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品格って何ですか?

横綱に、品格を問える一般の人の感覚がわかりません。

おまえら、いえるの? やくみつる いえるの?

A 回答 (21件中1~10件)

実るほど首を垂れる稲穂かな。


特権的な地位を得れば、周りを見る余裕を持ち、尊敬される態度が要求されます。内面はともかく指導的な地位にある方はそれなりの体裁を保っていると思います。政界、財界に疑問符を持つ方もおられると思いますが、
相撲界は、実力がすべてで地位を得ます。金も裏も含めて莫大です。
が、角界はやはり宗教的な生い立ちがあり、スポーツであり、そのための指導を親方絶対の世界にしたのでしょう。教養よりまずけいこで、若い時から皆捨ててともかく強くなれで育ったせいでしょう。
国情も大きいと思います、強ければ絶対で大体とおる世界もあるでしょう。
が、日本は建前としては儒教思想から始まった国です。現在乱れてはいてもやはり、日本流の作法は守ってもらわなければ、本来親方に逆らったら最高位の力士でも廃業です。そこに異議を挟む余地はないはずです。民主主義はないのです。言う人が品位を言える人間かとの意見ですが、その資格はなくてもいいんでしょう。絶対の人間はいないのです。横綱と仰ぐには有名税を払ってもらいましょう。有名税が品格と思えば、親方の奥さんをなぐって人生を棒に振った横綱もいましたよ
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以前から竜虎に、最悪の横綱と言われるぐらいですから、


理由はあると思います。

出げいこで、プロレス技をかけて関取を病院送りにしたり、
インタビューの記者に悪態をついたり、嘘をついて
巡業をさぼって母国に帰国したり。
それで今回の事件。

普通にしていれば品格、品格と言われないはずです。
相撲は強かったのに残念ですが、言われても仕方がない
行状があったと思います。
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相撲に詳しいわけではないですが、横綱の締めるまわしはしめ縄と同じ意味をもつということを聞いたことがあります。


つまり、しめ縄の内側である横綱自身は神と同格だということですね。
そういう点では、「横綱の品格」と言われるのもある意味では仕方がないかと思います。
相撲ってもともと祭事ですし。
それを除いても、格闘技のプロの力で一般人を殴ること自体、問題があるとは思うのですが。
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あらら、ハワイに行っちゃったのね。


今まで世話になった御贔屓さん達には挨拶無し。

人間として最低の事が出来ないんじゃね。

品格以前の問題だね。人格を問う方がいいかもね。
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簡単に答えのでる質問です。


品格がないとして挙げられた行為をしないことが、
とりもなおさず品格なんです。
ガッツポーズをしないこと。
巡業をさぼってサッカーをしないこと。
審判の判定に疑問があっても、何食わぬ顔ですましていること。
泥酔してひとを殴らないこと。
相手力士を睨み付けないこと。
死んだ相手の止めをささないこと。
これでいいのですから、
横綱の品格を備えることはそう難しくなさそうですね。
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ご質問文に欠けている部分ですよ。



ご質問者さんが同じことを親や先生、上司に訊こうと思ったときに、この文章のままには訊けないでしょう。

匿名性がご質問者さんの品格を失わせているのは理解できます。
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語らない美徳


表情に出さない美徳
と同じだと思っています。

残念ながら、朝青龍の笑顔にはこの美徳が無かった。
どこか、ニヤニヤした嫌な印象のほうが強く、多数の人が感じていただろう「強さの上にあぐらをかいた状態」そのままだと。。。
言葉もそうです。重みが全く無く、横綱になろうがその辺のワカゾーと大して変りがない。うわべだけの言葉。引退会見もそう。

日本人…という違いを抜きにしても、貴乃花のほうが朝青龍の何百倍も品格があったと思います。
『表情に出さない美徳』の例外として、平成13年の5月場所の、対武蔵丸との優勝決定戦の直後に見せた「鬼の形相」とその表情を振り切るかのごとくの速い息遣い(表現微妙ですが)がありました。
たぶんユーテューブで検索できるんじゃないかな。
※小泉元首相の「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!!」の場所です。
これに比べたら、朝青龍は「ただ強いだけの横綱」でしかないと思いますよ。


横綱の品格なんて、一般人だから言えるんじゃない?
だって、一般人からどう見られているかが大事なわけでしょう?
やくみつるは、一般人からは好き嫌いがあるでしょうが、いい意味で一般人の言葉を代弁していると思う。

ということで、あなたの言う「おまえら」が誰を示しているのかわかりませんが、あなたよりは「言える」と思います。
理由はNo.11さんと同じです。

※あくまでアンケートだから、これらに対する反論などはしないでくださいね。
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これといった定義のない、他人を貶めるのに非常に有効な言葉。


それを言っておくと、「何と無く筋が通っているように感じる」ので、非常に便利なのです。
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品格ってゆーのはですねー、その人からにじみ出るもの、ですよー。


にじみ出るっていても、汗と違いますよー。
内面からにじみ出るもん、ですよー。

そしてねー。なにより重要なのはですねー。

「それは、自分自身に求めるものであって、決して他人に求めてはならないもの」なんですよー。「自分の内に秘めるものであって、外に向けて主張してはならないもの」なんですよー。

昔、そーゆーものはたくさんありましたねー。誇りとか。品格とか。魂とか。そーゆーものですねー。それは秘するが花であって、決して声高に主張してはならないもの、だったんですねー。

それがいつの頃からか、そーゆーものを言葉にしてあれこれ弄ぶのが当たり前になってしまったんですねー。品格とか誇りとかそーいったものを自ら「私ってば品格あるんです、そーゆー私ってばすてきなんです」なーんて臆面も無くくっちゃべったり、他人に対して「あなたってば品格がありませんことよおほほほほ」なーんてえらそーにいっちゃったりするよーになってしまったんですねー。

それが当たり前の時代になっちゃいましたから、自分で品格を主張したり、他人の品格の有無を指摘し攻撃したりってゆーのも、もー受け入れるしかないと思うんですよー。そーゆーふーに、品格ってのは手垢にまみれた存在に堕してしまったんですよー。かつてあった「品格」に相当する概念とは、似て非なるものになってしまった、と思うんですねー。かつての、誰もがわかっていながら誰も自ら口にはしなかった「品格」と、今の誰もが自らにあり相手にはないと口汚く主張する「品格」は、もー全く別のもの、と思うんですねー。

なので、同じ「品格」という言葉であってもですねー、その指し示すものは人によって違うと思うんですねー。かつての奥ゆかしき概念たる「品格」を思うか、今の口角沫を飛ばして主張する「品格」を思うか、その違いですねー。

私はその違いを探る手がかりの一つとして「品格という言葉を口の端にのぼらせることへの恥」の感覚があるかどうか、を見たいと思うんですねー。つまりは、「品格なんぞということを自ら口にして他人に主張することの恥ずかしさ、そういう自分を恥じる気持ち」があるか、ということですねー。

自らを主張する、ということは、本来、ものすごく恥ずかしい行為だったんですねー。日本においては、ですねー。それが欧米流の「自己主張」とやらがやってきて、いつの間にか「自己主張は正しいこと立派なこと」的なものに摩り替わってしまったんですねー。同時に、多くの概念が、昔とは異なるものに変容してしまったんですねー。

横綱の品格について自ら主張する。そのことの恥ずかしさ、そういう自分の心根の貧しさを認識しての発言なのか、それとも「そーゆー私ってばすごいでしょ」的に天として恥じない発言なのか、それを私は見たいですよー。本来、人々の心のなかに秘められていた概念を言葉として自己主張し他人に要求することの卑しさをこの人は自分で背負っているだろうか、とゆーことを考えてますよー。

少なくとも、私は、そーゆーことをすっかり忘れてえらそーに自己主張しちゃう、心貧しい人間ですねー。そーゆー恥ずかしい人間であることぐらいの自覚はありますよー。もーちょっと品格?のある人間になって、せめて「偉そうに他人に自己主張する自分という人間はなんという恥ずかしい奴なのか」という自覚ぐらいはもてるよーになりたいですよー。
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地位や名誉、つよい力を持つものは、それにふさわしい立ち居振る舞いが求められるということ。



たとえれば、武士は、その腰に二刀を帯びるがゆえ、一般大衆より高い倫理感や礼節を要求されるということ。

余談ですが、白鵬は「相撲取りの手は刀と同じだ」と先輩力士から教育されたそうです。
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