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現在、独身で無職で、実家で毎日なんとなく生きてます。だから、こんなことを考えるんだ、と言われればそれまでですが。なんか、文明も今までの人間の歴史で最先端にきてるし、発展途上の国もあるけど、物質的に飽和状態の国も多いし。最近、テレビで、人間の脳(心)が何を考えているか読める機械も開発が成功しそうだとか。もうそんなのは、神様の領域だと思ってしまって、もうそんなとこまできちゃったら、人間は、もう滅ぶんじゃないかとか、うだうだ考えます。働いてるときは仕事に99%位集中してたので、単に、働けば、「きっと、最終戦争が起こる」とか、「CO2問題とかで、地球滅亡する」とか、考えないんでしょうけど。心配しすぎで、さっさと仕事見つければ解決でしょうか?こちらのカテゴリに合わない質問でしたら申し訳ありません。

A 回答 (10件)

物質に「目的」はありません。


しかし、その「無目的=エントロピー増大」は淘汰となり、二次的に進化を導きます。
「いや違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で、生き残るために努力しない個体の遺伝子が次世代に伝わり、種の形質となる事はなく、進化は常に、「生きる事」を目的とするよう導くのです。
一方、どのような行動も、本質的には任意=意志の充足であり、「意志の充足じゃない」というのも一つの意志として、精神的充足の追及という方向性から逃れることはできません。
生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力)に収束します。
「精神的充足感のため」というのは、刹那的な快楽主義に帰結するのではなく、最大限の大きな目的、最大限の愛と、最大限の認識を兼ね備えたものになるのです(短絡的な快感の帰結は麻薬だが、それが最大充足でないのはご存知の通り)。

人が生きるのは、物質的豊かさのためではなく、精神的充足感のためであり、人が働くのは、お金をもらうためではなく、助け合い=愛のためなのです。
生物として、「生きること」が唯一の目的であるが、社会生命=助け合うために集まっているものとしては、働くことが生きること。
しかし今、そうした「他人を助ける」=愛のために働いている人が、どれほどいるでしょう?
人がとらわれているのは、“お金(や、その源泉としての出世)”という虚構の価値であって。

原始共産制の助け合いから、組織が分業化&拡大する上で、人の意識の社会性を発達させずに、お金や権力といった“馬車馬の目の前のニンジン”で、他律的に社会行動をとらせる道をとったのです。
お金は、本来助け合うために集まったはずの社会において、自己チュー的な意識のまま社会行動をとらせるための“矯正具”として発達したものなので(社会生命として生きる事である労働(助け合い)を、お金をもらうために嫌々働く)、当然、自由意志を束縛する機能があります。
本来、社会的生命として助け合うために集まっている人々をして、弱肉強食のジャングルに変える、悪魔のツール。
要するに今の人は、自ら喜び(自己存在の本質に根ざした生)に目をそむけ、他律的生=「苦痛からる生」に堕しているのです。
(「助け合う喜び」から「奪い合って勝つ喜び(幻想)」への変質)
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この回答へのお礼

すみません、お話が私には難しくて、どうお礼を言えばいいのか、ちょっとわかりません。こちらのカテゴリを最近拝見するようになり、皆さん、難しいことを言ってらっしゃるなとは、思っていたのですが、回答者さんも、やはり、私の頭ではよく意味がわかりません。すみません。
要するに、自分が満たされる(刹那的なものでなく)、喜び・嬉しい・愛のようなことを実感するために生きるということでしょうか・・・。
物質的に飽和状態になっても、破綻するのではなく、淘汰され、進化するのですか。それを聞いて、なんか、少し安心しました。

お礼日時:2010/03/23 10:36

"人は赤子として「第一(肉体)の誕生」を経験し、自分の人生の意味を問う事によって「第二(精神)の誕生」を果たし、さらに自らの力で自分の人生に意味づけが出来たとき、真の意味での「人間」として完成する。

多くの人はその領域に達することなく肉体の死を迎えるので、ある意味「未完成」なまま死を迎えることは珍しくない。"

……みたいな事をエーリッヒ・フロム著『正気の社会』で読んだように記憶しています。他の方のコメントと被る所もありますが、フロムの意見では、

"人生に初めから意味がある物ではない。
人間もその他の動物と同じように、本質的には『ある日、気付いたらぽーんと産み落とされていた』だけの存在でしかない。
人生の『意味』とは各個人が生きていく中で経験し、葛藤し、考え抜いて築きあげる物で、誰かが与えてくれる物でも、定型の正解があるものではない。
人生とはそれ自体が『旅』であり、『挑戦』であり、『機会』である。"

こんな感じだったかな?これを読んだときに、『ああそうか、答えがあるわけじゃないんだ、なーんだ。』と思って急に楽になった事を覚えています。

主さんは少なくとも『人生の意味とは?』という重要な問いかけが出来た訳ですから、フロムの例で言うと『第二の誕生』の部分に当たるわけなので、心配せずにどんどん考えて行ったら良いと思います。絶望したり、憤ったり、不安になったりするのも『過程』として受ける覚悟はあったほうが良いと思いますが。

自分はこのフロムの考えに触れて、『生きている間に・自分の出来る範囲で・しかし精一杯』自分という偶然の産物を満喫することにしました。貧乏性なので『元を取らなくては』という気持ちもあるかも知れません(^^;)。

環境や戦争は確かに不安要素ですが、そうなったらそうなったで仕方ないと腹をくくってしまえば、日々の生活に支障は無いと思います。私は『例え人類が滅んでもゴキちゃんが進化して文明を築くだろう、恐竜が滅んでもほ乳類が生き残ったように』と考えて、出来るリサイクルはしていますが、激しく心配するのは止めました。

地球なんて宇宙の基準で見れば大した事ない存在で、人間にとっての『世界が滅ぶ』なんてハナクソでもない事です。コンピューターが進化しても所詮宇宙の大きさにはかないません。ついでに言うと天文学的には地球という惑星がずーっとずーっと先にはいずれ死を迎える事も分かっています。

『今』を生きなければ、手も足も出なくなってしまいます。

世界史、哲学、科学、天文学、技術、社会学、心理学……と幅広く聞きかじると(本腰入れて勉強する必要はないです)色々考えるネタが増えて良いと思いますよ。頑張って下さいね(^^)。
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この回答へのお礼

そうなったときの覚悟をしていればいいということでしょうか。確かにずっと安定した状態でいようとするから、余計不安が過剰になるのかもしれません。「今」というのは、不安定で揺れ動くのだと自覚すればいいのかもしれないですね。考えてばかりいないで、行動しなければ、いつまでも悶々としてるだけだし。ただ、戦争で人間がどれだけ残酷で鬼畜のように変わるかは、歴史を振り返って見れば明らかで、自分がどんな目にあうかとかは、考えてしまいます。そんな事言ってたら、誰も子供だって恐くて産めないし、絶望してしまう人も、たくさんいるとはわかっているのですが・・・。こんなにたくさんの方から回答を頂けると思いませんでした。皆さん、ありがとうございました。(回答者さん、すみません、この場をお借りします。)だいぶ、不安が和らぎました。

お礼日時:2010/03/23 17:42

 アウグスティヌスと《愉快な乞食》の話です。



    *

 私は 名誉と利得と結婚とを渇望していましたが あなたはそういう私を嘲笑なさいました。
 ・・・
 私の魂は何とみじめだったことか。しかもあなたは その傷の痛いところをつかれました。・・・
 ・・・傷の痛いところをつかれて わたしは おろかにもなって その悲惨に勇敢にも耐え ただわたしの好むところに従い 可能なことを為そうとは欲しませんでした。
 じっさい 私は何とみじめであったことか。ある日 そのみじめさを痛感するために あなたはどのようにとりはからいたまうたことか。

 その日 私は皇帝にむかって讃辞を朗読する準備をしていましたが それは 讃辞の中でたくさんのうそをつき うそつきの私が それをうそと百も承知の人びとのお気にめすようになるためでした。私の心は心配であえいでおり 身もほそる熱い思いに燃えていましたが ミラノのある街路をとおりながら 一人のみすぼらしい乞食をみとめました。
 もう満腹していたのでしょう。冗談を言いながらはしゃいでいました。私はためいきをつき 自分たちのばかげた仕事から何という多くの苦痛が生じてくるかということについて つれの友人たちと語りあいました。
 じっさい 当時 骨折っていたそういう努力のかぎりを尽くして 欲望の突き棒につつかれながら おのが不幸の重荷をひきずり ひきずりながら重荷をつみかさねつつ そういう努力によって得たいと願っていたものは ほかでもない 安全確実なよろこびでした。ところが そのよろこびにあの乞食は すでに先に到着しているのに ひょっとすると私たちは けっして達することができないかもしれないのです。
 彼が乞食をして得たごくわづかな金ですでに手に入れてしまったものを 私はこのように辛苦にみちた紆余曲折をへてさがしまわっていますが もとめているのはすなわち 現世の幸福のもたらす快楽にすぎません。たしかに乞食とても 真のよろこびを得ていたわけではありません。しかし私とても そのように奔走しながらさがしもとめていたものは かの乞食のそれよりも もっと虚偽のよろこびだったのです。

 たしかなことは 彼はよろこんでいるのに私は苦しんでおり 彼が安心しているのに私は動揺しているということでした。もしだれかが 《君はよろこびたいか それとも心配したいか》とたずねたとしたら 私は《よろこびたい》と答えたことでしょう。さらに あの乞食のようになりたいか それともこのままでいたいかと問われたならば 心配と不安とで疲れはてていたにしても やはりこのままでいるほうをのぞんだことでしょう。けれども この判断はまちがっていました。どうして真でありましょうか。

 じっさい私は かの乞食よりも学問があるからとて 自分のほうがすぐれていると思うべきではありませんでした。なぜなら 私はその学問から よろこびを得ていたのではなく ただ人びとの気にいることをもとめていたにすぎないのですから。しかもそれは 彼らを教えるためではなくて ただ彼らの気にいるためにすぎなかった。だからこそ あなたは こらしめの杖でもって 私の骨を打ち砕かれたのです。


 それゆえ 私の魂にむかってこう言う者は 遠ざかってもらいたい。――何によってよろこぶか そこにちがいがある。あの乞食は 酩酊によってよろこんでいたが 君は栄光によってよろこぼうとしていたのだ。

 主よ それはどのような栄光でしたろう。あなたにおける栄光ではありませんでした。じっさい あの乞食のよろこびが真のよろこびではなかったように 私ののぞんでいた栄光も真の栄光ではなく かえってそれは私の精神をますます逆転させてゆくばかりでした。乞食の酔いはその晩さめたことでしょうが 私は酔いながら眠り 酔いながら起きました。将来も同じように眠っては起きたことでしょう。その状態は まあ 何日つづくことであったか。

 もちろん どこからよろこびを得るか そこにちがいがあることは 知っています。信仰にもとづく希望から生ずるよろこびは あの虚妄とは比較にならぬほどへだたっているのです。しかし当時においても 私と乞食とのあいだにはへだたりがありました。
 疑いもなく 彼は私より幸福でした。その理由は 一つには 私が心配でふぬけになっていたのに 彼はまったくの上機嫌だったということにありますが それだけではありません。彼は道行く人の祝福を祈って酒に ありついたのに 私のほうは うそをつきながらからいばりの地位を追いもとめていたのですから。

 当時 私はこういった意味のことを 何回となく親しい友人たちに話し そのような場合 自分がどういう状態にあるかをしばしば考えてみました。そして状態がかんばしくないことに気づいてかなしみましたが 悪い状態をいやがうえにも悪くするばかりでした。そして何か幸運じみたものがほほえみかけることがあっても 手を出す気になれませんでした。なぜならそれは とらえようとすると飛びさっていったからです。
                       (告白6・6・9-10)
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2010/03/23 17:46

何のために生きるのかと問うことに、なんら有意義さを見出せません。



生きているものに、何故生きているのかと愚問をするようなものです。

うさぎにどうしてうさぎなのか と問うようなものです。

ネーチャーに何故ネーチャーなのかと問うようなものです。

うさぎはうさぎだからうさぎらしい振る舞いをするし、自然は自然だから自然のありようをするわけです。
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この回答へのお礼

すみません、やはり、ほかの回答者さんにも言ってしまったことなのですが、言われてる意味が奥が深すぎてよくわかりません。なにか、禅とか、悟りとか、そういうことの勉強をすれば理解できるのかなと思いました。変なお礼ですみません。

お礼日時:2010/03/23 11:19

生物学的に考えれば、未来に子孫を残して生命活動を継続する為に生きてます。


我々は設計図であるDNAの媒体にすぎません。
人は死ねばゴミになります。

哲学的考察であればもう少し小難しく表現できますが、
ニートにとっての哲学は現実逃避そのものです。

筋肉疲労は精神疲労と反比例する場合が多いので、
働いて筋肉動かして血流良くすれば活力も沸いてきますよ。

仕事が見つかるまでは長距離を散策するとか、ハイキングしてみるとか、
そういう血流対策の気晴らしをお勧めします。
作家でも、詰まった時にはそうしてるそうですよ。
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この回答へのお礼

はっきり人に言ってもらって分りました。私のこの状態も、「ニート」
っていうものだったんですね。ああ、私、しばらくは働き続けたから自分がそうだなんて思いませんでした。そういわれたら、自分の今の姿が客観的にはっきり見えた気がします。不健康な思考は、健康的な運動とかで払拭されるかもしれないんですね。これからいい季節なので、そういうことも考えたいと思いました。

お礼日時:2010/03/23 11:15

>働いてるときは仕事に99%位集中してたので



とご自分でも仰られているのですから、もし就職口が見付からないようでしたら、少なくとも無給のボランティア活動にでも参加して、自分を燃やしてみたらどうですか。「青年の船」というのもありますよ。発展途上国の現場を自分の目で見て来ると、考え方が変わるかもしれません。幸運にも実家で何となく生きていられる状況にいるようですので、食べて行くには心配はないようですね。ただし、理想的には同じボランティア活動でも、僅かなお金でももらえる方が良いでしょう。自尊心を持っていない人はいないのですから。

失礼な表現になっていることは承知の上で言わせて頂くと、貴方の今の状況は、孔子の弟子曾参の言う、「小人閑居して不善を為す」の具体例になっているようですね。
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この回答へのお礼

もう、こいつは救いようがない、と思われるかもしれませんが、私は人間関係がとても下手で、集団生活もすごく苦手です。青年の船のことは、とても素晴らしいと思いますが、とてもそんな志の高い人間ではないので、どうかなと思いました。シルバー人材センターの中年版みたいな組織でもあればいいなと思いました。そうすれば、ボランティアで、しかもお金ももらえていいですからね。教えて頂いた古い教えは、意味を調べてみましたが、いくらヒマでも悪さとかはしませんから、大丈夫です。(解釈が間違ってたらすみません)やっぱり、家の中でくすぶってるのが一番毒なのでしょうかね。

お礼日時:2010/03/23 11:08

再度No.4です。



何か文が抜けてました。

「パンダや猿や、あと人間の生まれたばかりの赤ちゃんは、
手探りをしたり、あくびをしたり、しぐさなどがほんとにそっくりで、
つくづく人間も動物と一緒だと思うから、(←ココ)

それで、動物も植物も、
特にいちいち「何のために生きるのか?」とは
考えないで生きているだろうから、
人間もそれでいいのでは?」



と思って、別の人の質問に答えたのですが。
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わかります。



以前、別の人の「生きる意味」という質問で、

http://oshiete.nikkeibp.co.jp/qa5755476.html


「パンダや猿とかと、あと人間の生まれたばかりの赤ちゃんは、
しぐさとかがほんとそっくりだし、

それで動物も植物も、
いちいち「何のために生きるのか」とは考えないで生きてるから、
人間もそれでいいのでは?」

と答えましたが、


よく考えてみると
「もしかして嘘をつくのは人間だけかも。」
「人間だけが違うってこと、あるの?」

と少し思い始め、よくわからなくなってます。

人間は、大脳新皮質がちょっと発達しただけの、“ただの動物”なのか、
それとも人間だけにはできる、何か?があるのか…。



それから、
質問者さんのような疑問が起こるのは、
当然のことのような気もします。

なんか、根本的に、
人間社会は間違った方向にきてるような…。
だから「うつ病患者」とかが増えてきてるのかな~。。
とかは思います。
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この回答へのお礼

回答の追加をして頂きましたが、こちらでお礼してすまさせていただきたいと思います。教えていただいたサイト、拝見しました。私も、人間も所詮は種の保存のために生きてるだけなんじゃないかと思ったりします。人間の体のしくみを考えたってそうです。女の人は、子供を産んで育てるようにできてるし。閉経したら、用済みって感じにできてるじゃないですか。(私も女です)大体種の保存の仕事が終わったら、痴呆になっちゃうだけだろうとか。私の考え方、うつっぽいのでしょうか。でも、質問者さんのように、間違った方向にきてるように思われてる方もいるのですね。
自分が健全じゃない考え方だってはっきりわかれば楽な気もします。

お礼日時:2010/03/23 10:54

まあヒマだからそんなことを考えると言ったらそれまでとは思うんですが。



何のために生きるとか、大それたことだなあと感じます。
生まれたから生きてるだけだ、と私は考えてます。

人間は知能があるばっかりに、いろいろ考えてしまうんでしょう。

ゴキブリなんて短命だし、人間に見つかれば気持ち悪いと殺される。
かわいそう。
これは人間の勝手な意見ですよね。
でも、たぶんゴキブリはそこまでの知能はないですから、自分が気持ち悪く思われることも
すぐに死んでしまう事も、考えることはないでしょうね。
そう思うと、人間よりゴキブリの方がある意味ハッピーかもしれません。

まあ最終戦争も地球滅亡も、心配してもしなくても起こったら防ぎようはないですから、
そんなこと起きる心配なんてせず、毎日おいしい物を食べてのんびり暮らしてはいかがでしょう。
戦争起きても滅亡しても、死んだら考えずに済みますから…。
生き残ったら大変ですよー。
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この回答へのお礼

やっぱり、ヒマだから、というのが大きな要因ですよね・・・。
別に、最終戦争も、一発で一気に死ねればいいや、と思ったりします。
死に損なうのが一番の地獄だと思ってますから。

お礼日時:2010/03/23 10:26

私が頑張ることで、周りの誰かが嬉しい思いをするのが嬉しいからかな。

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この回答へのお礼

でも、それってちゃんと自分というものをしっかり持ってないとできないですよね。私も一時、「○○さんたちのために・・・」と思って生きようと思っていたときもありましたが、その人たちに冷たい態度をとられたりするとすぐ気力が萎えて、もう嫌になってしまいます。なんか、いっそ宗教にでも入って入信してしまえばいいのかなと思ったりします。教会へ行ったこともありますが、聖書を読んでも全然感情移入(表現が間違ってるかもしれませんが)できなくて、全然ぴんときませんでした。
回答者さんのような心境には私はなれないと思います。すみません。

お礼日時:2010/03/23 11:27

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