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北条氏に対抗でき、なおかつ上杉家に血縁、縁のある武将だから。
当初、上杉憲政は佐竹氏を頼り、上杉の名と関東管領職を渡し保護を受けようとしました。
かつて佐竹氏の第12代の当主をつとめた佐竹義人は山内上杉家から婿養子に入った人であり、佐竹氏も上杉憲政と血縁関係にありました。
しかし、当時の第17代当主、佐竹義昭は源氏の家名である佐竹の名を自分の代で終わらせるわけにはいかないと断ります。
そこで上杉憲政が次に頼ったのが長尾影虎でした。
長尾影虎も上杉の血をひいています。
上杉家の始祖は上杉重房であり、その息子は上杉頼重と言い、彼には三人の息子がいました。
その頼重の息子の一人、藤明が長尾家に養子に入り、その子孫が長尾為景や長尾影虎となります。
また頼重の息子の一人、憲房の子の憲顕が山内上杉家の始祖となり、その子孫が上杉憲政となります。
つまり、上杉憲政と長尾影虎は血筋を辿っていくと、どちらも上杉家始祖の上杉重房に辿り着く血縁関係にあり、全く無縁な関係というわけではありません。
そもそも戦国時代ですから、血縁関係があっても、その時々の状況によって戦ったり味方になったりするのが当たり前の時代です。
同じ上杉の扇谷上杉家と山内上杉家は時には戦ったり、時には味方になって一緒に北条氏と戦ったりしています。こういう事は別に珍しい事ではありません。
長尾氏が越後の実権を上杉家から奪ったからと言って、味方にできないというものでもありません。
武将は自らが生き残るために、敵、味方を変えていくものです。
この時は上杉憲政の置かれた状況が、たまたま長尾影虎を頼らせたのでしょう。
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