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モラロジーは宗教?
教えて下さい。

モラロジーの詳細は下記参照して下さい。
http://www.moralogy.or.jp/nenji/index04.html

形式的に・・文部科学省所管の社会教育関係団体として、1926(大正15年)法学博士・廣池千九郎によって創立されました。

実質的には宗教ではないかと思いますが・・

A 回答 (16件中1~10件)

モラロジー、モラロジー協議会やめら連、阿呆連には民法715条使用者責任も加味し、その配下には民法709条不法行為等を加して完全摘発

、撲滅運動をすべきです
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モラロジー、やめら連、阿波踊り振興協会阿呆連は一心同体で異端邪説です

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モラロジー関係者は悪逆無道です!そして悪因悪果をたどる事になります!モラロジー撲滅運動したら良い結果に繋がります

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私は今から三年前にモラロジーに関与しているやめら連と阿呆連により重度なPTSDの症状が出ていました!関わるのは絶対NGの危険団体で

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宗教です!そして関われば殺されますよ!

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宗教です!

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これは本元が丁寧に結論を出してくださっています。



ここに、モラロジーが教典としている創始者の論文を掲載しているページがあります。
http://www.dab.hi-ho.ne.jp/s-kunita/ronbun/tuika …

ここにはモラロジーと宗教の違いが書いてあるのですが、その違いを読んで下されば宗教なのかどうなのかはっきりすると思います。
抜粋とともに、私の主観を下に付随させていただきます。番号が括弧されて先頭にあるのが抜粋です。


(一)宗教はいずれもある一つの聖人の名を冠してそれより流れ出《い》でたようにいたしてあれど、その聖人の教えの一部分を教理《ドグマ》とするにすぎず。
すなわち宗教はある一つの聖人の教説中のある若干の経典を根拠とし、その偏狭なる一部分的の教理をもって全体の人間を救済せんとするが故に無理を含む。

モラロジーは廣池千九郎によって書かれた論文のみを最上の教理として、それを熟読し正しい理解をすることを求めます。論文が教典であるかどうかは見方によるでしょう。また、団体は廣池千九郎を聖人と位置づけているようです。残された団体がその廣池千九郎という一聖人の論文を持ってして全体の人間を救済せんとしているかどうかは、一般人にとって吟味する余地があるのではないでしょうか。


 (二)宗教は必ず本山とか本部とかいうものありて、ここより信者の家に祭る神仏の像《ぞう》とか名号《みょうごう》とかを下付するを必然的慣例となしておるのである。  モラロジーは元来宗教ではなくして、その研究法は科学的であり、その実質は聖人正統の最高道徳であり、しこうしてその普及法は純教育的でありますから、特に有形物を祀《まつ》ってこれを崇拝さするようなことはせぬのであります。

モラロジーには千葉県柏市に本部というものがあり、そこには廣池千九郎の銅像や一族の銅像があるみたいです。会員は格言等を書いた掛け軸やカレンダーを購入することができ、本部はそれを奨励しているようです。


(三)宗教は主として自己の伝統を尊び、他の国家伝統・家の伝統・生活伝統を次となし、もしくはこれを無視す。
故に古来東西ともにその本山はもちろん、信者個人も国家とか父母などと衝突す。
モラロジー及び最高道徳にては国の伝統・家の伝統及び生活の伝統を尊重することを教うるを目的とす。

実は私の知り合いに親がモラロジーをやっている子がいました。組織の人間は家族そっちのけだったりします。中高一貫校をつくり、中学から親元から引き離して寮生活をさせるといった教育で果たして家族の生活はどうなるのでしょうか。両親が子どもに会いにいっても、規則だからと言って両親の泊まる旅館に一緒に泊まらせてもらえないこともあったようです。モラロジーは組織よりも会員の家族の生活を尊重するから、宗教ではないと創始者は言いますが、どうでしょうか。


(四)宗教は神仏を信ぜさせ、これに依頼させて幸福を求めしむるにあり。
故に一般人を眩惑《げんわく》するために形式すなわち殿堂を広大にし、儀式を荘厳《そうごん》にすることに力を尽くす。
 モラロジー及び最高道徳は人間をして神仏の本質に同化せしめて最高道徳を実行せしむるにあり。

最近70周年だといって寄付金を募って本部に建物をたてたりしているみたいです。そもそも、敷地がかなり広大です。神仏の本質に人間を同化させることと、神仏を信じさせることがどう違うのか私にはよく理解できません。すくなくとも神仏の本質が何かを知るということは、その存在もしくは概念を認めなければ(信じなければ)できないのではないのでしょうか。あるいは、それが人間が想像しうる限界の理想というものであれば、その概念は誰が提唱したものなのでしょうか。少なくとも廣池千九郎が言う神の概念を共有しなければならなそうです。この神の概念を共有するプロセスを、信じると呼ぶかどうかは人それぞれなんですかね。


(五)宗教はその祖師はとにかくとして、今日の宗教家は自己の品性完成を措《さしお》きて顧みず。
しこうして他人を救済するという名義の下に自己の団体を繁栄せしめんとして努力しておるのである。

本当かどうかはさておき、こんなものがありましたhttp://desktop2ch.net/psy/1268028805/
また、知り合いの様子を見ていると、「他人を救済するという名義の下に自己の団体を繁栄せしめんとして努力しておるのである」という姿勢をこの組織の中に見ないことは難しいですね。実際はそうではないと言われるかもしれませんが、私にはそう見える、ということですので、誤解なく。


(七)宗教はその信仰の進んだものは寺院とか教会とかいうものを造って、これによって衣食住の生活を営むようになるので、ついにその信仰は一つの職業的となるので信仰の生命を失い、弊害百出するに至るのである。
 モラロジー及び最高道徳にては各人みなおのおの家業とか職業とかを持ちながら、自分の安心且つ幸福になった報恩として、自己の体得せるところの最高道徳を他人の心に移植してこれを開発もしくは救済せんとするのです。

うーん。結局モラロジーで学校だとか、事務所とか本部を作る、運営するってことは組織の中の人を増やすことですよね。どんな団体でもそういうのはあるから多少はしょうがないですが、ならば、モラロジーが宗教ではないと仮定してモラロジーと関わるにしても、職業的信仰となった人からは、モラロジーは教えてもらったりしない方がよさそうですね。弊害百出ですから。これはある意味ジレンマですね。団体で働き生活を営んでいる方、つまりはそこの教師や講師からはモラロジーに関する何も教えてもらわない方が良いです。創始者自身が、そういうのは「ついには害百出するに至るのである。」 と断言しているのですから。


まだまだこの後、モラロジーと宗教の違いが語られています。ここに紹介してみたものは、抜粋ですし、省いたものもあるのでフェアではありません。また、私の意見には特に科学的かつ学問的な裏付けもない主観が大いに混ざっていますから、どうか各自がご自身でお調べになり、神に与えられた聡明な知性を駆使して判断して下さることを願います。

しかし、こうなるとどこの宗教の創始者というものも気の毒になりますね。キリストもきっと、自分が言った言葉でこんなに人が苦しんだり、人が殺されるなど思いもしなかったのじゃないですか。まぁ、どんな崇高な目的をもった組織にも光と影があるのはしょうがないですよ。組織になる以上。

あとは皆様が幸せに生きられるよう、例えそれが自ら宗教と名乗っていなくとも、生き方を任せることになるならば、各人でしっかりと判断するしかないのではないでしょうか。何時の世にも人の悩みと、こういったものは絶えないのですから。


最後に、ダックテストというものを紹介して終わりましょう。

 ー ある鳥が鴨のように見え、鴨のように泳ぎ、鴨のように鳴くならば、それはたぶん鴨である。
  
 
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モラロジーは宗教でも、新興宗教でもありません。



Ano.8の方が書かれていますが、
「宗教(しゅうきょう)とは、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念」これにあてはまりません。
モラロジーは、「人間や自然の力を超えた存在を中心とする観念」とは無縁です。むしろ、人の力や、自然の力を最大限活かし、自分達が人としてできる「心の持ち方」を個々が考える為の学問。つまり、

モラロジーとは、簡単にいえば道徳を勉強する学問です。

モラロジーを最初に広めた広池先生は、確かに天理教もしていらっしゃいました。そのせいか、「宗教出身者=宗教家」というイメージが根強いですが、昔の人にしては珍しく。ひとつの宗教にこだわらす。キリスト教、仏教、神道、沢山の宗教を勉強し、そのなかの宗教的作法、概念は省き、良い教えだけをとりいれ、大勢の人に勉強する機会を与えて下さいました。

「道徳」の授業には、答えがありません。
「自分の人生は、自分持ち。」なので、一般的な宗教の様に、物や誰かにすがることを良しとしません。
モラロジーとは、学問ですから、数学の学者さんや、医学の学者さん達と同じで、学ぶべき人が、長年モラロジーと携わっている人でも、人物的に優れているとは限りません。
他の学者さん達でも同じ様に、年端もいかないのに各界に天才的人物がいるように、何年やっていても、「まだまだ」の方もいます。

モラロジーの説明をしてください。というと、勉強した人であればあるほど、「広池先生の論文を読んで下さい。」「一言では説明できません」とおっしゃいます。
モラロジーが、最高道徳とか、生涯学習といわれるのは、(色々な事を考える機会を作るために)道徳は子供の為の学問だけじゃないですよ。大人になってもするんですよというので、ちょっとかっこうをつけて最高と言っただけで、一生涯学習するから、生涯学習だと理解してもらえると、宗教には全く関係ない事がわかります。

ですから、付属の学校でも宗教的な儀式などはありません。
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ウィキには


>宗教(しゅうきょう)とは、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり、また、その観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99

とありますので宗教にあたるかと思います。
悪いことをしたらいつか必ず自分に返ってくるといった因果応報の教えなんかありますので。
宗教ではないと考える人がいたらその人の定義が違うのでしょう。

蛇足ながら個人的には悪い宗教ではないと思います。
金は使わずに付き合い程度になら参加していいと思っています。
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 ↓追加して述べさせていただきます。

このようなセミナーはほどほどのところである程度の一線を引いて置いたほうが無難かと思われます。私がここまで痛烈に批判するのは、のめり込みすぎたことで、親戚同志のつながりの崩壊と隣人が巻き起こした数々のトラブルに巻き込まれたことにより、生涯学習などといって人を振り回すというやり方に物凄く激怒しているからです。
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