アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

「三文」の価値について
よく「早起きは三文の徳」とか、「二束三文」とか
言いますが、この「三文」は高価なお金ですか?
それとも、端金で安い価値しかないものですか?
是非、教えて下さい。

A 回答 (5件)

三文の価値  word by 風来坊


http://www.nurs.or.jp/~dumbo/3mon.html

便知
http://www.benchi.in/?eid=794866
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答の趣旨からすると、「三文」とは安いものの
ようですが、「早起きは三文の徳」というのは
安いお金でも、毎日するとチリも積もれば山となるという
感じで、大きなお金になるという意味でしょうか?
私はそう解釈しましたがどうでしょうか?
ご回答有難う。

お礼日時:2010/05/01 06:09

3文の価値は、江戸時代の初期と幕末では違って来ますが、幕末の価値にするなら現代の30円程度です。


1両は4,000文ですが、お米の1石(150kg)と等価でしたから、現代のお米の価値に換算すると4万円程度です。
したがって、4,000文=4万円なら、1文=10円になります。
因みに、三途の川の渡し賃は6文です。
江戸時代初期なら、もっと値打ちがありましたが、はした金には違いないです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

時代よって価値が違うのですね。
面白いですね。ご回答有難う。

お礼日時:2010/05/01 06:13

はじめまして。


個人的意見ですので、あまり参考になされずに。
価値的には安価な意味がもっともなのでしょうが。
ただ、どうでしょうか?。
好意的なものを前提として。
あまりに否定的な意見を返信されていると思いますが。
それほど世の中に否定的に日常過ごされているのですか?。
もう少し周りの意見に耳を傾けて見ては如何ですか。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

内容が難しくてよく分かりませんが
ひとつの意見として受け取ります。
ご回答有難う。

お礼日時:2010/05/01 06:27

6年前に同様の質問に回答しました。



安井順平というお笑い芸人が漫談の中で取り上げています。
(日テレ「エンタの神様」2004年5月22放送)

それによると、
 1文は1円の千分の1。
 百歳まで生きるとして、毎日早起きして合計109円。
 そんなの俺はやらないね。
だそうです。
彼は一応、それなりの換算をした上でネタにしているのですが、
当時の物価を考慮すると、桁が違う結果になります。

http://okwave.jp/qa/q888003.html
    • good
    • 0
この回答へのお礼

参考になりました。どうも、有難う。

お礼日時:2010/05/01 07:55

ishikawa-tさん、お早うございます。



先ず「二束三文(二足三文)」に付いては、一日中山で薪を集めて来て売っても、苦労の割には二束(ふたたば)で三文にしかならない。
(または、苦労して編み上げた履物を売っても二足で三文にしかならない)

他にも現在でも日常的に使われる言葉で「三文判」という言葉も有ります。
象牙などの材料を使って注文して作る高価な実印などと違って、出来合いの物で数百円から千円位までの物で「認印」などと呼ばれる物の事です。

ですので、二束三文も三文判も「端金で安い価値しかないもの」を表現する言葉だと解釈してよいと思います。

そこで実際の三文の価値に付いてですが・・・?

お団子(三色だんごを除く)は普通1串に4玉の団子が刺してありますが、これは江戸時代に1玉一文のお団子を4個くしに刺して売る事で、当時流通していた四文銭というお金(コイン)1枚でちょうど買える様にするために4玉を串に刺して一まとめにして売ったのが始まりだと聞いています。

物価は時代時代によって変わりますから厳密に何円という定義付けは難しいと思いますが、現在お団子の値段は1本50円くらいから150円くらいだと思いますので、三文を現在の価格に照らして考えると50円から100円の間くらいの価値になるのではないかと考えられます。

何銭という単位のお金が使われていた時代から現代まで姿を変えずに売られているお団子を例として考えさせて頂きましたが、今も昔もお団子1本は子供のポケット(ふところ)に有るちょっとしたお小遣いで買えるものだと思いますので三文とは「安い」とか「僅かな」という意味で使われている考えて良いと思います。

ご質問が三文の価値に付いてですから、ここからは余談になるかも知れませんので参考程度に聞き流して下さい。

ご質問の文中で使用されている三文の例の「早起きは三文の徳」に付いては少々三文の意味する所が違うかも知れないと思います。
(表面的な意味としては同じで「少し」とか「ちょっと」ですが、格言全体が示す意味としては「とても重く大切な物」という意味ではないかと思っています)

こちらの格言「早起きは三文の徳(得)」については色々な意見があって「徳」なのか、または「得」なのかは良く分からないらしくて現代では両方使われているらしいですが、私個人的には「徳」が正しいと考えております。

「徳」とは、昔風や宗教風では徳を積むと言い、現代なら道徳の徳として使われる言葉です。

人の道(人生)にとって大切な物を意味する言葉で、社会の一員としてシッカリと働く、人に迷惑を掛けないように心掛けで行動する、神やご先祖を敬い祈る事を忘れない、困っている人を助けてあげる、悪事を働かない、人々のためになる行いをする、いろいろな事を勉強する、などなどの人としての価値を高めてゆく事が徳を高める事になるという事からの引用で「早起きは三文の徳」には(徳)の文字が当てられているのだと考えています。

つまり、毎日朝寝坊してゴロゴロしたりダラダラしたりしていてはいけない、シッカリと早起きをしてちゃんと世のため人のためになるように働いたり勉強をしたりしなさい、それが人としての義務であり自分自身の徳を高め人間としての価値を高める事に繋がるんだよと言う戒めの言葉で、けっして「早起きをすると三文分のお金が儲かる(得する)よ」という意味ではないと思っています。

従って、「早起きは三文の徳」の場合の三文はお金というよりは、三文分に値(あたい)する徳を積む事に繋がるんだぞ、と言う意味に使われていて、僅かなものではなくて、とても重くて価値の有る大切な行いなのだと言う意味を持っているのではないかと考えています。
(しかし、解釈の仕方によってはチョッとずつでも毎日積み上げて行けば、自分にとってやがて大きな徳になる、と言う捉え方をすれば三文の意味はやはり「少し」とか「わずか」となるのかも知れませんが)

長くなって申し訳ございませんでした、回答としてお役に立ちましたでしょうか?
    • good
    • 7
この回答へのお礼

大変、勉強になりました。どうも、有難う。

お礼日時:2010/05/01 11:34

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aに関連する記事