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なぜ人は人を貶すのでしょう?

なぜ、ちょっとでも自分より劣る部分を見つけると
その人の発言や行動全てを
事細かに否定し、単語の意味すら悪い方向にばかり捉え
ひどいと自論展開し始め徹底的に叩き「俺は賢い。お前はバカ。」
とポーズを決め込み自信満々になる人が居るのでしょうか?

なぜ相手の話の流れから、本当に言いたい事を察そうはとせず
相手の言葉尻にだけに反応して、
論点をずらして攻撃ばかりするのでしょうか?

何かの切欠で自分が優秀だと思い込んでいそうな人の一部に、
そうして他者の「一理有る」点すら見えてない盲目な方を見ます。

自分がその対象にされた事もありますが、
他人同士がそれをしあっていて仲裁するのにうんざりした経験の方が
圧倒的に多いです。そして多分自分もやってしまっている気がします。


他人を否定する事でその人はどんな満足を得てるのでしょうか。
そして冷静に相手の「一理有る」点すら見えなくなる人は
どういう人格的な障害を抱えていると思い
どう対応するのが適切なのでしょうか?

これが身内の場合、関わらないのはかなり厳しい時も有るので
当事者・第三者としての接し方のアドバイスを頂けると幸いです。

A 回答 (3件)

何も知らなくても、勉強しなくても、そのほうが楽に優越感を得られるからです。

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この回答へのお礼

なるほど。

この心理で他者へ歩み寄りもできない人間は
幾つになっても愚か者なのでしょう。
自分も気をつけねば。 ありがとうございました。

まさにこれが人を貶す真髄なのだろうと思えました。

お礼日時:2010/05/07 11:38

人を貶すのは、劣等感のなせる業です。

相手が優越していると思い込んでいるために、貶すことによって、相対的に自分の評価を高めようとするのです。そういう人と話す時は、謙って話をしないと、まとまる話もまとまりません。本当に優越している人は、謙虚です。実るほど頭の垂れる稲穂かな
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この回答へのお礼

確かにそうなのでしょうね。

無意味に人を貶している人間に、器の大きな人間は居ませんね。
小さな自分の世界に閉じこもって、自分の発揮できる能力にだけ
閉じこもって結局満たされない思いから
仮初の悦をむさぼり道化のような人生を送る人も居るようですし。

劣等感があってその事に関して真面目にやってるから という事も
有るにはあるのでしょうけれど、
他人の意見を冷静に評価し受け取る事すらできない人間は
所詮それまで なのでしょうか。

などと不快感を露にしてる自分も高が知れた人間だなぁ。

ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/07 11:44

私の意見です。

参考までに。

まず、お互いに冷静になり、きちんと相手の話も聞けないようだと話になりません。だから、議論に第三者が口を出すのは本当は野暮な話です。また、世間は不条理で無常にも無関心な人が意外と多いということを理解していない方には、極端な話で「正義は我にあり」と思っている方にも話すだけ無駄のときがありますので、そういう頑固者には世間の壁に自らぶつかっていただくために「はいはい」と聞き流すのが「大人のやり方」と思います。

具体的な例で話します。
世界的に有名な某SF映画監督の幼少時代の教育です。兄妹で口げんかになり、しまいには手を出し始めました。お母さんは仕方なく両方の異論を一人一人その人の気持ちになって擁護した意見を交えて最後まで聞いてあげました。最後に「二人の意見はわかった。(両方まちがっていないから)好きなだけ兄妹で議論しなさい」と言って立ち去ったそうです。もちろん二人ともぽかんとしてしまってけんかをやめたそうです。これはお互いに冷静になる時間を与えるとともにお互いのいいところを最後まで聞いた上で、答えのでない議論なんだよと気がついてもらう方法ではないかと思います。

また、吉本の社長さんの話ですが芸人の「某○○博士」コンビが給料を上げろと殴りこんできたそうですがおもむろに上着を脱いで、「かかってこいや」と返してぽかんとさせたそうです。ようは吉本らしい「しゃれ」の効いた話しだと思います。このように従業員から言ったら切実で自分たちに正義があると思っている人たちに、経営者側の「死ぬ気でかかって来い」という世間の荒波を経験したものだけが言えることを「しゃれ」として返して和ませてしまう方法もあります。結構、落語の世界なんかでは「風刺」「批評」をこのように「しゃれ」として皮肉った話をすることが多いです。これは聞いている庶民が無情の世の中で抱えている闇を「笑い飛ばしましょう」と諭してくれている先人の知恵だと私は思います。

こういうやり方が私は「賢い」諭し方だと思いますが、いかんせんこんな人ばかりではないのは質問者様が一番経験していることですよね。だから世間は「狐と狸の化かしあい」なんだと思わないと疲れますよ?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
うならせられる実例でした。

私はついお節介を焼いてしまう所為で
客観的に双方の言い分の良い所と背景に有る心情を並べると
多くの人は「なる程。」と仲裁に成功するもので。
しかし私が居ない場で喧嘩がよく起こるのですよね・・
居ると仲裁されてしまうと思われてたのやら。。

「はいはい」と受け流し壁に自らぶつかってもらう。
しゃれ、風刺、周囲が理解をしめしつつけしかける。
色々と手が有るのですね。
今後の仲裁時には、時と場合を吟味して使わせて頂こうと思います。
ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/07 11:55

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