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否定できない質問は存在するのか?

○○を教えてください。という質問ではなく、?がつくような質問の事です。
例えば「僕は毎日お経を唱えていますが、それは人の自由でしょうか?」
という質問があったとする。
大勢の人は「それは人の自由です」と答えると思う。

しかし中には「お経はよくないから賛美歌にしなさい」というキリスト教の
信者の回答があるかもしれない。
つまり大勢の人が、それは人の自由だろうと思っていることも否定される事がある。

と、いうことで「質問」というのは、否定される可能性が必ずあるのですか?
それとも、まったく否定でない質問は存在しますか?

ちなみに「僕はバナナが好きでしょうか?」というような質問は、しらんがな~
としかいいようがないので、そういう日本語の怪しいものははずしてください。

A 回答 (11件中1~10件)

あなたは生きていますか?(生物として)


あなたは呼吸していますか?
この世に「100%純粋」ではないものは存在しますか?
嘘をついたことがある人はいるでしょうか?
お金を使ったことがある人はいるでしょうか?

いろいろあると思います。

個人的には、こういった質問ははてなで聞いた方が
ウィットのある回答が得られると思います。
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この回答へのお礼

はい。ありがとうございます。

そうですね。
ただ、あげていただいた例は確かに否定できない質問かも
しれませんが、100%でないかもしれないのですよね。

例えば>嘘をついたことがある人はいるでしょうか?
の質問は、他人事だからわからないですよね。
本人が嘘をついていない。といえば仮に事実と矛盾して
いたとしても嘘はついていないのでしょうから。
また自分自身のことであっても、それを否定できる人間が
いないので、これも微妙なのです。
(NO3さんのお礼に理由を書きましたので参考にしてください)

つまり否定ができないというか、もともと誰にもわからない
問題ではないかと思うのですね。
僕は否定も肯定もできない質問は、質問の体をなしていない
のではないかと思うのです。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/04 10:25

存在しない、と、確信致します。


 
 なぜなら、この世に“絶対”は存在しないからです。
(全ては、相対的でしかない)

仮に、否定できない質問が存在する、とします。

 そうすると、その質問は“絶対”になってしまいます。
(そんなことは有り得ない。あれば、相対性理論を覆す事になり、ノーベル賞ものです)


もちろん、質問者様が言われるように、1+1=2ですか? といった質問は論外です。(笑)


 そうしますと、否定できない質問、というのは、低次元な質問と言えそうです。(余談)
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この回答へのお礼

はい。

ある意味この質問は「絶対」という条件がつきますよね。
でもいわれている「絶対は存在しないか?」という質問であれば、
これはどうなりますか。
「絶対は存在しない」のであれば、答えはYES以外にないですよね。
となると僕の質問の「否定できない質問は存在するのか?」の回答は
「存在する」という事にもなりませんか?うーんややこしやー

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/04 10:43

 論理学の専門家ではありませんが回答します。

あと、求められている質問の本質が推測できないので、敢えてくそまじめに答えます。

「否定できない質問は存在するのか?」

 存在します。例えば「あなたの好きな色は何ですか?」という質問がそうです。


 rin00077さんの問いが、Yes又はNoのタイプでの質問を指しているのでしたら、
「否定できない質問は存在」しません。

 No.1の人が興味深い例を挙げていらっしゃりますが、どんなに事実と矛盾したことでも仮想上は否定できてしまうからです。「私は生きていない。」「嘘をついたことなどない。」etc.

 ただ、あくまでそれは仮想上や論理上でのことです。もしも「私は存在していない。」「私は呼吸などしたことない。」などという人が居たら、事実と論理が乖離した人だということで無視されるでしょう(もしくは無視するべきです。)。極端な例だとそういう「乖離」した人はいっぱい居ますよね。私は解脱したとかいう某教祖とか、「円天市場」に加入すれば儲かるとか。

 rin00077さんの例で言えば、その「キリスト教徒」も言うだけならば自由です。ただ、rin00077さんにそうさせる権利はありません。  
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この回答へのお礼

はい。

これは僕の質問や例題の仕方が悪かったですね。
特定の人しか回答できない質問では意味がないのです。

例えば
>「あなたの好きな色は何ですか?」
と質問されると「青が好きです」と僕は回答します。
これは他の人は否定できない、というか回答できないですよね。
それは自分にしかわからないという事ではなく、その質問は
僕にしか質問を投げかけてないためですね。
つまり、他の人は元々回答権がなく、否定する否定しない
以前の問題なのですね。
そうではなく、みんなに回答権がある場合はどうでしょうか?

お礼日時:2010/05/03 21:37

珍しく、質問として成立していないような気がしますが・・・。



どんな質問であれ、それ自体を否定することはできないのではないでしょうか。
意味不明であれば最低限「わかりません」であって、「違います」というのは回答とは言えないように思うからです。

「僕は毎日お経を唱えていますが、それは人の自由でしょうか?」
と聞いている以上、回答としては「自由であるか、自由でないか、回答できない」かの3つに限定されるでしょう。
「お経はよくないから賛美歌にしなさい」というのは、回答とは言えません。
無論、回答でなければ反応してはいけない、と言っているわけではありませんから、このようなサイトでの回答の仕方の是非を論じているわけではありません。

「僕はバナナが好きでしょうか?」に対する
「しらんがな~」
も「回答できません」と同義なので、立派な回答足り得ているという気がします。
  
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この回答へのお礼

>珍しく、質問として成立していないような気がしますが・・・。

はい。僕もそういう気がしてきました。
しかし何か論理的な回答、あるいは屁理屈というかトンチのような
ものが上手な回答者さんが、回答してくれることを祈っています。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/03 21:51

 いわゆる真実とか現実とか事実とかの“現象”は“人”が否定したところで、それが変わるわけではありません。



 質問は、多分に人間の精神的な事柄になるのだろうと思いますが、それですと「否定できない質問は存在」しない、と思います。

 考え方は人それぞれ、なので。

 rinさんは「真理」と言ったような事柄に興味をもっているんですよね。
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この回答へのお礼

はい。

僕は哲学とかまったく知らないのですが、カントとというのは
ネットで調べた事があるので、知っているのですね。
その人が確か、「神は存在する。」みたいな事をいっていたのですね。
なぜかというと、神は完全なので存在する事ができる。ゆえに神は
存在する。みたいな感じです。
これって、めちゃくちゃ屁理屈というか、こじつけなんでしょう
けど、それでも僕はなんとなく納得してしまいそうな感じなのですね。
こういう、なんか実際は違うようなきがするけど、いわれてみれば
そういう気もする。というのは一種の感動を覚えますよね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/04 09:53

不完全性定理において、どのような公理系にも必ず、その公理系では証明できない公理が先入する事によってのみ、無矛盾であり得、どのような回答にも別のパラダイムからの反論が可能です。


その反論への反論も、またパラダイムを先入して、反論が可能となるのです。

ただゲーデルは、完全性定理も証明しており、「質問の内容においてパラダイムを限定すれば、“絶対的な答え”が成立します。
たとえば「イスラム教で豚肉はタブーですか?」という質問には、反論不能な回答が可能です。
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 「皆さんの好きな色は何ですか?」



 というのはどうでしょうか。

 まあ、これは事実を「聞いている」だけなのでしょうけど。

 いわゆるアンケートだろうか。

 では、質問とはなんだろうか?
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この回答へのお礼

はい。

>「皆さんの好きな色は何ですか?」

も、質問には違いないのですが、これは僕の質問文でもあるように
○○を教えてください。という部類でしょうね。

簡単にいえば、必ずYESかNOで答えれる質問であり、特定の人間
ではなく、すべての人間に聞いている質問のことです。

ただ、「神はいるか?」というような質問は、YES、NOで答える
事は簡単であっても、誰もそれを証明できない。
そうなると「誰もわからない」という事であり、その質問には
YESもNOも答える事ができない。
と、なりますので。そういうのもはずしてくださいねー

よろしくお願いいたします。

お礼日時:2010/05/05 18:21

否定できない質問の存在を否定できないのは正しいことでは無い?


以上が質問です。
仮にNOと答えれば、否定できない質問の存在を否定できないのは正しいことになり否定できない。
YESと答えれば、存在を否定できないのは正しいことでは無いとなり存在することになる。
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この回答へのお礼

>否定できない質問の存在を否定できないのは正しいことでは無い?

ややこしやー
すみません。僕は頭が悪いのでしばらく考えてみます。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/05 18:27

ここは”哲学スレ”で、”国語”ではないのですが、どこでも、質問者と回答者との間には「言葉」によるつながりしかない(一部では映像が助けになりますが)ので、お互いが使う言葉、文章には充分に気を使う必要があるのはいうまでもないでしょう。


ご質問の「否定できない質問は存在するのか?」について懸命に考え、分析してみましたが、結局意味が分かりませんでした。質問とは何かが分からなくてする行動です。それを否定することは出来ません。誰にも疑問を持つことは権利として、人間の本性として存在するからです。
>○○を教えてください。という質問ではなく、?がつくような質問の事です
これも何を言いたいのか、意味不明の文です。
○○を教えてください。という質問は○○とは?と書き換えられるから、いわば同意重複ですね。
>例えば「僕は毎日お経を唱えていますが----
からようやく貴方が何をここで主張したいのかがおぼろげながら分かってきます。
>僕は毎日お経を唱えていますが、それは人の自由でしょうか?
という質問に対して、
>お経はよくないから賛美歌にしなさい」というキリスト教の信者の回答があるかもしれない。
これは質問に対しての回答ではありませんね。
>それは人の自由だろうと思っていることも否定される事がある。
こういった問題では全くありません。
よく考えてみてください。
>「質問」というのは、否定される可能性が必ずあるのですか?
一般に質問には回答が対偶します。
質問が否定されるのは、質問自体が不可能な(成り立っていない)場合です。
貴方のこの質問の場合がそれに該当します。
ここではかなり珍しい例ですけどね。

そして貴方の日本語はかなり怪しいように思います。
ご参考まで。
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この回答へのお礼

>質問が否定されるのは、質問自体が不可能な(成り立っていない)場合です。

質問自体が成り立ってなければ、それは質問ではない。という事ですよね。
それは、そうなんでしょうが、「否定できない質問は存在するのか?」
と、いう質問は、どういった理由で成り立っていないのかがわかりません。
質問の答えが存在しない。という意味ですかねー?

でも、こういったら何ですが、難しく考えすぎではないのですかね?
ちなみに、僕はNO1さんの
「この世に「100%純粋」ではないものは存在しますか?」
が、否定できないので、結構簡単にあるのかな~と考えている最中なんですよ。

お礼日時:2010/05/06 20:54

「質問はありますか?」ですね。

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