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(物理学に関しては小学生レベルです)

数十年前に書かれた宗教の本に、当時の物理学の最新のニュースとして下記のようなことが書かれていました。

(うる覚えで申し訳ありませんが)
水に炭酸ガスを入れても容積は増えない。それは水の分子の間に空間があって、その中に炭酸ガスが入るからだ。ではもっと密度の濃そうな、例えば金属のようなものは、分子と分子との間の空間が狭いのかというとそうでなく、例えば分子が星の大きさだとすると、天空の星と星との間くらいの巨大な空間がある。

この説明は、ある形而上学的なものを説明する為の例えとして書かれたものだったので、学問的な言葉の使い方は正確ではないかもしれませんが、概念としては正しいのでしょうか。

よろしくお願いいたします。

A 回答 (2件)

これは形而上学的な話ではなく、


科学的概念の問題だと思います。

この例えをもっと分りやすく説明できます。
ペットボトルの中に卓球の玉を入れるとします。
口まで一杯に卓球の玉を入れて、あと一つも入らない状態
を作ります。
次にその一杯になったペットボトルにBB弾を入れます。
そしたら、卓球の玉の間にBB弾が入り込みますよね。
量は増えないのにBB弾はどんどん入っていきます。
それが分子間の隙間に入ったということです。

実際に水とアルコールなどで簡単にこの現象を作ることができます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

説明下さった、卓球の玉とBB弾の例えですと、分子と分子の間は、星と星の間ほどは離れていないということなのですね。

お礼日時:2010/03/28 16:48

書かれていくことは、充填問題に関する内容で、


数学的には、17世紀にアイザック・ニュートンと
グレゴリーの間で議論された接吻数(キッス・ナンバー)
というもので、数学的議論のほうは、1つの円または
球の周りに、接した状態で最大何個の円または球が
並べられるかといったものでした。

 また、哲学ー宗教間の議論としては
「無」の存在に関する議論で、有名どころでは
同じく17世紀のデカルトとヴォルテールの議論が
あります。

 これはいわゆる古代ギリシャから続く
「原子論」と「無の存在」の話で、この世の物質が全て原子、
つまり球体の集まりだとすると、球体はどう並べても
必ず隙間ができ、その隙間は原子より小さいので
物質である原子あ入り込むことができない。
 つまりその隙間には、物質が全く存在しない
完全な「無」が存在しているという話なのですが、
古代ギリシャの哲学者たちは、「自然は完全な真空を
きらう」という表現で、「無」の存在を否定してたので
話が矛盾しているのでは・・・と言われていたんです。

 デカルトは原子論を支持すると共に
神の存在も信じていました。
 しかし、原子論を認めると、この世には
物質と無しか存在しないことになります。
 物質と違った特別の存在のはずの神の居場所が
ないことになり、神の存在の否定につながります。
この点をデカルトはヴォルテールに指摘され
議論になっていました。

 現代物理学はこの問題に対して、物質と物質の
間にはエネルギーの揺らぎや仮想光子(人間には
確認できない状態の光)が満ちていると
難しい結論を出していますが、だれも
これで間違いないと断言できるような結論を
出せていません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

昔は形而上学と科学がごちゃまぜになっていたようで、複雑ですね。
現在でも、確定的なことはわからないままのようですね。

ご親切に説明ありがとうございました。

お礼日時:2010/03/28 16:51

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