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手が二本ありますか?一本しかない人もいます、不平等ですね。
目が見えますか?見えない人もいます、不平等ですね。
歩けますか?歩けない人もいます、不平等ですね。
金持ちな人がいれば、貧乏な人もいます、不平等ですね。
いじめられるひともいます、不平等ですね。
差別を受ける人もいます、不平等ですね。
自分の性格で苦しむ人もいます、不平等ですね。
・・・何故、世の中はこんなに不平等なのでしょうか?

A 回答 (18件中11~18件)

何故、運の強い人、弱い人がいるのか?


http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5514257.html

の、No.13の私の回答から引用します(少し修正しました)。

> 私が学生の頃、周囲ではいたずらに蟻を踏み潰したり、あるいは生きた蝶を動けなくして蟻の巣の穴の近くに置いたりと残酷な遊びで楽しんでいました(ちなみに自分はそうした行為に引いていたので加わりませんでしたが)。
> 蟻や蝶達は「運が悪い」とか「どうしてこうなるんだ」と思っていたに違いありません。
>
> しかし当の我々にとっては、虫達の運がどうのというよりも、人間が行ったただの事象に過ぎません。
> その事象に該当する虫達がいたかどうかです。
>
> これを神様視点で言い換え、例として落雷を考えれば、雷が落ちたという事象の範囲に人間がいたかどうか、という事になります。
> ここから言いたい事は、運命というのは一番基礎的な部分では単なる確率にすぎない、という事です。運命というのはその確率として言える事象に遭遇してしまった人の主観的な意見だというのが私の考えです。
>
> あるものごとを主観的に捉えるか客観的に捉えるかで運命か事象かという観点の違いなのですが、それでは神様ではない人間はそれにどう対処すれば良いのか、結論としては「人間が虫達に運命を辿るストーリーを用意していないのと同じに、神様は人間に運命を辿るストーリーを用意していない(大体60億人もいるのに面倒見切れないでしょう)、悲観も達成感も大局的に見れば本来は存在し得ず、運が良い悪いというのは人間の主観的な観測である。ならばその基準を人間で作ってしまって人間が勝手に達成すれば良いのではないか」と考えます。

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福沢諭吉の「学問のススメ」を読んで下さい。
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず、というが、世の中実はどうもそう言う風にできていない」
「本来なら人はその働きの高低に応じてそれなりの所得を得るべきである」
「ならば、よく働いて金を稼ぎ、然るべき所得を得るべきである」
「そして金を稼ぐためには実用的な勉強をすべきなのだ」
と学問の修得を勧めています。(そして実用的でない学問はするべきではないとバッサリ斬っています)。

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人は与えられた天命を全うすべきで、誰かの運命と比較する事など意味がありません。
自らに与えられた不利な武器で戦い、勝ち抜く事こそが一番良い人生なのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

詳しく解説してくださりありがとうございます。
参考にさせてもらいます。
与えられた天命を全うして生き抜いていきます。

お礼日時:2010/01/29 08:29

それは、あなたの偏見という事になります。

二本手が在る人と一本しか手が無い人を、あなたが不平等という色眼鏡で見ているだけです。例えば目の見える人と見えない人を比較した場合に、どちらが現在の環境を、或いは現在の自分を把握していると思いますか。

うがった見方をするならば、目の見えない人のほうが、遥かに「目明きの人」よりも、目の前の事が分かっているかも知れません。そのようにしないと生きてゆけないからです。或いは身体が、或いは精神的に目明きの人よりも敏感に成ったり、強くなっているかも知れません。

目が見えなくなったばかりの人は、確かにその運命を恨んだりするかもしれませんが、それも自分を受け入れるまでの事です。その事を受け入れたときから前向きになって生きてゆくはずです。その前向きになった姿には、目が見えるのか?見えないのかは問題としなくなると思うからです。

生きる事は、生きる事の意味を自分で作ってゆく事と言えます。その事に目覚めたなら、人間には、「不平等な世の中」と言っている暇がなくなります。この見解にになった時には人間の命は全てが愛しいものと思えます。命のある限り生き抜くと言う観点から言うならば、全てが平等と言ったら言い過ぎになるかも知れませんが、ほとんど近いものになっている気がします。その差は見ている人の認識の差と言えば言い過ぎになるでしょうか?
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この回答へのお礼

>命のある限り生き抜くと言う観点から言うならば、全てが平等と言ったら言い過ぎになるかも知れませんが、ほとんど近いものになっている気がします。
この文章を読んで私もそう思いました。良い回答をいただき、ありがとうございました。

お礼日時:2010/01/29 08:24

平等になると良いのだけれど。


人間は元来浅はかで利己的で人を差し置くことを承知で自分が助かろうとする輩も一杯いるし、脳の根幹は下等動物の部分が担っている。
つまり人間が平等を重んじるほどに智慧が発達していないから。
長らく生きてその価値を知ることが出来ても、生まれてくる子供はまた、比類なき1からの出発。
不平等の辟易をまず身に染みて感じないことには平等を希求する心に成り得ない。
つまり結論は、多くの人間の平均的価値がそこまで成長していないということ。
と思う。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。理解できました。

お礼日時:2010/01/29 08:19

今の宇宙ができたのはビッグバンによって始まったといわれています。


しかし、このビッグバンの元になったエネルギーの塊、ここにわずかなゆらぎ、不均一があったからビッグバンが起こったと考えられています。
もし、エネルギーの塊に不均一さが無かったら今の宇宙は生まれていないかもしれません。
ということは、最初っから不均一(=不平等)の元にこの宇宙は成り立っているとも言えます。
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この回答へのお礼

納得できました。回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/01/28 19:58

 


平等を作るのが、「不可能」だからじゃないでしょうか?

小学生を教室に入れれば、前に座る。後ろに座る。窓際に座る。
かならず、そういう人が生じます。
平等に、同じ場所には座れません。必ず、不平等が発生します。

「神」が、どんなに頑張っても、「平等」は作れませんね・・・・

「不平等」これが、「絶対真」と考えるしかないと思いますね。
 
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この回答へのお礼

よく分かりました。回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/01/28 19:57

平等である必要性がないからでは?

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2010/01/28 18:34

「不平等」というのは人間が作り出した概念です。


世界は人間以前に存在しているのですから、人間に都合よくできていないのは当然です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2010/01/28 18:34

意図がよくわかりません。


もし同情してほしいのなら哲学カテは不向きかと思います。

この世界は、何者かが平等な世界を意図して作ったのではなく、ただ単に物質が法則に従ってできた世界なのでです。
世界が均一にできていないので、生物も均一にはできていません。
不平等なのは当たり前です。
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この回答へのお礼

何故、世の中は不平等なのかを問いたかったのです。あたりまえだと聞いて納得しました。

お礼日時:2010/01/28 18:33

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