至る。一切の(哲学的)断定を捨てたならば、人は世の中で確執を起こすことがない。
<<<
この回答への補足
毎回々々示唆に富む回答頂き、有難くおもいます
k_jinenさんに次のことを問うてみたいのですが、
1.宗教を含め物事は全て弁証法的に変化発展してゆくべきであり、これには5大宗教も例外ではないと考えますがどうでしょう
2.もともと宗教は原始宗教(自然宗教)から始まり、人工宗教つまり世界5大宗教のようなものに変わりましたが、これを進歩と考えますかそれとも退歩と捉えますか
3.また人工宗教は人類文明の必然と考えますか、そして必要なものと捉えますか
私は宗教について考えるうちに、結局のところ究極の宗教は自分で作る以外にない、と結論しました
そして「人の道」-我々の宗教に至ったのです
この点についてどうでしょう
No.36
- 回答日時:
シマウマが人間よりも自然と近い位置に在り、自然一体であるとすれば本能的に感知・察知する能力は ―漠然と とはいえ―上かもしれないですね。
広く浅く。人間は自然から遠い。そして 動植物より自我が強いから、本能的に感知する本能や能力が弱くて、生命エネルギー的にも弱い。だから創造・変化生成する能力がある(備えるようになる)とも言えますね。
シマウマをはじめとする動植物は宇宙・自然を維持し、
人間は 宇宙を創造・破壊する役割を持っているということにもなります。
植物が酸素を生み出し、人間が二酸化炭素を生み出すように。
それから、その人全体を知らないのに一部の文章だけで「人間性」を判断する人に対して 人間性を疑う。とも言えますね。
あなたは少し読み違いをしています。私はこの問いの中に「死」という語を1つも出していない
私は今生きるべきか死ぬべきかなどと恐れ多いことを問うているのではありません。あなたは今一生懸命生きなければなんらない、これは当たり前のことです
私が問うているのは、宗教の問題について、とりわけ人が考える天国、地獄という概念に関連し、あなたが死んだ後のことについて、「仮に選択権があればと」問うたのです
そしてシマウマは宇宙について思索するうちに、この問いについてはっきりと答えを見出し、そして満足した、といったのです
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