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もしもヒトラーの干渉が無く、マンシュタイン元帥に兵站を含めた東部戦線の全権を与えていたら独ソ戦はもう少し違った展開となっていたのではないでしょうか?
皆さんのご意見をお聞かせください。

A 回答 (5件)

No.2です


敗戦国の勝利を予想するのは難しいのですが可能性は有ったと考えます
ポーランド戦やフランス戦は数週間の予定で計画され勝利しています
バルバロッサ作戦も予定通り6週間で勝利していたなら後の展開は違ったでしょう
ドイツ電撃戦は長期戦を全く想定していません 全て数週間です
42年を過ぎ戦時体制が整って来たソ連には体力負けします
後は誰がやっても大差無いと言うのは他の回答者と同じです
ヒトラーは身近な人間に言ってます「55歳や60歳で戦争したくない50歳迄に始めたい」と 最後の映像は廃人同然です あれではまともな判断は出来ません 薬品の副作用で中枢部が侵されています 宿命を知ってかどうか
戦争を急ぎました  マンシュタインが本当に力を発揮出来るのは独ソ戦初期なのです 内なる敵ヒトラーとの対決が困難だったのです
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マンシュタインがその名を世間に知られるようになったのが対フランス戦におけるアルデンヌ突破作戦ですが、そもそものきっかけは作戦計画書を持った将校を乗せた飛行機がフランス領内で墜落し、それまでの作戦計画が英仏側に知られた可能性が出てきたことでした。


それでマンシュタインがアルデンヌ突破作戦を上梓するのですが、それが採用されたのはひとえに「ヒトラーの干渉があったから」です。ヒトラーが「これでやる!」と言い出したので採用となりました。#1さんがおっしゃるのはそういうことです。

その後北方軍集団で指揮をしたりセバストポリ要塞攻略戦で優れた指導力を発揮するのですが、有名なのはスターリングラードで包囲された第六軍を救出する冬の嵐作戦ですが、このときにはマンシュタイン将軍は第六軍に対し全ての装備を捨てて身ひとつで脱出するようにいっていましたので、もし仮に作戦が成功したとしても独軍が失った膨大な装備・兵力は失われたことには変わりがなかったでしょう。
そしてその後の第三次ハリコフ戦におけるバックハンドブロウがマンシュタインの白眉ともいえるものでしたが、しかしこの戦いになっていた頃には基本的に独軍がどう作戦レベルで勝利を収めたとしても戦争の流れ全体を押しとどめることはもう不可能でした。なんとなれば、独ソ戦は42年の冬までスターリンが耐えた時点でもうドイツに勝利の目はなくなっていたといってもいいでしょう。

確かに展開は多少は違っていたでしょう。しかし、1944年にはノルマンディー作戦で連合軍が上陸し、どのみち連合軍がベルリンに迫ったと思います。つまり、東ドイツと西ドイツの国の大きさに違いがあったかもしれないですが、結果そのものは変わっていなかったと思います。そして、もしマンシュタイン将軍がどこまでも粘り強く抵抗したならば、それはドイツとロシアの国民にとって、あのつらい戦争がさらに長く続いていただろうということに他なりません。
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もう少し違った展開とはどんな展開かは知りませんが大きな違いは無いでしょう。


マンシュタインがそんなに素晴らしいかは別にしても、誰がどうやろうとも東部戦線はいずれ破綻します。
42年冬のウラヌス作戦であれほどの大兵力をソ連が準備できたように、もうソ連は結構立ち直っちゃってます。

ソ連を倒すにはドイツの国力が貧弱過ぎますし、「質」(質って表現は曖昧過ぎて私は好きじゃありませんが)がドイツがソ連より良いとは言えるかどうかも怪しいでしょう。
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可能性有りです


ヒトラーは睡眠薬等の薬の多用で判断カに蔭りが生じ始めています
後年の研究では何度かのミスで勝利を失ったと言われています
ソ連が崩壊すれば太平洋戦域も影響したしょう
42年頃までは欧州でドイツに対抗出来る国は無かったと思います
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ヒトラーの干渉がないと、マンシュタインの立案した対フランス攻勢計画が陸軍参謀本部に裁可されません。

独ソ戦以前の問題です。

それゆえ、独ソ戦はちがった結果となるでしょう。
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