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全てを創造した神が人間に自由意志を与えたのは、人間が神の意志どおりに動くロボットなら、神にとっては面白くもなんともないからではないのでしょうか。

神が、人間に自由意志を与えた目的はなんだと思いますか。

A 回答 (21件中11~20件)

ご質問の趣旨に外れますが少し気になりましたので書かせていただきます。

人間の自由とは時間から自由になれるということだとすると。これはそれほど人間特有のことではないと思います。自由はこの地球上に生命が発生した時にその生物に与えられているのではないでしょうか。
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 不完全で自信のないものはすべてに何も托せなく、強制する。


 完全で自信のあるものにはそのような必要はない。
 
 至極当たり前のこと。
 
 人間同士でも、自信のあるものはとやこう干渉もする必要がないし、お互いに自由でいられる。
 そういう経験はありませんか?
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「全てを創造した神」を定義してるのが人間ですから、


人間の想像力を超えた神は存在できません。

神の定義を「宇宙を貫く法則」であると仮定すれば、
現在の科学の究極の目的がその解明です。

神は人を超えられず、
人は神を超えられない

ということです。

「神が、人間に自由意志を与えた」のではなく、
「そういう存在が神である」と人が創造したのが神です。
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 こんにちは。



 分かりません。
 ただ 神であるなら ひとり満ち足りている存在だと考えられますから
 ★ 神にとっては面白くもなんともない 
 ☆ といったことが理由になるとは 考えられないのですが どうでしょう?
 ですから 理由は無いとも思われますし 分からないというのが 正解(人間がそれとして納得するもの)であるかも知れません。
 という意味は この正解が まったく的外れであったということかも知れません。

 そもそも この問いは 人間が分かることなのか? ここから問い始めたほうがよいかも分かりません。
 さらにあるいは 神は人間が自由意志にもとづいて思惟し行動するようにさせているだけであって そのこと自体が あたかも操り人形のごとくでしかないということかも知れないぢゃないですか。

 分からないから自由意志なのだという見方も成り立つでしょうか?

 いやあ 分かりません。
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神が、人間に自由意志を与えた目的はなんだと思いますか。



→神が、「人間を観察するため」と思います。
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#3です。



私も単純明快な回答をしているつもりです。

この世の中に少なくとも二柱の神が居られると、次に何が起こるかその神の間で必ず論争になってしまいます。したがって、未来はまだ与えられていないことになる。すなわち、人間は非決定論的な世界に住んでいることになる。ですから、当然人間には次に何をするかを自分の責任において決定する自由意志があることになり、そんな状況では「自由意志」など余りにも単純明快な概念であり、論争の対象にもならない。ところが、この世の中にたった一柱の神しかいないとなると、その全能の神に取っては既に未来が与えられていることになり、この世界は決定論的な世界であることになる。そうなると、「自由意志」と言う概念に途轍もない屁理屈でも付けない限り、その意味が分かったと言う恍惚状態にはなれませんね、と私は言っている訳です。

蛇足ですが、カソリックはともかく、アメリカのプロテスタントは一神教ではありません。何故なら、アメリカ人のほとんどは神ばかりでなく、悪魔の存在も信じていますからです。そう言う意味で、アメリカのプロテスタントは二神教という単純明快な宗教です。しかし、カソリックはもっと複雑で、一方で一神教を唱えてしまったので、悪魔の存在に対して、途轍もない複雑な屁理屈を付けています。「自由意志」ばかりでなく、こんなのも、はじめの前提が間違ってしまうと、理論をやたらに複雑にしないと分かった気になれない場合の好例です。
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ゲームを面白くする為。

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神が存在するが前提なんですね。

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それは一神教の神を創造してしまった人間が、その後でその論理的な矛盾に気付き、止む終えず付け焼き刃的に「自由意志」なる屁理屈考え出したことが原因です。

従って、これは一神教の信者に取って、そして一神教の信者のみの永遠のテーマです。

人間、始めが間違っていると、目の前の矛盾を簡単解くことが出来ません。そこで人間は誰でも、論理を前より複雑にしてその矛盾を解こうとします。しかし始めが間違っているので、その解は必ず新たな矛盾を何処かに生み出します。そこでまた前より論理を複雑にしてその新たな矛盾を解こうとします。そしれその目の前の新たな矛盾が解けると、また何処かに新たな矛盾が出て来ます。これは、出発点が間違っていた場合に常に起こることです。ところが、その努力で当面の問題は解けたように見えますので、その当面の解で恍惚となれる。そして恐ろしいことには、この恍惚のために永遠とその論理を前よりも複雑にして行く過程を楽しめてしまうのです。その結果、どんな人間が一生かかって勉強しても理解出来ない不可解で遠大な教義体系が出来上がって来ます。そして、もっと恐ろしいことには、多くの人がその不可解さの中に神秘的な意味を見出して、前よりもっと深い恍惚感を味わっているようです。

そう言う意味で、自由意志とは出発点を間違えてしまった一神教特有の永遠のテーマなのです。

次の言葉は、モンテーニュの『エセー』からの抜粋ですが、その中の哲学者という言葉を宗教家という言葉で置き換えても味のある言葉ですので、ご鑑賞下さい。
「アリストテレスばかりでなく大部分の哲学者がむずかしさをよそおったのは、空虚な事柄に箔をつけて、われわれの精神にうつろな、肉のない骨を与えてしゃぶらせ、好奇心を満足させるためでなくて何であろうか。、、、難解さは、学者が手品師のように自分の技倆のむなしいことを見せまいとしている貨幣であり、愚かな人間どもはこれで簡単に支払いを受けたつもりになる。、、、
彼はあいまいな言葉のために、むしろ愚かな者の間に有名である。、、、
なぜなら、愚かな者は難解な言葉の下に隠された意味を見つけて感嘆し、これを喜ぶからだ。」

この回答への補足

すべてを創造した神が複数であると、人間には自由意志がないと考えているので。

私は単純明快な質問をしているつもりですがね。

補足日時:2010/05/08 20:53
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神と人間を別々に考えているようですが、実は神も人間も同一の存在なのです。


だから、人間も神と同じ自由意志を持っていて当たり前なのです。
人間は長い年月の中で、自分が元々神であったということを忘れてしまったわけです。

例えば、夢と同じです。夢に出て来る登場人物や自然など、あらゆるものはすべて今眠っていて夢を見ている人そのものなのです。

ところが、夢にあらわれるすべてのものが自分自身であるにも関わらず、その夢の中の自分しか意識できないですね。他の登場人物などはまったくの他人のようですね。

本当は、夢に登場する他のものも、自分自身なので、その考えていることや運命もわかるはずなんですが、夢を見ている本人は自分自身のことしかわからないですね。

このようにして、夢に登場する人物たちは、夢を見ている本人から切り離されて行くわけです。切り離された登場人物たちは思い思いに活動をします。

こういう夢でのことと、人間と神との関係は同じなのです。

実は自分が神であるのだけれど、自覚が無くなってしまっているわけです。

この現実世界でも、眠りから覚めるように、目が覚めれば自分が神であるという自覚が出てきます。これが仏教やヨーガなどで言う「悟り」なわけです。

つまり、神は壮大な宇宙夢を見ているわけなんです。そして、人間は神が見ている夢の登場人物の一つなわけです。

神が夢から覚めれば、一つの宇宙の歴史が終わるわけですね。しかし、何時夢から覚めるかわかりませんので、登場人物が先に目覚めようとするわけですね。

よくありませんか?眠っていて「これはひょっとして夢ではなかろうか?」と気が付く時が。それはどういう時でしょうか?こういう経験から修行法が考えだされたのだろうと思います。
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