天使と悪魔選手権

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動物愛護の考えに関して(自由な意見をください)


職業柄、年中リアルファー(毛皮)やレザー(皮革)を加工しています。

みなさんのご意見を聞きたいのは毛皮やレザーに関してです。

日本にも毛皮は可愛そうだとか、特にヨーロッパのとある百貨店では毛皮を販売することに抗議した市民団体(おそらく動物愛護団体)が裁判所から入店の制限を命令されたり。

正直私自身、すくなくとも数年前まではファー自体好きではありませんでした。
フォックスなど顔が付いてて原皮をみるとちょっと怖いんですよね、いまでも汗

ただ加工していると布とは違う温かみであるとか、その素材のすばらしさに常に感動を覚えるものです。


昔から毛皮に関して賛否はわかれるものでした。

でも最近思うのは牛も豚も鳥も食べるような人がファーはよくないとか、かわいそうとか
そういう心情が理解できません。完全なベジタリアンで魚も食べないとかいう人に言われる分には分かるんですが。

毛皮かわいそう? じゃああなたが食べた牛さんは? みたいな気持ちになります。

みなさんの自由なご意見おねがいします。

A 回答 (6件)

人間というものは勝手なもので、自分が食べるものは食用で、食べないものが動物という矛盾した理論を持っている人が多いようです。

毛皮については古代より暖をとる為のものであった筈のものが、いつの間にか高級衣類に変貌しているため、それらを手にすることができない人達の嫉妬心が変じて動物愛護になったものでしょう。
惜しむらくは、自分の立場しか考えない人々のゆがんだ理論にほかなりません。
動物愛護というのは愛玩動物のことでしかないのです。人を襲う動物を人は愛護しますか?
私は動物愛護をうたっている人々は単に論議をすり替えている人達だと思っています。

この回答への補足

>私は動物愛護をうたっている人々は単に論議をすり替えている人達だと思っています。

そうなんですよね。まさしくそのとおりで

>それらを手にすることができない人達の嫉妬心が変じて動物愛護になったものでしょう。

嫉妬心というのはちょっと違うと思いますが、食べないもの=動物・・・ っていう考えにはたしかにそうですね

人間の自惚れみたいな気がしてなりません。

補足日時:2010/05/28 21:30
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動物愛護を広い視点で考えると、必ず環境保護に辿り着きます。


しかし、現存している動物愛護団体の殆どは、被保護種族を偏狭な理屈で限定し、
病気に近い感情論のみで押し通そうとしているのが現状です。特に鯨。

賢いから殺したら駄目。何と傲慢でしょう。思わず言い返した事があります。
「じゃあ、愚かなオマエは飢えて死ね」

毛皮に限定して考えると、極端な話ですが、全廃して合繊に切り替えたとしましょう。
それによって、どれだけの資源が損なわれるのか、どれだけの大気汚染が助長されるのか
って、問うてみたいです。ひょっとしたら愛護団体でトーナメント戦でもやったらいい
んじゃないかな? 殆どが好戦的ですしw
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この回答へのお礼

そうなんですよね、鯨。。

オーストリア?オーストラリア?でしたっけ。
鯨は頭がいいから殺しちゃだめってインタビューに答えてましたね、

ほんと傲慢です。

トーナメントいいですね笑
ワールドカップ以上にもりあがるんじゃないでしょうかw

お礼日時:2010/05/28 21:26

人間同士の犯罪でも生活に密接ならば悪行だとしても情状酌量の余地があると思います。

遊ぶ金が欲しかったというのは邪悪で言語道断です。つまり食料としてと装飾としてでは全く違う意味合いになります。

善悪とは人間同士にのみ有効な概念で、他の生物に対しては食物連鎖として優位にあるので、殺すのも食べるのも悪ではありません。しかし自然界の生物を無意味に傷付けたり、必要以上に奪ったり、生態系に影響があるならば他の人間に対して社会悪に位置付けられます。

この回答への補足

>善悪とは人間同士にのみ有効な概念で、他の生物に対しては食物連鎖として優位にあるので、殺すのも食べるのも悪ではありません。しかし自然界の生物を無意味に傷付けたり、必要以上に奪ったり、生態系に影響があるならば他の人間に対して社会悪に位置付けられます。

そうですね、社会悪。悪がなんなのかと議論すると長くなりそうなのでやめますが、私自身は善も悪も人間の思い上がりの形だと思っています。

補足日時:2010/05/30 20:50
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私は菜食主義者でなく、他人に動物を殺してもらってその肉を食ってしまう人間です。



そのような人間であっても、日本の都市部で生活している限りにおいて、毛皮を必要としませんので、毛皮を採るために動物を飼育し、それを殺して皮をはいだりすることは必ずしも日本に必要な産業では無いと思います。

エスキモーとかヤクート人などが極寒の地で生活するために野獣を殺し、その毛皮を利用することに対してはなんら問題が無いと思っています。

日本人が金を儲けるために動物を殺して毛皮を売るという商売は、無くても良いと思います。
でも、職業選択の自由を否定するものではありませんので、その仕事をする自由も認めたいとおもいます。

この回答への補足

必要かどうか。不要なら殺すなってことですね。


>必ずしも日本に必要な産業では無いと思います。

でも必要なんですよ。いくらフェイクファーのクオリティが上がったとしても自然のそれには到底およびません。

>日本人が金を儲けるために動物を殺して毛皮を売るという商売は、無くても良いと思います。

そういうこと言ってしまうと殺してまで肉を食べることは必要かということにもなってしまいますね

補足日時:2010/05/30 20:56
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その筋の職の方には非常に言いにくいことですが、ご質問にお答えします。



>毛皮かわいそう? じゃああなたが食べた牛さんは? みたいな気持ちになります。

毛皮が何故駄目で、肉は食べてよいか?


これは、毛皮の取り方が大きく問題になっています。


肉をとるときは、さっさと殺します。
毛皮はどうかというと・・・。


非常に信じがたい話ですが、生きたまま皮(毛皮)を剥がされるのです・・・。



勿論全ての毛皮生産会社がそうやっているわけではありません。しかし現実として行われています。

何故生きたまま皮をはぐかと言うと、殺して剥ぐより、生きたままの方が剥ぎやすく、剥ぎやすいと言う事は必然的に仕上がりも綺麗になるからです。
特に中国系の業者はそのような効率重視で行われ、しかも毛皮を依頼する会社も、より安く綺麗に仕上がる中国の業者を求めているので事態は深刻です。

詳しい話はアニマルライツ(http://www.arcj.info/)で書かれています。
生きたまま動物の皮が、剥がされている証拠映像も見れます・・・。(今はアップしてるかは不明)



だから、毛皮を反対している団体がいるのです。
もしこれが、生きたまま動物の皮を剥ぐのではなく、出来るだけ速く即死させ、皮を剥ぐなら、毛皮を反対する団体は激減するでしょう。


毛皮関係の方にはとても聞き捨てならない話だと思います。あなたには毛皮を剥ぐ業務とは直接関係なく不快な思いをしたかもしれませんが、そう言う理由で毛皮は反対されています・・・。

この回答への補足

話は変わりますが中国産(およびその近郊)のクオリティってかなり低いんですよ。
だからほとんど使っていません。

で、もどりますが。SAGAとかはそこのあたりもしっかりしてるんですよね。

たしかに中国の一部地域でそのような方法をしているということはよく聞きます。


まあ残虐かどうかで話を置き換えてるだけにしか思えてしかたがないんですよ。
どうせ殺すのに苦しいか苦しくないかなんて大差は無いように思います。

漁で捕った魚なんて陸に揚げて窒息死させますよね。
血抜きする場合もありますが
氷付けにされるのも生きたまま毛皮をはがされるのも同じじゃないでしょうか

補足日時:2010/05/30 20:48
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私の見る限り、動物を殺すのが残酷か、止むを得ないか、の境目は


(1) 方法
(2) 必要性
です。

どうしても必要な場合に限り、必要な数量だけ、苦痛を与えない方法でする、というのが、人と自然とが共存する条件だと思います。

この意味で、 「毛皮が虐殺なら、牛や豚を食べるのも同じだろ」という質問者さんのご意見には、賛成できません。

では食肉と毛皮とはどこが違うのか? 方法については既にNo5のhannzouさんがご指摘下さった通りですので、以下ここでは必要性について考えましょう。

人類は「霊長目」に属する生物で、身体のつくりが純然たる草食動物ではありません。(例えば牛や羊などが草を食べるとβブドウ糖分解酵素の働きで消化され、ヒトがデンプンを食べた時と同じように炭水化物としてエネルギー化されますが、ヒトにはこの酵素が備わっておらず、食物繊維は消化管の蠕動を刺激するだけで、直接の栄養源としては活用できません。)
ですから進化論的に人類はある程度、肉食するのが自然なわけです。
この意味で食用に畜獣をするのは、ある程度「必要」(必要悪?)と言えます。

それでは毛皮は?と言うと、霊長目は元来、熱帯の生き物でしたから、分厚い毛皮は必要ありませんでした。我々の身体が他の多くの四足獣と較べて毛深くないのも、こうした進化の産物です。
ヒトが熱帯から温帯、冷帯へと生息地を拡大していく過程で、ある時は竪穴を掘り、ある時はわら屋根を築くなどして、寒さに耐える工夫を重ねてきました。毛皮もそのような工夫の一つですが、畢竟これはヒトの身体的ないし進化的特徴に内在する必要性とは認められません。文明と科学技術の発達した現代では尚更、毛皮よりもずっと効率的かつ健康的な耐寒方法はいくらでもあります。

食糧として必要だから仕方なく牛を殺し、その革を無駄にしないよう、ベルトや靴、鞄などの革製品にする、というのと、毛皮だけ欲しいからタヌキやキツネを殺す、というのとで、罪の深さが全然違う事は、これでおわかりになりませんか?


PS1: よく、食肉は農家で畜産されているから自然破壊にはならないが、毛皮は野生獣を狩るから生態系を壊す、と思い込んでいる人たちがいるようですが、商業的に加工されている毛皮の大半は養殖された獣のものであり、また食肉にも野生鳥獣のものが一部出回っていますので、両者の差は本質的ではない、というのが現実です。また、毛皮目的で乱獲されて絶滅が心配される珍獣が多いことは歴史的事実ですが、食肉目的でも鮭や鯨、クロマグロなど同様の自然破壊が犯されて来た事に変わりはありません。


PS2: ところで質問者さん、あなたのNo5のhannzouさんへの「補足」は一体何?
安楽死も苦痛を与える殺し方も同じだ、って? とんでもない!
「殺し方の問題にすり替えてる」ですって????

ご質問の最後に「みなさんの自由なご意見おねがいします」なんて書いておいて、ちょっと気にくわないレスをする回答者に対してはこの通りの中傷三昧ですか??

balanbaipさん、あなたが毛皮業者だからでは決してなく、あなたが「殺し方」への配慮をしない(と言うか、見たくないものからは意図的に目を背ける、と言うか)という一点からして、あなたが動物愛護という概念をそもそも全く理解していない証左です。

このご質問を良い機会として、回答No5をもう一度熟読し、よ~く勉強なさい。

この回答への補足

>よ~く勉強なさい。


子供染みた意見の押し付けはとりあえずスルーします(・∀・)


>この通りの中傷三昧ですか??


意見に対する単なるレスです。中傷だと捉えられるのは心外というか、そのように言われることが私に対する中傷以外なにものでもないと考えます


>・・・というのとで、罪の深さが全然違う事は、これでおわかりになりませんか?

で、罪という概念は人それぞれな訳ですが個人的な解釈として罪に重い・軽いというものはないと思うんです。罪は罪。というより罪なんてものも時代や個人によって解釈が変わります。そもそも罪なんて概念自体が押し付けなわけで。そんなこと言ってたら人間なんて生きてるだけで罪です。



必要性について色々書かれていますが、まず人間全体にとって必要かどうか考えることが変じゃないでしょうか。

補足日時:2010/12/31 23:00
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