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どうして日本人は新撰組が好きなのでしょうか?
幕末の日本の進んだ道は幕府を倒し、政権を天皇に戻し、開国・近代化でした。
その意味で新撰組は歴史に全く貢献していないし、むしろマイナスの存在であったと思います。
一番評価すべきは勝海舟や坂本龍馬みたいな人達であるべきなのに、新撰組がこれほど高い評価と人気を得ているのはなぜでしょう?

A 回答 (9件)

なかなか面白い問題提起ですね。

たしかに最近、「新撰組」ブームがあり昨日はSMAPの鹿取慎吾君が特集をおこなっていました。また、日野市では土方歳三の出身地、ということで盛り上がっているようです。はっきりとした回答にはならないかもしれませんが自分なりに考えてみました。
まず、私自身の彼らに対する評価はどうかというと、厳しいものがあります。かれらがなぜあれほどまで、幕府側に徹したかというと、彼らのなかで幕府は「絶対」だったからです。なぜ、絶対かというと近藤、土方など幹部連中の出身は武蔵など「幕府領の半農の身分」が多く「幕府」というだけで恐れ入るところがあったからです。だから、前の方が言っているとおり、品性の欠如は確実だったと思われます。また、幕末モノの著書を多く残している司馬遼太郎氏でさえ新撰組は京の民衆の人気は全くなかった、と書いています。むしろ、恐怖の対象となっていた、というのが正確だと思います。
だから、近藤にしても最後は新政府に対して恭順の態度を示したにもかかわらず、彼ら新撰組だけは明治政府も容赦しなかったようです。また、新撰組のホストとなった会津藩も散々な目にあっています。このことは最後、函館戦争で反抗した榎本武揚が後に許されることを比較してみると分かりやすいと思います。
だから、当時かれらは全く人気がなかった、という認識はもたれたほうがよいと思います。
しかしながら、平成の今、彼らに人気があるのは間違いないことですからそれを自分なりに分析してみるとどうも「彼らの一途なところ」がその人気のもとになっているようです。それが今の日本にはなくなっているように思えるのでしょう。
しかしかれらがやったことは殺人につぐ殺人であったこと、しかもその対象としたのが本来日本の発展に寄与したはずの方も含まれていたのも事実です。
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少なくとも昔の京都では人気がなかったはずですよ。

強いという評価の半面、人斬りの集団でもあったし、所詮は浪人の集まりでしたから。品性がないと思われる者は京都では嫌われますから。
坂本龍馬以上に新選組が評価されているとは思いません。人気は確かに最近出ていますが、一過性のものですから。私などは幕府に何を義理立てして死なないといけなかったのかと気の毒には思います。マイナスの存在というのがわかりません。幕府という古いものが倒れる際、新選組がその古いものとして倒れ、新しい時代が開かれたのですから。倒されることに意味があったとは思いませんけれど・・・。それに一部の人間が歴史を動かしたとは思えません。そのときの時代、空気が坂本龍馬達を後押ししたのは事実で、陽があたる場所にいた者だけが偉いのでもなんでもないでしょう。現に坂本龍馬が死んだ後も近代化が阻害されたようにも思いません。
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つまり人気はあるけど歴史的評価はされてないって事じゃないでしょうか?武蔵と同様。

キャラがいいんですよね。それと、なんといっても剣士ですからアクションシーンが盛りだくさん。エンターテインメントの映画やドラマには不可欠です。近藤と土方と沖田はさしづめオビ・ワンとハン・ソロとルークといったところ。
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徳川三百年の平和があった。

戦が無かったのだ。国民は平和ボケしていた。その時ちょうど諸外国は日本を植民地にしたかった。代表的なのが、黒舟である。きずかないうちに、外部からの侵入者が日本を乗っ取ろう勢いであった。血気果敢な若者が危機を感じ幕府に意見具しし。戦を依頼した。すでに、わが国自身統一されているので、武力は必要無かったのである。戦う必要性がない。したがって、武力に関しては、機能してなかったのであろう。納得しない若者たちは、幕府を倒し、新政権・・国家を守るために命を惜しまず、働いてくれる民より募集したのが、新撰組である。
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滅んだから同情されているんでしょう。


2枚目だったといわれている人間もいるし、女のこにウケる。

歴史上必要だったとかいうのは、ただの警察組織だったから、どっちでもいいなぁ。所詮は雑魚の集まり。
雑魚でも警察だから大物を斬り殺す。
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新撰組が大好きなものです。



さて、新撰組の人気についてですが、新撰組は旧体制(徳川幕府)の警察みたいなものなのですから、当然、新体制の側からみれば新しい体制への改革を邪魔するものとしてマイナスの存在だと思います。
ただ、これは結果論であり当時の新撰組は、少なくとも近藤勇は心底から徳川幕府のためを思って働いていたと思いますし、そこに人間的な魅力があり、惹かれるものがあるのだと思います。
なお、子母澤寛であるとか司馬遼太郎などが取り上げたこともこれほどの人気を得た大きな理由のひとつではないでしょうか。
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50代の男性ですが、私が子供の頃は逆に新撰組や近藤勇が常にマスコミに悪者扱いをされていましたので、子供心に近藤勇や他の新撰組のメンバーが大嫌いでした。


同じ切り口では大衆は喜ばない、だから“いまは”まだ未開拓の新撰組がヒーローにされているのだとおもいます。
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当時の志士らのやり方に問題があったからだと思います。

よく池田屋事件は維新を遅らせたと言われますが、私は逆にあの事件があったからこそ薩長同盟も結ばれ、維新が成功したと考えています。
天皇を拉致して長州に連れていくなんて事してたら幕府どころか薩摩も土佐も長州を完全に攻め滅ぼしていたことでしょう。
それに池田屋で密談してたような過激派志士達が京に野放しにされていたら、天誅と称する無意味な殺人が後を絶たず、有志もたくさん死んでしまっていたことでしょう。そうするとたぶん日本は清のように植民地となっていたことでしょう。
それらを阻止した新選組の功績は大きいと言えます。
歴史にまったく貢献していないと言い切る根拠はありませんしマイナスの存在であったと言い切ることもできません。
よく歴史好きの方が小説だけを読んで一方的な見方だけを信じてこういうこと言う人多いけど、そういう人ほど根拠がない。根拠を無理矢理にでも見つけるのが歴史研究なんですね。歴史研究のおもしろいところがそこ。

こういう私もたいした根拠を提示していない(笑)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
小説等のイメージだけで考えてはいけないんですね。

お礼日時:2003/06/01 12:42

キーワードは


・判官贔屓
・滅びの美学
だと思います。忠臣蔵もそうでしょ?強いものにはむかったものは「美談」になりやすいんです。そして負けて死んでいく(この場合は「散る」というきれいな言い方しますね)のも美談になりますね。

そういや源義経もそうですね。
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